第16話 師の真実に青ざめる学者
壮絶なカノン攻略戦が無事勝利に終わった。
サイガンが言っていた「万が一命に関わりそうな事が…………」は誰にも訪れることはなく、転送の術の逆を使い無事帰還を果たすことが出来た。
ただ一人レイという異物が混じっていたことに、皆の帰りを待っていたサイガンは、脅かされる羽目となった。
◇
「もう、まだ起きないの? 随分と朝寝なのね」
ルシアが彼氏の寝顔を覗きこんでいる。「もう……」と言ってる割にその顔は穏やかに笑っている。
起こさない様にそっと頬を人差し指で突いてみる。
(全く………呑気なものね)
そう思いながら自分の下腹部を愛おしそうに撫でてみる。
あの初夜の翌朝、遅い朝食を取りに来た二人は、リイナに遅刻の理由を問い詰められた。ルシアが正直に打ち明けると、妹は顔を真っ赤にしてその場を後にした。
リイナに話したが最後、二人の仲は瞬く間に全員へ知れ渡ると思っていた。
けれど意外にもこの件に関してリイナは、何故か口を開こう事はしなかった。理由は良く判らない。
でも結果は同じであった。そもそもこの二人、その関係を隠そうとはせず、寧ろ普通に振舞った。
それに周りの連中は、リイナを除けばこの二人より余程大人だ。若いのに今まで良く我慢したものだと思われたらしい。
何故かプリドールだけは少し面白くなさげ顔をしていたが、別に二人に対するやっかみという訳ではない。
そんな次第で二人は公認の仲となった。ただまさかカノン攻略の前に、その先まで進むとは想像出来ていなかった。
ローダが突然、寝ているルシアを抱き締めてきた。
「何よ、貴方いつから起きてたの?」
「だってさ……」
文句を言う割には抵抗をしないルシア。対するローダが子供のように口籠る。
「ん?」
(いや、可愛んだが……)
そのままルシアは、ローダの返答を黙って待ってみる。
「こ、この間のお前、やばかったから……」
実に小さく歯切れの悪い声で、ローダは良く判らない事を言う。
(こ、この間、何時? 一体何の話?)
ルシアには思い当たる節が在り過ぎるらしく要領を得ない。取り合えずとぼけたフリをする。
「いや、本当に俺、どうにかなってしまうかと……」
(えっ? えっ? えっ?)
「あ、あれは……アハハハッ、流石にちょっと調子に乗り過ぎ……」
「………はっ?」
慌てて弁明をしようとしたルシア。ローダが驚きでそれを遮る。
「へ?」
「………いや、だからこの間の戦闘でルシア、ボロボロだったから1対1勝負だって言い切ったとはいえ、流石にどうにかなりそうだったって話なんだけど……」
どうやらローダはカノンでのティンとルシアの戦闘を回想していたらしい。
一方全然違う事を思い返していたルシア。真っ赤にした顔を、枕に埋めて隠そうと躍起になる。
「ルシアが負けるなんて思っちゃいない………でも幾度も危ない目にあってたし……。万が一の事があったら、もしお前がいなくなったら俺……」
ローダが再びルシアを抱き締める手に力を込めた。
(ローダ………貴方ったらやっぱり可愛い)
ルシアはローダの腕をなるべく優しく振り解くと、ベッドの上に胡坐をかいた。そして微笑みながら愛しい彼氏の頭を自分の豊満な胸に抱き寄せる。
「大丈夫、私は決していなくならないから。そして貴方も死なない。私のあの時の声、聞こえたでしょ?」
「あ、嗚呼………とにかく無我夢中だったから一体何が……って感じだったけど確かに聞いた。そして心穏やかなまま、まるでアイリス……違うな、それ以上の力が出せた気がするんだ」
寝ぐせだらけの頭を愛おしそうに幾度も撫でる。「あの時の声………」とは語るまでもなく、緑色の輝きが運んだルシアの想いだ。
ローダも確かに感じていた不思議な力。アレがなかったら自分はトレノに敗北し、今頃黄泉の国の住人であったかも知れない。
サイガン達に解析を依頼はしている。だが未知の領域が多過ぎるのか、明確な解答を未だ得られていない。
それはそれとしてローダも暫くは、大人しくその幸せに浸っていた。しかしもう一つ上の幸せが欲しくなる。
不意に彼女の両肩を握り、そのまま体重を押しつけて倒し込む。未だに彼は、下の方に潜む幸せの存在を知らされていない。
「もう、初心だった騎士様も、随分と生意気な事をする様になったものね」
ルシアが顔を赤らめながら彼の胸の中で文句を言う。けれど相変わらず口だけで抵抗はしない。
