第14話 温かな輝きと共に葬送する楼雫(ろうだ)
ローダは既に二度もトレノこと河南士郎の命を奪えるタイミングを自らフイにしている。一度目は脇差の峰に剣を流して首を狙った時。
二度目はガロウからコピーした技、示現真打・櫻打による胸を強打した際だ。
何れも殺す気を用いていれば、それで決着はついていたのだ。
「……判ってくれ、俺は殺したくない。いや、殺せないんだ」
先程までの堂々たる振る舞いから一変して、ローダは顔を伏せてしまった。勝ちがほぼ見えている人間のする事とは思えない。
「可笑しなことを言う、この胸の傷とてどの道もう助からん…………第一だったら何故その手に剣を握る?」
「俺は…………今のマーダ、いやルイスすら止めなければならないんだ、殺すことなく………」
満身創痍と言って差し支えない士郎が、怒りに任せてローダの矛盾を追求する。剣こそ青白いがその顔は怒り色に染まっている。
言葉に詰まるローダの答えを聞いた士郎は、声高らかに笑い飛ばした。
「そうかそうか………だから前座である俺如きは、懐柔して然るべきと言いたのだな? 戯言を言う」
「………それでも俺はやらなければ。それに実の兄を斬れるものかっ!」
手を叩いて士郎はローダの覚悟を称えて………いる訳がない。すっかり呆れて煽りを入れているのだ。
ローダとて自らの言ってることが可笑しいこと位、重々承知している。拳を握りしめ、ぶつけようのない怒りに震えていた。
「最早、禅問答は無用、俺はマーダ様のために戦っている、それを貴様は無駄だと愚弄した。その罪、命を持って償って貰う!」
「なっ!?」
士郎は刀の刃の部分を素手で握り、何と自分の胸に刺した。その奇行とも取れる動きにローダは驚愕する。
(自決? いや、違う………)
即座にガロウは、士郎の目論見を理解した。一見自ら命を絶とうした行為で、胸の傷口を凍結させ出血死を遅らせたことを。
「ローダッ、気をつけろッ! そいつまだ終わる気はないッ!」
ガロウの叫び声が飛ぶのよりも速く、士郎は地面に向けて凍気の刃を放った。その先にいるのは、傷の治癒をしているリイナと、深手を負って気を失ったルシアだ。
「よ、よせ! 止めろッ!!」
それを見たローダはアイリスによる速度の底上げを存分に奮い、その凍気に追いついてロングソードで弾き飛ばした。
アイリスの能力増加をフルに発揮すればこの位のことは容易い。
「どうだ………貴様はこれでも戦えないと言うのか?」
「……………ッ!」
士郎が刀をローダに向けて冷笑する。対するローダは無言で剣を握り締め、次に歯を喰いしばる。
「殺らねば貴様の大事な女の命が散るだけだッ!!」
「……判った」
士郎の怒鳴り声の後、ローダはポツリと呟いた。その小声とは対照的に、ローダの全身の輝きはこれまで以上で、燃えさかる炎の様である。
「………お前は殺す」
「それでこそだッ!」
ローダが士郎の真正面を向いて、両手の剣を逆手に構えた。加えてその二刀を振るいながら真っ直ぐに突出する。
士郎は舌舐めずりをすると、何と自らの右腕を斬り落とした。
「「なっ!?」」
ガロウとジェリドがその尋常ならざる行為に絶句する。
士郎の右手は瞬く間に凍りつき、そして刃の様な形になった。左の刀は逆手のままだ。
「な、何と! あれで二刀に対するというのか!?」
(何という執念の塊!)
ジェリドは士郎という男を過小評価していたと思い知った。自らの技と能力に溺れ、必ず首を狙うなど強いが故の驕りがあると思っていた。
ローダの覚悟が足りねば下手をすると、此処から結果が覆る。
―急ぐのです、ローダさん。間もなくアイリスの時間が終わります!
ドゥーウェンも焦って心の声を飛ばす。
「「はぁぁぁぁぁっ!」」
ローダと士郎………互いの声と意識が戦いを呼び、それが剣となってぶつかり合う。
ローダが左右の逆手に握った剣をまるで殴る様なモーションで繰り出す。士郎も左手の刀と刃となった右手で応じる。額をぶつける程の間合いだ。
一見互角、けれどやはり士郎の傷が深い。言葉通りの手刀にヒビが入る。
「終わらんッ!!」
手刀をローダの右肩へと繰り出す士郎。チタンで出来た鎧すらも斬り裂き、ローダの肩から血が吹き出す。なれど同時に士郎の手刀は砕け散った。
此処で遂にローダの赤い輝きが完全に失われた。
「恐らく剣士としての底力は士郎の方が上だろう。だがアイリスとやらの力をフルに活かせば今の攻撃で墜とせた筈だ………」
「あの馬鹿………結局本気を出せなかった?」
ジェリド、ガロウ………そしてローダの戦いぶりに見てる誰しもが落胆した。
(や、やはり俺には出来ないのか…………)
落胆したのはローダ自身も同然であった。赤い輝きが鈍るのと共に、ローダの殺る気もさらに削がれてしまった。
―…………ローダ、ローダ。
不意にローダの心の中に直接声が響いてきた。接触かと思ったがそうではなかった。小さ過ぎて誰の声なのか判別出来ない。
―ローダよ、そいつを救ってやれ。
(………ガロウ?)
