第9話 『鍵』の正体を知った『扉』は何を思う
再びフォルテザの砦、最下層の堅牢な牢屋。地下牢の周囲を警備しているは先述の通り、戦斧の騎士ジェリドとその娘で戦の女神の司祭であるリイナ。
実はもう一人………頼まれてもいないのに潜んでいる者がいる。
幾度となくこの物語で語り尽くした部屋である。だがこれから語る事は、一度も語られていない異常なる現実である。
ルシア…………本名ルシア・ロットレン。この戦いを経て1年が過ぎたので現在27歳。8月24日の乙女座。身長162cm体重42kg。
サイガン・ロットレンの孫とされているが実際の血は繋がっておらず、時に娘と呼称することもある。
彼女はサイガンの教えで武術と精霊術を習い、その才能を如何なく発揮している。そういう意味では弟子というべきかも知れない。
エディン自治区の民衆軍で女性でありながら、その力で数々の武勲を上げた。
エドナ村でローダと出会い、恋心を頂き始め、フォルテザ砦でのパーティーにてローダからの告白に応じた。
ローダより2歳年上の彼女。歳上だから引っ張ってゆくのかと思いきや、実は割と奥手………互いに恋愛経験が希薄なので両想いの割に歩みが遅かった。
戦乱の最中、出会ってから1年でようやく一つになったかと思いきや急転直下。ルシアはローダの子供を身籠った。
但しこの事は、未だローダに語ってはいない…………。
これが今まで語られてきたルシアのとても簡単なエピソードだ。
「サイガン………一体何の用なんだ? そこまでルイスは来ているんだ。何故俺達だけ此処でじっとしていなければならない?」
実に苛立たしいことを隠す気も起きないローダ。とても気を吐きながら、サイガンに詰め寄ってゆく。
ルイス・ファルムーンと2人の部下、フォウ・クワットロとヴァロウズ1番目の実力者ノーウェンが討って来た。
成長著しいローダは、当然のように先陣を切って相手をしなくてはならない筈だ。しかも実力トップクラスのルシアすら此処で落ち着いている。
サイガンの指示により、ローダとルシアは此処で待機。ジェリドとリイナは二人を守るために残り、後は各個で対応せよという誰が聞いても謎の命令を出したのだ。
もっともドゥーウェンだけは、何故か理由を知らされているらしい。
加えて奇妙なのは、ルシアがこの馬鹿げた指示を何の抵抗もせずに受け入れた事である。
ローダ以外の仲間達はルシアの身体の異変《妊娠》を知っているので、大事をとっての事だと思って受け入れている。
なれど肝心のローダまで待機というのは正直解せない。
よってローダが気を吐いているのは至極真っ当である。サイガンの隣で大人しく座っているルシアに対しても正直イラついている。
「外は皆に任せるのだ。この話をお前が受け止めて貰わねば戦わせる訳にはゆかぬ。話さえ終われば私も含めて戦わせて貰う」
「………サイガン?」
「だが出たら最期……勿論私が、という可能性もある。だから今のうちに話せばならんのだ」
ローダには本当に訳が判らない。サイガンとは既に意識を共有して、彼の事はそれなりに理解していると認識していた。
それにこの間、扉の力の根源と、マーダがルイスに成り代わって完全に敵と化したことを聞いたばかりだ。
…………この期に及んで何を語りたいんだ。仲間が死線を潜っているというのに………。
「そう感じるのも無理はなかろう………ローダよ。良いか、心して聞いてくれ。先ず、ルシアは私の孫だと言った…………が、あれは嘘だ」
「嗚呼、その位は判っている。本当の孫じゃないって話だよな?」
「それはその通りだ。だが間違いなくお前の認識とは異なる。ルシアは私の娘だ。但し血は繋がっておらん」
「それは単純に言い方の問題じゃないのか?」
いつにも増してサイガンの話が回りくどい、しかも判り切ったことを、さも仰々《ぎょうぎょう》しく告げるのがいよいよ解せない。ローダが思わず膝を揺すり始める。
「違う……そう短絡的になるな。ルシア・ロットレンは、私が一人で作った完璧な人造人間だ…………」
「…………っ?」
突然告げられたことを飲み込めず、どう返したら良いのか判らないローダ。