「でも、嫌いじゃない?」
「だ、黙りなさい……あっ…コラッ……」
ルシアの騎士は、少し強引に彼女の唇を奪うのであった。
◇
一方、フォルテザの砦、最下層の牢屋部屋では、サイガンがドゥーウェンに新たな秘密を明かしていた。
「な、何ですって!? で、ではルシアさんは…………」
「うむ、そういう事だ。これがあの時の力の真実らしい」
実の処、サイガンには既にそれなりの解答が得られていた。それが既にルシアには語られていたらしい。
驚いて顔を曇らせるドゥーウェンを他所に、サイガンの方は真顔である。
「か、彼女はその事を………そしてローダ君は?」
「無論、娘は知っている。そして彼にはまだ知らせていない」
自分が汗をかいている事に気づいていないドゥーウェン。どう今の気持ちを言い表せば良いか判らぬのだが、身体の方は心拍値が上昇し明らかに狼狽えている。
「そ、そんな!? 幾ら何でも酷過ぎやしないですか?」
これまでドゥーウェンは、尊敬する先生のする事に対して、驚きこそあっても反発は皆無であった。
然し今初めて、その自らの枷を破りたくなってきた。
するとサイガンは、そんな弟子の気持ちを汲んだかの様に突然深々と頭を下げた。
「………先生!?」
「済まなんだ………とにかく今言える事は、この老いぼれを信じて欲しい。ただそれだけだ」
頭を垂れたままの姿勢で告げるサイガン。
土下座とは相手に有無を言わせず、自分の意見を押し通す一種の暴力であるという話をドゥーウェンは、思い出していた。
◇
「フフッ……そうか、あの力は………やはりアレは鍵だった」
誰にも聞こえない筈の会話を遠く離れたフォルデノ城中で聴いていた男がいた。マーダ………いや、今はルイス・ファルムーンである。
「ルイス……様?」
相変わらず傍らにいるヴァロウズ4番目の女魔導士、フォウが彼の疑問に気づく。ルイスという呼び名にまだ慣れていない。
「フォウよ、いけるかい? 今すぐにだ」
「わ、私ですか?」
ルイスは質問を質問で返しながら突然立ち上がる。自身の左肩に触れると何処からともなく、黒い鎧に黒いマントが被い、いつもの装いとなった。
一方フォウの方は、相変わらずの全裸であり、準備をさせて欲しいといった体で慌てるのだが、そんな彼女にルイスが右手をかざした。
フォウの服装もあっという間に、いつもの黒づくめになった。加えて肘、膝、手首、首回り、胸には金色の防御兵装らしきものが追加されている。
さらに魔法の杖の代わりに腰にはレイピアと、両脚には金色の6本のナイフが革製の鞘に納まっている。
それらには上級魔導士であるフォウにすら解読出来ない言語が刻まれていた。
ご丁寧に紫の紅とアイシャドー、ネイルすら塗ってある。
瞬時の出来事にフォウは戸惑ったが、直ぐ主の前に跪く。
「み、御心のままに………」
準備さえ整っていればルイスの意志がフォウの意志だ。そこにもう迷いは在り得ない。
「そして一番目よ。君もだよ」
ルイスが誰もいない所に向かって呼び掛ける。すると壁の装飾が変化して、人らしき姿が浮かび上がる。
「この城で迎え撃つ算段だったのでは?」
不思議な声……まるで二人の者が同時に喋っているかのようだ。背中には蝙蝠の様な赤い羽。
黒のシルクハットを被り、タキシードを羽織る。両目を赤い仮面で被っている。
全ての爪が指と同じ位の長さに鋭く伸びている。背は高いがその線は細く、一体何を持ってして戦うのか得体が知れない。
(あ、あれがヴァロウズ1番目の実力者『ノーウェン』か。何だあのふざけた格好は? まるで道化ではないか?)
フォウの第一印象はこんな感じ。好き嫌いで言えば嫌い、嫌悪の表情で初見のナンバー1を一瞥した。
「状況が変わった、アレを奪いに行く。これ以上、アレと弟を捨て置く事は出来ないよ」
今までエドナ村での戦い以降、自らは決して動かず、サイガンの居所が知れた時にも泳がすと言ったルイス。
いや、あの時はまだマーダの意識の方が色濃かったかも知れないが。
普段は全てを余裕で見下ろす男であるが、珍しくその声に棘がある。
「恐ろしいマーダ様、委細承知致しました」
ノーウェンは右手で顔を隠しつつ、昔の名で返した。ルイスは気に留める様子もない。
「往くっ!」
ルイスは一言だけ告げると、何の詠唱もなしに自らを含めた三人を光の矢に変えて、天へと舞い上がった。