―お前にも判っているだろう。彼は彼女の所へ………両親の元へ逝きたいのだ。
(………ジェリド、アンタなのか?)
―そうだ、さっさとソイツをあの筋肉女の所へ送ってやりな。
(………レ、レイだと?)
―ローダ、生かすだけが救いなんかじゃあない。
―お前のエゴでこれ以上苦しめるのは止めるんだ。
(………ランチア? プリドールまで?)
ローダに仲間達の声らしき全てが響き、幾度も反響する。
さらに全身から消えていた赤い輝きが緑色の輝きとなって再び散り始める。
(こ、これは? この温かな光は一体!?)
緑の輝きは強さを増してくる。そして失った筈の力が再び溢れて来る。
―ローダさん、貴方にはもうすべきことが見えている。
―そう、マスターの言う通りです。もう悩みを抱えていないでしょう。
(ドゥーウェン? ベランドナ?)
「ローダ兄さま、皆の声が……想いが届いているのでしょう?」
穏やかな顔つきでリイナは立ち上がった。ルシアに施した回復の奇跡が終わったのだ。
そしてこの地球上で誰より愛しい存在がゆっくりと目を開いた。
「ローダ、帰って来て。私の胸に!」
ルシアはゆっくり立ち上がると、微笑みと共にローダに向けて両腕を広げた。そこからローダと同じ緑色の輝きが、渦を巻きつつ飛び出した。
「な、何だこれは!?」
二人の輝きは士郎の驚きすらも優しく包み込む。そして敵である自分の身体の痛みすら消えてゆく事に言い表しようのない気分になってゆく。
(と……父様、母様、ティン!? こ、これは一体?)
士郎の目には散り散りであった緑色の輝きが一瞬形を成して、河南一誠、エレーヌ………そしてただの戦友だと思っていたティン・クェンの屈託のない笑顔にすら見えた気がした。
ローダは我を取り戻すと左手の脇差を鞘に納め、両手でルシアがかつて用意してくれたロングソードを握り締めた。
「士郎、これがお互い最後の一太刀だ。そしてお前をトレノとして、あの女戦士の元へ必ず送る」
(………ジオ、お前の声もリイナを通して確かに聞いた)
ローダが勇気の剣を最上段に構える。それを見た士郎は自然と微笑みを浮かべた。冷笑ではなかった。どこか清々しく穏やかである。
(………こんな笑い方、俺にも出来たのだな)
士郎は笑い方もだが、そもそもこんな事に気づいた自分に驚く。今なら相手と同じ道さえ見える気がした。
(だが……それは違う)
士郎も刃こぼれしたボロボロの氷狼の刃を得意の最下段に構えた。此方は最早、左手しか残っていない。
暫く見つめ合う二人………そこには憎悪や殺意が渦巻いていない。まるで同じ道場に通う親友同士の様にとても晴れやかな気分だ。
次の瞬間、どちらかが最期を迎えるなどとは、到底思えない。
しかも周りの連中も穏やかな顔つきでその行く末を見守る気分なのである。
近くに花など咲いてはいないのだが、花びらが宙を舞い、そして地面に落ちた。互いにそれが合図と決めていたかの如く、同刻《同時》に動いた。
「河浪流『陸天白牙』」
「『楼雫』」
お互い技の言い合いまで同刻かつ穏やかである。文字通り士郎の刃は、足元から天高く跳んで行く白い狼を思わせる太刀筋であった。
対するローダの刃は、どんな山岳より高い所から落ちて来た一粒の雫。たった一つの雫なれど、それは神が落とした慈愛に満ちつつ慈悲の無き一閃。
それは士郎の剣ごと相手を紙切れの様に斬り、首元から袈裟斬りにした。
凄惨な死体が転がるかと思いきや、真っ二つに裂かれた身体は一瞬にして凍りつき、美しい氷像の様になって地面へと落下してゆく。
これはローダの力によるものか、士郎の最期の力によるものか。その真相は定かではない。
地面に落ちた氷像は砕け散り、トレノの母エレーヌの故郷に降る雪のように輝いた。
(扉の剣士よ、心底感謝する。ティン……お前は地獄か? いや、願わくば煉獄で罪を償う機会が欲しい。フッ……俺らしくもない)
ローダには士郎………いや、トレノの魂が飛んで行く所が見えた気がした。剣を天へとかざし、勇敢なる剣士への弔いとした。