第13話 女としての迷い、父としての変化
ルイスと対峙しているローダは、紅色の蜃気楼の能力が判り切っていないことと、そもそもルイスを殺す訳に往かず、攻め手に欠けていた。
ノーウェンを攻めたてるレイ、ガロウ、そしてそれぞれのシャチが復活したランチアとプリドールの場合、幾らノーウェンを攻撃した所で無駄骨だと思い知った。
決して獲る訳にはゆかない駒………ルイスの中にどうやらノーウェンの魂があると知った以上、此方もどうにもならない。
だがフォウと戦っているルシアは、明らかにおかしかった。脚の使い方を間違えている。足技で攻撃するのではなく、その脚力で瞬時に相手の懐に入ってしまえばどうとでもなる筈だ。
(ルシアよ…………お前まさかその女魔導士に手心を? フォウのルイスに対する気持ちに気づいてしまった?)
これが地上からそれぞれの戦いを観察していたサイガンの印象である。ローダを演技でなく本当に愛したルシアが人の心を抱いた。
…………それは良い、しかし敵に対する想いすら芽生えてしまい当人も自覚がないまま、攻撃の手を緩めてしまっている。
―ドゥーウェンよ、この戦い長引かせてはならんが、少しでもルイスの情報が欲しい! 3分間の猶予を与えるから出来る限りのことを尽くすのだ!
―せ、先生……!? り、了解です!
師と弟子が接触を使って、他に聞かれない会話をする。
もっともルイス当人にはバレている可能性が高いが、それは些末な事だと割り切るしかない。
(往け! 自由の爪達!)
ドゥーウェンが爪達に命ずると、ルイスを取り囲み、高速で周回を始める。
「………小賢しいな」
やはりルイスは、サイガンの目論見に気づいていたが放置する。本当にどうでも良い事だからだ。
目の前には真の扉を開きつつあるローダと、何より欲しがっていた扉の鍵であるルシアが迫っている。此方の相手が最優先事項なのだ。
………ただ扉の鍵のそのまた中に存在する者に気づき、彼は非常に困惑している。鍵の本質がもしそちらにあると言うのであれば、ルシア毎、強奪したところで使い物になる気がしない。
―…………リイナよ。
「あ………は、はいっ」
次はリイナに対し心の声で呼び掛けるサイガン。自分はこの戦いに於いてどうすべきか様子を伺っていたリイナであったが、これに小声で応対する。
相手がサイガンであれば、風の精霊術である言の葉か、或いは唇の動きを読む読唇術くらい余裕だと勝手に解釈する。
―…………この戦いの相手側、剣を振るえるのはルイスのみ。ノーウェンとやらは身体の再生能力を超える攻撃を受け…………。
「………屍術士として別の魂を呼ぶことも、暗黒神の魔法を詠唱も出来ない。フォウも同じようなもの………ですね」
この膠着した状況下で自分に声を掛けてきた。サイガンに言われるまでもなく判り切っていることを真剣な面持ちで告げるリイナ。
リイナの様子を見て取ったサイガンは、思わず顔を緩ませる。自分の期待通りの反応に「賢いな、やはり頼りになる」とでも感じたらしい。
―そうだ、そしてこの状況で一番最も効率的に三人の内、二名を攻撃不能に出来るのはリイナ、お前の例の力だ。但し私の合図があるまで待って欲しい。
「わ、判りました。リイナ了解です」
我々の司令官は、やはりこの戦いを無理矢理にでも止めたいという意志を確認したリイナ。
直後、隣にいた父ジェリドが戦斧を構えてリイナの前に立つ。ベランドナも同様に寄せてきた。恐らくサイガンより「リイナに指示を出すまで死守せよ」とでも言われたのであろう。
―ローダよ、何を躊躇しておる。ハッキリ言わせて貰うが、今のお前さんが本気で斬りかかろうともルイスは倒せん。
―ルイス………であったな。聞こえておろう私の声が。お前が考えている以上に弟は成長したのだ。
サイガンの接触にハッとするローダ。そうだ、自分は何をボーッとしているのだと思い知る。
目つきが気合の度を増して、右手で自分の主兵装を瞬時に抜き、ルイスに向かって飛び込んでゆく。
一方、ローダに告げた言葉と真逆の内容を大胆にもルイスに伝えた。挑発《煽り》、少しでも気を散らすなど色々な意味を含めたサイガンの精神攻撃。
「チィッ、増々気に入らないな………その自分こそ全てを判っているような態度が」
ルイスとてサイガンの意図は、重々承知しているつもりだ。けれど此処で舌打ちした時点で負け………ルイスの若さが滲み出てしまったのだ。
これだけでほんの秒単位ではあるが時間を稼げた。
(………そしてローダ、この老いぼれの声が届いているなら、どうか迷える娘の命を……目を覚まさせてやってくれまいか)
少々ややこしいのだが、此方は接触を使った声ではなくサイガンの想いである。
本来ならばこれこそ直接ルシアに届けたい処なのだが、集中している邪魔をしたくない………何故か言い辛い………そんな想いが折り重なった。
サイガン自身にも良く判らないこの心境………ひょっとしたら彼も娘に要らぬ遠慮をしてしまう本物の父親のようになりつつあるのかも知れない。
この淡い気分をローダは真摯に受け止めた。左手に握っていた脇差をナイフのように、ルシアとフォウ、二人の鼻っ面目掛けて投げ込む。
「ムッ?」
「ろ、ローダ? 嗚呼………私どうかしていたわ」
ルシアとフォウ………その何れに当たってもおかしくはない危険な行為に驚くフォウとルシア。
だが咄嗟にルシアは、ローダの気持ちに気がついた。ローダがトレノの命を奪う行為に戸惑っていたのと似たような気分で自分が戦いに臨んでいた。
「ハァァッ!」
「グハッ! お、おのれ………」
ルシアの本気を載せた右拳がフォウの肺の辺りを的確に捉えた。恐らく肋骨を折って肺にもダメージを与えたであろう。
フォウの口から吐いた血は、喉を切ったとかいう生易しいものではない。内臓を破損して口まで上がってきたものに相違ない。
(い、息が………これではせっかくお膳立てしたのに詠唱出来ないっ!)
実の所こう見えてフォウは、彼女なりの反撃の手を準備していた。コルテオの輝きでヒッソリと陣を描いていたのだ。
相手の心臓の動きすら止める蜘蛛之糸の準備動作である。けれど発声すらままならない状態で発動出来る道理がない。
ルシアも最初からこうすべきであったと大いに反省しつつ、動きの止まったフォウをいよいよ遠慮なく左右の拳で殴りつける。
「い、いけないっ! フォウを殺らせはしない!」
「ルイス? 相手を間違えるなっ!」
ルシアの攻撃変化は、ルイスの意識を奪うのに絶大な効果を発揮する。ローダそっちのけでルシアに向かって紅色の蜃気楼を振り下ろす。
これにローダが瞬時に反応し赤い刃を、両手で握りしめたロングソードで完璧に受けて立つ。
実に歯痒いと感じ眉間に皺を寄せるルイス。フォウへの想いがこれ程にも大きいものとは知らなかった、それを良いように相手に利用されてしまった自分の甘さに立腹している。
「今だリイナよっ! やってくれっ!」
「戦の女神よ! その偉大なるお力で悪しき力を全て封じよ『奇跡の盾』!」
此処でサイガンが肉声で指示を飛ばす。これに呼応したリイナが、即座に詠唱を完遂する。
神々しい輝きが巨大な盾の様な形を成して、この場にいる全員を貫いた。