第1話 漆黒の軍艦『ネロ・カルビノン』
ローダとルシアの婚約から約3カ月、それはルシアの妊娠期間ともほぼ一致する。流石に下腹の膨らみが目立ちつつある。
こんな状態で今後ルシアは、さらに激しさを増すであろう戦闘に参加して良いものか?
増してや彼女の場合、周知の通り格闘術……即ち身体を戦いに用いる中でも最たる存在だと言える。
普通の妊婦であるのならば確実にNGであろう……。けれど彼女を造ったサイガンの答えは意外にもOKであった。
通常妊娠すれば様々な身体の変化が見られ、中には通常の生活にすら支障をきたすことすら珍しくないのだが、当の本人が3カ月前と変わらないと言っている。
それどころか通常の女性で、妊娠していなければ毎月やって来る気の重くなるような例のアレ……妊娠したのでなくなったと喜んでいる位だ。
そもそも女性型の人間を造るからといって、態々その生理現象すら再現してしまうこの老人のやり方には、正直サイコパスすら感じるのだが……。
それに肝心の胎児に対する影響はどうなのか? これも問題なし、流産や早産といった心配も不要だという。
流石にこれが妊娠中期を過ぎ、増してや臨月何てことなら問題外。何せ身体そのものが重くなり過ぎるし、そこを攻められたら一巻の終わり。
詰まるところ、今ならまだ問題ないとサイガンは主張している。
そんな新婚二人を加えた連中が今いるのはフォルテザの軍港だ。5カ月程前から姿を消していた戦艦が再び碇を下ろしている。
それもつい昨日、造船所からこの軍港へ移動したばかりであり、未だに工員達が最終チェックに追われている姿がうかがえる。
「こ、この船って私とローダが乗った時と随分様子が変わったね」
「そうだな……。何でこんなにも黒ずくめになったんだ?」
海風に金髪がなびくのを抑えながらルシアが見上げる。
隣にいるローダも同感といった面持ちである。共にロッギオネ奪還へ向かった際には、鉄と火薬と燃料など様々な匂いが入り混じったものが漂っていた。
何とも滑稽なのがこの色である。マーダ時代から相手は、黒い装備を基調していたので彼等のイメージには常に黒がついて回った。
対する自分達は、反抗の印として白を基調とした装備を揃えたものだ。サイガンの檄文にも「黒を白に変えよう……」という煽り文句があった程に。
しかし生まれ変わったこの軍艦、どこを切っても黒、黒、黒……。これで敵陣に攻め入り白を名乗るのは少々恥ずかしいものがある。
「この戦艦の外装の8割が9番目の黒き竜の鱗を使っているのです。あと私は白に塗り替えるよう注文しました」
「無茶言わんで下さいよ、こんなの改装って言いませんよ。船のフレーム以外は全部作り直し……。こんなの5カ月で、増してや竜の鱗なんて加工方法も判らないものを……」
この軍艦の改装を発案したドゥーウェンが口を開くと、たまたま近くで聞いていた設計担当者が鉛筆で頭を掻きつつ文句を返す。
船のことは良く判らないがフレーム……要は骨だけ残して後は全部張り替えるという大仕事だと判ったローダとルシアが如何にも気の毒そうな顔になる。
「……ちゃんと残業代も払いましたが」
「亮一、お前それ完全にブラック企業の言い分だぞ……」
「ま、まあホラッ、戦時中の兵器開発なんて大概そんなものでしょう?」
何とも冷ややかな視線を送るサイガン。ドゥーウェンが唱える「戦時中の兵器開発……」というのは、亮一時代に日本のアニメで見た光景であろうことをこの先生だけは知っている。
「おおっ! この砲身は何ともイカれてやがるぜっ! 拳銃と同じ構造してんな、口径は?」
「18インチだったかな……まあ普通ですよねぇ……」
一人レイは別の所へ目を向けている。改修前は同じ砲台が2門だったが、真ん中に途轍もなく長い砲身の大砲が1門、その穴もやたらと大きいものが船のほぼ中央に鎮座している。
レイの語る「拳銃と同じ……」というのは螺旋状に砲身内部が切られているという意味だ。
要するに18インチ……約46cmの先の尖った銃弾が回転しながら標的を射抜く訳だ。