「………マーダの様に人工知能ロボットに人工知性を植え付けたのではない。マーダを参考にしながら、私が身体から一から作った人造人間。寿命を持たない存在なのだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ルシアが本物の人間じゃない!?」
思考停止………やはり何を言っているのか理解が追いつかないローダ。ゆっくりと………聞かされた言葉を頭の中で紡ごうと試みる。すっかり目が泳いでしまう。
次にサイガンの横に座るルシアの顔を凝視する。彼女の顔色は青ざめており、此方に目を合わせようとしない。
かつてリイナに「力を失ってでも生きることを選択するか」問われた際、ルシアが茫然としていたのはこれが答えらしい。
寿命を知らない彼女は、この問いに答える術を持ちえなかったのだ。
「そして此処からが本当に告げるべき処だ。ルシアは扉の候補者を見定める存在。他の者達は、意識の共有という形で封印を解くが、この子は違う………」
「な、何だと………?」
「この娘に異性として愛される…………意識の共有などではない。文字通り《《繋がる》》ことが絶対条件なのだ」
「そ、それってまさか………」
これまでにもサイガンの言うことには、人を人と扱っていない惨たらしさが確かにあった。されど今回のはローダ個人にとって比較にならない。頭を抱え震えながら、フラフラとその場をうろつく。
「そうだ。これは私がお前という候補者を判定するためルシアに託した。これは仕組んだ事なのだ」
「お、俺はルシアに試されていた!?」
ローダの問いに容赦なく頷くサイガン…………。
…………絶望、失望、もう何かも失った思いにローダは正気を失いかける。両膝から崩れ全身をダラリと垂らす。
泣きたい………出来るものならこの身が枯れ果てるまで涙を流したいのだが、それすら許されない。
代わりに口元が緩み、涎を垂らして身体を伝り床まで届く。
心から尊敬する兄が家を飛び出しても、その正義を信じて前へと進んだ。
そのルイスが敵に回ったと聞かされても何とか取り戻してやる………岩のように強固であったローダの意志が音を立てて崩れようとしている。
………ルシアからの無償の支え。少なくともローダ自身はそう感じていた。それが彼を支えていた。
「な、何故そんな酷いことを……」
「許して欲しいとは言えん。私は完全なる人類、『扉』を持つ人類の候補が現れたと知った時、急に恐怖を感じた…………」
もう何を発言しているのか判別出来ないほどに小さなローダの声。今度ばかりはサイガンとて、この気の良い青年と顔を合わせる術を持ちえない。
「………誰とでも心を通わせる事の出来る人間。確かに夢であり理想であった。だがそんな万能な生物がこの世に現れて本当に良いものなのか………正直判らなくなってしまった」
「…………ハァハァ」
過呼吸気味であろうか、発言の代わりにローダから荒々しくそして痛々しい息遣いが聞こえてくる。
「ルシア………この子は元々、私が寂しさを紛らわせるために、娘として作った存在」
もうサイガンの声が届いているのかすら怪しいのだが「ルシア……」という言葉に反応出来たのか、ルシアの方を覗き見るローダ。
やはり曇った顔のルシアは顔を合わせようとはしてくれない。
「コレにお前を託すことにしたのだ。そしてもし、認められなかったその時は、お前のみならず、扉の力を持つ者、全てを消して自分も消す様に再調整したのだ…………」
これまでサイガンは、どんな秘密を打ち明ける時も比較的堂々としている程のエゴイストである。
けれども彼は今、自らの行いを悔いる大罪人の顔をしている。それは人工知性の説明した時よりも数段酷い。
「ハアァァァァァッ!!」
とにかく大いに肺を膨らませ、必死に息を幾度も吸うローダ。加えて動揺を振り切ろうと、首を振ったり、目を瞑ってみたりと、様々な動作をしながら言葉を選ぶ努力をしてみた。
…………だが黒い感情にどうしても敵いそうにない。敵う訳がない、この世で一番信じ、愛し、焦がれた存在が嘘の塊だったと告げられ、まともでいられる方がどうかしている。
暫く床の上でのたうち回る、ゼエゼエ呼吸をしながらだ。やがてそんなローダの目が、身体が、あの怪しげな赤い光を帯びてゆく。
そして何とかその身を起こした………いや、もたげた怒りによって強引に引っ張り起こされたというのが正しい。