第11話 女同士意地の張り合い
アイリスとやらを発動させたルシアだが、最初に攻撃を当てる好機に恵まれたのはティン、右の大砲がルシアを捕えた………かに見えた。
「なっ!?」
だが気がつくとそれは宙を殴っていた。
(馬鹿な!? 直撃する筈だ?)
相手は先程、肋骨を二本折った。第一その前の戦闘でも、脚を使えず上半身の身のこなしだけで此方の攻撃をかわしていた。
それが今になって自分の打撃を瞬間移動の如く、全身で避けたのだ。
「………諦めなさい、こうなったらもう止められない」
(う、後ろだと!? 避けるどころか?)
ティンの後方から鋭く声で制するルシア。
驚きつつもティンは、何とか振り返り、意志というより反応だけで取り合えずパンチを繰り出す。
最早そこに型など存在しない。けれど相変わらずルシアは全身で難なくかわした。
「な、何の真似か知らんが、避けるだけでは勝ちにはならんぞ!」
(そうだ、此奴痛みでパンチが打てない筈だ!)
ティンは冷や汗をかきつつも、とにかく先にこちらのパンチさえ当てれば勝ちだと自分に言い聞かせながら必死にもがく。
「そ、そうか。お前に遂に《《飛んだ》》な? 遂に拳闘では勝てないと踏んだ訳か」
ティンはそう言いながら苦笑いしてみせる。そうとでも思わなければ、この動きは説明がつかない。
ルシアの足が動いている様には見えないのだ。ただその割にはさっき真後ろにいながら何も仕掛けて来なかったのが解せない。
対するルシアは実に冷やかで、表情を崩さずに、相変わらず全てのパンチを全身でかわす事を決して止めない。
(何だろう……さっきまでの痛みが消えて、それどころか寧ろお腹の下から上がって来る温かみは一体?)
命の削り合いをしている筈なのにルシアは、こんな思いにふける。心はとても穏やかであった。
(そうか、これはあの人の想い。この温かみは貴方の優しさそのもの…………ありがとう………でも今はその思いを断ち切る時よ)
何かを決意したのかルシアの全身の赤い輝きが増してゆく。
「貴女の命! 今、天国に導いてみせるッ!」
「クッ! まだ残していたのかっ! いいだろうっ! この命果てる迄付き合ってやるだけだ!」
ルシアはまるで軍神が如く、その声を大にした。加えて拳を繰り出し攻撃を再開した。
ティンも負けじと声を大にし、寡黙に戦うのを止めた。彼女とてルシアがまだ終わりでないこと位、嫌というほど判っていた。
パンチを出せない相手がこんな動きを出来る筈がない。両腕を上げて、改めて仕切り直しとばかりに、無我夢中で叩き込んでいたパンチを一度止める。代わりに脚を必死に動かした。
完全に形勢が逆転した。ルシアがティンの周りを蜂の様に周回しながら、全周囲からのパンチを左右上下に散らしながら放つ。
ティンはそれらを被弾しつつも急所だけは守りながら、必死に耐えてみせる。
(ゼロ……いや、全盛期のジェシーより速い。しかもさっきより速い上に重いだと!? 何て奴だ! だがっ!)
被弾しながら再び師匠の記憶を炙り出されるティン。若き日の師匠を完全に凌ぐ力に驚きを隠せない。
「あの学者野郎、確かに言ったよなあ、せいぜい5分だってなっ! つまりそれに耐えれば俺の勝ちだろう………違うかい?」
ティンがパンチの代わりに声で揺さぶりをかける。我ながら姑息だと認めざるを得ない。けれどルシアは動じることなくスピード地獄を決して止めない。
(それにしても此奴未だに拳闘でケリをつけるつもりなのか? だったら俺にもまだ《《仕事》》があるんだ!)
ティンがパンチを止めて脚に仕事をさせているのには訳がある。その証拠に完全に背後を取られたのはさっきの一度きりで、後はルシアのパンチを全て正面で受けているのだ。
(えっ?)
