第6話 追い詰められてなお学者は笑う
少し時を遡り、場所を変える。此処はフォルテザの砦最下層にある地下牢へ続く通路。
柄の長い戦斧の騎士ジェリドとその娘、司祭リイナだけで守りを固めている。
そこへ黒い鎧を着た騎士がフラリッと現れた。
一瞬ジェリドは、鎧の色からしてマーダが来たのかと思った。
何故ならもう敵の人間で黒い鎧を着ているのが、彼しかいない筈だからである。
だが実際はそうではなかった。いや、寧ろジェリドにとっては、ルイスよりも度し難い人物であった。
「お、お前………まさかバルトルトなのか?」
そう、そこにいたのは紛れもなくバルトルトであった。
ジェリドがフォルデノ王国に仕えていた時、彼は部下であった。
国を離れた後は兵長として不本意ながらもマーダの下で白い鎧を黒に塗り替え、エドル神殿攻略の際に戦った人物でもある。
もっとも戦ったと言っても、実際には戦うフリをして、リイナの身代わりに命を落としたのだ。その死んだ筈の男が目前に現れたのだから、ジェリドの驚きは計り知れない。
「バルトルト、お前生きて…………」
「お父さん、残念だけど、その方は違うの……」
その名を呼んだジェリドも、悲しい現実を告げねばならぬリイナも、寂しい目をしていた。
「………嗚呼、そうだろうな。彼はこんな目をしない」
そう言っている間にもバルトルトだった男は、目を真っ赤にしながらグレートソードを奮って来る。
「そして何よりこんなフザけた剣を決して振るったりはしないっ!」
フォルデノ王国に仕えていた頃、最も信頼を寄せていた友人でもある男に、その酷い剣技をさせている事に苛立ちを感じ始める。
斧で受けるまでもない………そんな気持ちすら起きない亡者の剣。
「可愛いそうに……。天国から呼び出されて魂ごと操る。何て惨い事を」
リイナも聖職者として許しがたい行為だと思ったが、それ以上に回る知恵が仕事をする。
「そ、そんな事を出来る奴がいるというのか、一体誰が?」
「恐らく最後のヴァロウズ、もの凄い闇を感じるの………」
父の問いに答えるリイナは、目の前にいるバルトルトではなく、地上から感じるドス黒い闇にその身を震わせた。
リイナのその態度に戦慄を覚えるジェリド。
何とも親馬鹿な事だが娘は精神力も純粋な力も、その全てが増して今やこのアドノス最強の司祭と言っても過言ではないと思っている。
然しそれが子猫の様に震えているのだ。そんなとんでもない相手とドゥーウェンやガロウ達は、自分やリイナなど………何よりもローダとルシアすら抜きで戦っている。
一刻も早く駆けつけてやりたい処だが、この地下牢の奥で話をしている老人がそれを許さない。一体何を話しているのやら………。
「リイナ、辛そうにしている処を済まない。俺はもう彼を絶つ術を持たないのだ。お前の命すら救ってくれたこの大切な戦友を殺める事は到底出来ん」
(父さん……)
曇った顔の父に頭を下げられた娘は頷くと、戦の女神への祈りと共に詠唱を始める。
「戦の女神よ、アン・モンド・プリート、この者の魂を在るべき世界へ『救世』」
リイナの詠唱は最後まで静かで、そして荘厳に満ちていた。
オレンジ色の暖かな光に包まれながら、バルトルトは影も形もなくその場から消え失せた。
「スマンっ……」
「いいのよ、何も言わないで………」
ジェリドが目に涙を滲ませて膝をガクリッと落としてしまう。
そんな父の大きな身体をそっと優しく抱くリイナ。父は娘の中にある妻を感じ取った。
「ほ、本当に許せん………バルトルトは我々を殺すために此処に寄越した訳ではあるまい」
(当てつけ……)
浮かんだ言葉をリイナは口にするのを止めた。父が自分のか細い腕の中で、怒りに震えている。
「例え神でも………いや神に近しい存在であろうとも、こんな行いをして良い訳がないっ!」
怒りを溜めた拳を石床に叩きつけ、そして戦友のために慟哭するであった。
