第17話 師であり父である老人の真実
サイガンがいる地下牢。彼の脇にはルシアが目を瞑って仰向けに寝ている。他人の目には映らないキーボードを叩いているサイガン。指が動く度に小さな光が散ってゆく。
『オペレーションシステム、アップデートコンプリート』
いかにも機械的な声が聞こえてくる。どうやらサイガンが操作しているサーバが発した声らしい。
「ふぅ………これで検査とアップデート、全て完了だ。ルシア、起きて良いぞ」
サイガンの声を聞いたルシアの目が開く、寝ていた訳ではない様だ。サイガンがこの手の作業にて溜息を漏らすのは非常に稀だ。
中々に難儀な作業であったことを物語っている。
「気分はどうだ?」
「ん、大丈夫。いつもと何も変わらないよ」
サイガンの質問にルシアは、自分の全身と感覚を確認しながら答える。正直適当な生返事だ。
「そうか、ならば良かった。アップデートだが恐らくこれ以上は望めないと思ってくれ」
「いつもそんなこと言う割に、直ぐ新しい力を思いついてアップデートしてくれるじゃない。土の精霊術の時もそうだった」
とても神妙な面持ちのサイガンとは対照的に、ルシアは笑い混じりに答える。ルシアの語る「土の精霊術の時……」これはエドル神殿で7番目の巨人セッティンとの争いで披露したものだ。
水、風、炎………そして土。これらは全てサイガンがルシアに与えた力という訳だ。いや………精霊の力を与えたというのは、少々語弊がある。
サイガンというエンジニアが精霊に関する事柄を数値化し、ルシアにインストールして扱えるようにしたというべきか。
ついでに説明しておくと彼女が多用する風の精霊術である自由の翼。
暴走したローダと共にエドナ村で戦った際には、効力が消えるまで宙に浮いていられる訳ではなく、跳躍力を飛躍的に上げる程度のものであった。
ところがローダと共にロッギオネを解放しに行く際、そのローダから「今ならあのマーダのように宙で動きを止めることも出来る………」と聞いて、ローダに置いてゆかれないよう、慌ててこの術式の能力強化をサイガンに願い出たのだ。
少々長くなって申し訳ないがルシアの戦い方……ムエタイのような武術についても同じことが言える。
サイガンのことを師匠と呼称することがある訳だが、ただのエンジニアである老人が武術の手解きなど出来やしない。
これも精霊と同様に達人の動きをプログラミングにて再現したのである。
これまたついでのついでに………ガロウもサイガンのことを師匠と呼び、一目置いている。ガロウの場合、示現流の腕前は、既に相当高いレベルにあった。
サイガンはそれに加え、もっと効率的な動きや、肉体を鍛える上での重要な点をレクチャーしたに過ぎない。
サイガンにしてみれば大したことをしたつもりがないのだが、ガロウの時代よりも200年近く未来からの助言というのが非常に功を奏したという意味合いでの師匠呼びなのである。
さて、随分と横道にそれてしまったので話を元に戻すとしよう。
「いや………今回はお前の能力を全て底上げしたと言っていい。これ以上は負担が大き過ぎて身体の方が追いつかなくなる」
実に曇った顔で応えるサイガン。制御し切れない強過ぎる力というは、返って自らの足を引っ張るものだ。
「そう……なんだ、私は扉の力を持つ人間を根絶やしに出来る様に作られたのに?」
「………そんな話、虚言だと言っても差し支えないことぐらい、お前が一番良く知っておろう。扉の力の上限、私は完全に見誤っていたのだからな」
少し意地の悪い顔で質問をするルシアの視線に、サイガンは思わず苦笑する。
「私は神などという何の役にも立たない、ただ人が縋るだけの存在をこれまで否定し続けてきた………」
天井を虚ろな顔で見つめながら、サイガンがこれまで信じてきた認識が誤りであったことを語りだす。
「扉の力とて私が作ったAYAMEの副産物。私は最も忌み嫌っている神にでもなった気でいたらしい。しかしそれとて偶然が重なっただけと言うのに……」
かなり暗い顔で背を向けながら語るサイガンの言葉を遮ぎるかのように、ルシアは突然後ろからギュッと抱きしめる。
「パパ、大好きだよ。私は貴方の事を信じてる」
「こ、こら……こんな爺をからかうんじゃない」
「だってパパはパパよ。貴方がそう私に入れたんじゃない。それにこの声、若い頃に大好きだったアヤメって人の声を真似たのでしょ?」
ルシアの行動は悪戯なのか、それとも本気の感謝から来ているものなのか、サイガンは59歳にもなって、大いに翻弄されている。
ルシアが「この声……」の件、耳元で怪しく囁く。
「私のこの身体にこの性格………これってもうサイガン・ロットレンの性癖を形にしたみたいなものよね?」
これには恋愛という気持ちなど当に捨てた筈のサイガンすらも……いやサイガンだからこそ、頭の上の方まで真っ赤に染まるのを止めようがないのだ。
「はぁ……そうだ、そうだな。言う通りだ私の娘よ」
サイガンはルシアの腕の中でようやく堅物だった顔を緩ませ、そして抵抗するのを諦めた。
◇
「ん、んーっ」
「よお、目が覚めたか。寝坊助さん。丁度湯を沸かした所だ、珈琲かココア、どちらが良い?」
ルシアはベッドの上で目を覚ます。既に太陽がほぼ真ん中まで登っていた。
此処はローダとルシア、二人の部屋だ。公認のカップルとなってから、サイガンが態々二人部屋を用意してくれたのだ。遠慮せずにそこに引っ越し、こんな日常を続けている。
しかもこの部屋、衣食住が一通り出来る環境が揃っているのだ。
「じゃあ、珈琲をお願い。でも、寝坊助とは随分じゃない? 貴方が朝まで寝かせてくれなかったのよ」
「ま、まあ、それは………この一杯と一皿に免じて」
ローダが珈琲だけでなく、厚めのトーストとハムエッグもトレイに載せて運んでくる。それを見たルシアの顔がパァと明るくなるが、寝間着が随分開けていたのに気づき、慌てて正してから起き上がった。
「頂きます………」
「どうぞ………」
テーブルの前に座ったルシアは、手を合わせてから遅い朝食を迎える。珈琲とバターの香りが彼女の鼻孔を擽り、幸せな気分になる。
ローダは彼女が美味しそうに口に運ぶのを、ただひたすら緩んだ顔つきで眺めている。
「ほういやはなた、ふぁさ寝る前に、はにか言ってたよね」
トーストをほおばりながら喋り出したルシア。流石にこれば行儀が悪い。
「おぃおぃ、食べながらは止めろよな。朝? 嗚呼、金星の話だな」
「あ、ほれほれ。眠かったから、正直良く覚えてないのよ」
ローダの注意に耳を貸さず、ルシアは器用にも食事と質問を同時進行する。ローダヤレヤレといった体で、諦めて答え始める。
「金星、朝と言うか正確には、日の出の直前に東の空に輝く星。『明けの明星』と言う別称もある」
「あ、ルシファーなら聞いた事あるよ。確か、堕天使。天使でありながら神を裏切って、悪魔になるのよね? ただ、どうして金星がルシファーなのか正直良く判らないのよ」
ルシアは最後のトーストをサッサと口に放り込んだ。
「それは他の星が夜明けで、もうその輝きを失おうという時に、一人だけ東の空に輝くからなんだ」
「あ、まあ、何となく判るわ。で、なんでそんな話をしたの?」
「それは……」
此処でローダは少し会話に間を置いた。ちょっとだけ気持ちの籠ったことを告げようとしている。