ルシアの右頬が気がつくと歪んでいた。痛みもあるが、ジャブ? ストレート? 一体何を貰ったのか判らない驚きの方が大きい。
後ろに吹き飛び倒れるが、直ぐに起き上がり戦線に復帰して、再び速度違反のパンチを繰り出す。
そして再びティンは貝の様にガードを固め上体を揺らしながら受けてたつ。
たった一発のパンチだ。だが判らないまま貰ったものが、ルシアの脳裏に微弱な毒を回している。それが彼女の注意力を削いでゆく。
「うっ!」
ルシアが再び右頬に貰ってしまった。今度は何を貰ったか流石に理解した。左の大砲、ルシアの右ストレートに合わせたカウンターだ。再びルシアの口から血が滴る。
「どうだ、ボクシング素人のお前にも流石に判っただろ?」
相変わらずルシアと正面を向き合ったまま、ティンはニヤリッと笑った。
「スイッチの繰り返しだ!」
「………スイッチ?」
ルシアとティンの戦いを遠くから眺めていたランチアが腕組しながら言ってのけた。判らないプリドールが疑問を投げる。
「両利きって事だよ。あのデカい女の脚をよく見な」
「え? ………ふ、踏み込む足を交互に変えている」
プリドールは注視したが正直理解出来ないので、取り合えず見たままを口にしてみる。
「判ってんじゃねえか。そもそもあれがルシアの超高速フットワークに対して常に正面を向いていられる証拠だ。あの女恐ろしい速さで利き足を変えている。ああする事で、力が入るパンチも交互に入れ替わるんだ」
ランチアがボクシングを知らないプリドールのために、自らの手振り身振りで説明する。
「右利きにも左利きにも成れる。それをあの女はルシアのあのフザケタ速度に合わせながらパンチを打てるんだ」
「な、何となく判ったが………ルシアの右に合わせて左を被せるんだろ? 判ってりゃルシアだって同じ事を返せばいいだけ……」
自分の発言の矛盾さに気がついたプリドールがハッとする。
「それが出来ないから速度で圧倒しようとルシアは頑張ってる。多分あのデカブツ女と対峙した時から判ってはいるんだ。髭のオッサンもさっき言ってたが拳闘に拘っていたら、あの姉ちゃんやべぇぞ」
(さて………どうする?)
ランチアは腕組みをしながらルシアの次の一手を追った。
そんな周囲の心配など他所に置いて、ルシアが再び赤い輝きを残しながら、一直線に向かっていった。
「そのまま行くっ!?」
「流石に無茶だっ! 何をそこまで拘ってんだっ!? 精霊術を使う暇もないってかっ?」
その痛々しさにプリドールが両手で目を被う。もういつもの通りに炎の精霊を付与して殴ってしまえば勝てる筈だ。
常に戦いにおいて優位性を保とうとするランチアの理解の範疇を超えていた。
ルシアはティンの真正面から高速移動で左に移動し、仕掛けようとする。
然しティンはやはり真正面でこれを受ける。ルシアはまたも上下にパンチを散らす。
ボディへのパンチは諦めて、ティンは顔狙いのパンチだけを防ぎつつ、既に痛めつけている左脇腹を狙うがこれは身体ごと避けられた。
(そうだろ、そこには流石に貰いたくないよな。後は台本通りだ)
ティンは心中だけでほくそ笑む。加えてまたも被弾覚悟で顔を狙ったパンチを放つ。
ルシアの動きはまだ速く、やはり身体毎右にかわして、ティンの顔を狙って連続の左ジャブを叩き込もうとした…………が、身体が何かに詰まった。
「い、いかんっ!」
それを見たランチアが思わず身体を乗り出す。ルシアの動いた先、そこにはローダが先程斬り捨てたゴーレムの残骸が転がっていた。
「貰ったあッ!」
ティンは全てを捨てて相手を此処へ誘導していたのだ。そして左脚を軸にしてアッパーを叩き込んだ。
これをルシアは避けられず、まともに貰った。身体がくの字に曲がり、吐血する。
なれどルシアがニヤッと笑った所を、ティンは見逃さなかった。
どうしようもない未来が、死神の鎌を奮って襲いかかる。