レイの方は実に興奮しているだが、応じているドゥーウェンの方が、少々間の抜けた返事をしている辺り、彼の望んだスペックに達していないということだろう。
他にもミサイルランチャーや機関銃など重火器がてんこ盛りとなっている。
「ま、もっとも足りないものは違う力で補いますけどね……」
「マスター……とても悪そう顔をしていますよ」
こんな物で満足している訳がない、ドゥーウェンの嫌らしい顔がそれを物語る。隣のベランドナが呆れ顔で釘を刺す。最近こういうやり取りが増えた気がする。
そもそもフォルデノ城に攻め込むという意味で本当に軍艦が有効なのか? そういう話はなされてきた。
例えばカノン攻略の際にサイガンが使ったSENDが使えるのならあっという間に敵陣の真っ只中だ。
けれど残念ながらこの方法は使えなくなった。守るルイスの方とて馬鹿ではない、フォルテザの街を覆った結界を参照し、同様のものを用意したらしい。
以来、転送先の検索にフォルデノ王国がヒットしなくなったのでNGとされた。
次にそもそも彼等は風の精霊術である自由の翼などで空が飛べる。普通に飛んで攻め込めば良い、ベランドナとルシアの魔法力の残量さえ気にしておけば一番手っ取り早い気もする。
だが実の処リスクも存在する……それは飛べる高さの上限。飛べると言っても3桁単位のm以上をゆける者はそうそういない。
ルシアやベランドナ辺りなら、もしかしたら可能かも知れない。けれど人に頼った精霊術にて飛べる高さはせいぜい20mといった所らしい。
それが何を意味するか、山や谷まで超えて行けるほどではないということだ。もっと言うならその程度なら地上から迎撃する方法がある。
それに翼を持つ亜人族……例えば鳥人間なら、楽々とその上を取れる。敵にあとどれ程の戦力残があるかは知れない。
だがあの屍術師がいることを忘れてはならない。死んだ者すら召喚出来る能力……あれさえあれば兵隊は幾らでも用意出来る。
「つまりです、20m位飛んで攻め入った所で相手の待ち伏せを許したが最後。それは徒歩で行軍するより少し速い……その程度なのです」
「そこで竜の鱗を使った出来得る限りの沈まない船……って訳ですか」
この黒い軍艦で攻め入ることをさも何より優勢であると説くドゥーウェン。海上を征く軍艦を想像するリイナ。
そんじょそこいらの攻撃じゃビクとしない船。敵は空か海中から攻めて来る、取り囲まれる危険性もあるが、逆に言えば此方に向かって来るしかないと言えなくもない。
それをモグラ叩きのように潰して進めば、良い話かと思えてきた。
例えばベランドナの雷神のような長距離攻撃を、飛びながら撃ち込んでくる敵がいないとも限らないがその大砲で撃ち落とせばいい。
「亮一先生……質問があります」
「え…………せ、先生? な、何ですかランチア君?」
不意にランチアが挙手して尋ねごとをする。ドゥーウェンではなく亮一先生と言うのが不気味である。
「あのう………俺っちラファンの砦を攻め落とす時、そこのベランドナさんの何とかっていう魔法陣使ったやつで、ジェリド先輩達が召喚されてきたの見たんすよね……」
「あ…………」
ランチアが言ってる「何とか……」とはベランドナだけが使える森の女神の『生物召喚』に相違ない。
あっけに取られる亮一先生、頭を抱えるサイガン先生……。何れもその解答を見出せなかった先生達だ。
「な、何を言うんですランチア君っ! 君は漁師……船乗りの筈だっ! この軍艦『ネロ・カルビノン』に乗船して戦える機会に血沸き踊りはしないのかねっ!」
「おっ……おおっ! だなッ! よっしゃぁぁぁッ! 船の上で俺様に勝てる奴はいねぇッ!」
「………ゴリ押ししましたね、亮一先生ぇ」
拳を握り軍艦『ネロ・カルビノン』へ向け振り上げつつ熱く語る亮一先生にしっかり釣られた漁師出身のランチア君。
同じ自治区出身のプリドールさんが、その様子に頭を抱えて首を振る。真顔で亮一先生に突っ込みをいれるベランドナさん。
…………まあ、既に誰にもこの流れを止めることなど出来ないのだ。