◇
場所を地上の戦いの場に戻す。ドゥーウェンとベランドナの二人、それを一人で相手取るヴァロウズ4番目の女魔導士フォウによる争い。
扉の力で動いているらしい物理攻撃を防ぐコルテオに対し、全力のベランドナをぶつけることで対処を試みるドゥーウェンである。
「貴女のそのコルテオとやら………それって言わば私の爪の下位互換みたいなものだ! そんな物に屈する訳にはゆかない!」
「これはこれは言ってくれる………だが扉の力は効かぬ。そう言ったのは貴様自身ではないか学者」
珍しくドゥーウェンが気を吐いて、この争いの決着をつける覚悟を告げる。
コルテオをベランドナの攻撃を抑えるために使い尽くしているフォウ。けれど敬愛する主が与えてくれたシールドさえあれば、優位は我に在りと思っている。
「そうですね………それは今の処、正論です。しかしッ!」
眼鏡の位置を直しながらドゥーウェンはニヤリッと笑う。
「私も例の力を使えるとしたら、果たして笑っていられるかな?」
「何っ!?」
笑みを浮かべるドゥーウェンに、ようやくフォウの顔色が少々青ざめる。
「し、しかしそれとて扉の力の延長に過ぎない筈だ」
「どうでしょう? 勝負事は蓋を開けるまで判らないものですよ?」
努めて平静を装うフォウ。それに対してドゥーウェンは、少し斜に構えて相手を覗き込む。
「クッ! 学者が下手な博打を打つというのか? その前にもう一度、我が術を…………」
最早語るまいとばかりにフォウは詠唱の準備を始める。恐らく先程オルディネを破壊した術であろう。
「AYAME Ver2.1 アイリスッ!」
片腕を大火傷して満身創痍であった筈のドゥーウェンが、胸を張ってそう叫ぶ。AYAMEのバージョンが違う事をあえて誇張する。
ドゥーウェンの全身が真っ赤に輝く。しかし彼は既に自由の爪という扉の力を奮っている。これより上があるというのだろうか。
「もう止まらぬっ! マー・テロー、暗黒神よ、その至高の力であの者に裁きの鉄槌を! 『神之蛇之一撃』ッ!」
器用にもフォウは、コルテオでベランドナのレイピアによる攻撃を受け流しつつ、自らの両手で2つの大蛇の影を作り、それを一つにして飛ばしていく。
対するドゥーウェンはオルディネを先読みで、あえてそれにぶつける。
「なん、だとっ!?」
「フッ、このドゥーウェンに同じ技は二度も通じぬっ!」
驚くフォウを他所に、ドゥーウェンは何か台詞めいた事を決め顔で言う。何故かベランドナの目が妙に冷たい。
「その術、加えてその前の火炎の術………いや違うな、貴女がこれまで見せてきた術は、全て今の私には通じない。そう忠告しましょう!」
「なんだ、そんな事か。ヴァロウズ4番目の優秀な私が、他に術がないなどと思われるのは心外だな。それに貴様の自由の爪とやら、赤く変化した以外は何も変わらぬ様に見えるのだが?」
「………見た目だけで判断するとか、仮にも頭脳で戦う輩のやる事ですか?」
堂々とした態度を崩さないドゥーウェンに対して、フォウは自らの手札がまだある事を堂々と明かす。
守りに費やしていたオルディネを全てフォウへの攻撃に回すドゥーウェン。これで彼は裸も同然の守備力しかない。
「けれどそうではないか? 貴様の様な出来損ないの扉使いというのは、選んだ一つの力しか使えぬと聞く…………」
「………仰る通りです」
「それに比べたら此方は借り物とはいえ、ルイス様から頂いた力を無尽蔵に使えるのよ? 今からでも此方側に戻って来た方が利口じゃなくて?」
フォウが未だ上からの態度を崩さずに語る「選んだ一つの力………」、ドゥーウェンに取ってはそれが自由の爪のことであり、その定義はアイリスのバージョンを上げた所で変わることはない。
それがフォウが強気を貫ける要因なのだが「貴女の術は二度と通じぬ」と嘯ける動機は一体何なのであろうか。