第9話 渾身の反撃と氷狼の刃
ルシアが圧されているのは誰の目にも明らかに見えた。拳を交わしているティンは顕著にそれを感じている。
「強がってんじゃあねえよッ!」
ティンが再び間合いを詰めて近接攻撃に持ち込んで来た。近寄って一気に勝負を決める腹づもりか。
ルシアも脚で逃げるのは諦めて、首と上半身の捻りだけで、ティンの猛攻を巧みにかわす。
加えてとにかくジャブを連打し弾幕を張る。これ以上、腕で受けるのは危険だ。ガード越しでもダメージが蓄積されるのが目に見えてる。
(これだけ寄せられると、拳に精霊を付与する暇もない。守りの精霊札を仕込んで置いたのも残り僅か、どうするルシア?)
ルシアは心中で自問自答する。
(大丈夫っ! まだやれることは残っているのよっ!)
ルシアが左ジャブの速度をとにかく上げてゆく。傍から観れば形勢が逆転したかの様に見えるかも知れない。
(クッ! まだギヤが上がるのか? だが判っているぞ、もう脚が動かないのだろ?)
これにはティンがガードを上げてブロックに転じるターンになった。
けれど彼女はまだ余裕だ。ガードの上からいくら叩かれようが造作もない。後は隙を見つけて決定打を叩き込むだけだ。
(そうら開いた!)
ティンは再びルシアの脇腹に鋭いフックを入れてきた。先刻、水の精霊で防がれた側だ。しかし再び水飛沫が上がる。ルシアの仕込みも周到であった。
(読んでんだよ、それは!)
構わず寸分違わぬ所に再び同種のパンチを叩き込む。遂に水飛沫は上がらず、ルシアの左脇腹をそれは捕らえた。
(手応えあ……!?)
決まった………肋骨2本貰った、そう確信したティン。だが気が付けば自らの顔が大きく歪んでいた。
ルシアはティンのフック2連打を読んでいた。なれどあえて脇腹は犠牲にし、精一杯両脚を踏ん張り、血が出る程に唇を噛み締めながら、ティンの右頬を目掛けて、身体と腕を捻りながらストレートを放ったのだ。
それはコンマ何秒という時間の中での出来事であった。
会心の一撃を放ったルシア。然し殴った彼女の顔も苦痛に歪んだ。
(わ、脇腹を殺られるのを折り込み済で、コークスクリューブローだと!?)
ティンも今度ばかりは、成す術なく完全に後ろに吹き飛んで倒れたしたが、意識までは失わずに済んだ。
そしてルシアは追撃を繰り出す事叶わず、地面にしゃがみこんでしまった。これが拳闘の試合なら両者ダウンを取られるところだ。
(こ、このパンチでもまだ意識が? な、なんて丈夫なの!?)
ルシアは次の一手を考えなければならなくなった。
(折られるのを判っててあんなモンを撃つのか!? 正気じゃねえ! もう技術がどうこうじゃない。認めてやるよ………アンタ、シンプルに心臓が強い!!)
「そしてジェシー、アンタを超える女が今、此処にいるぞっ!」
ティンにしてみてもこの細身の女拳闘士がこれ程にやるとは想像の範疇を超えていたことを認めざるを得なかった。
ナナリィーだった自分………ジェシーに変わった自分………。それと対峙したゼロを遥かに凌駕する相手を見つけたことにティンは目を輝かせた。
◇
「………見事!」
その戦いぶりにジェリドは、驚嘆せずにはいられなかった。
「見たかガロウよ、ルシアのあのタイミングを」
「ああ………ぶっ飛んだぜ全く。アイツ、敵の意識も視線も完全に自分の脇腹に引き寄せた上で、その外から撃ちやがった」
ガロウも拳を握り締め、興奮を抑えられない。
「そう言う事だ。ティン・クェンにとっては貰う筈がない拳。言わば見えないパンチだ。彼女はこんな戦い方も出来るのか」
(サイガン・ロットレンはこんな戦士を育てたのか? アレは本当にただの技術者なのか!?)
ルシアの底知れぬ力と共に、その背後にいる師匠の存在が信じられないとジェリドは感じた。
「だがあれでも倒せんとは。あの女戦士のタフネスぶり、尋常じゃねえな。こりゃあそろそろ、ルシアは、拳闘士としての拘りを捨てるべきかも知れないな」
ガロウはジェリドよりもルシアの強さを熟知しているつもりだ。だからこそ自分本来の戦い方に戻すべきだと思ったのだ。
そうすればルシアが後れを取る事はないと確信している。
◇
一方、ローダとトレノの争いも並行している。トレノのエストックをへし折ったローダ。剣士同士の戦いであればローダの勝利。と、言いたい所だがトレノは、寧ろこれからと言った表情だ。
「扉の使い手だと!? 馬鹿な? 我々と戦った時は加減をしたのか?」
ジェリドとリイナは、故郷ディオルの街で戦ったので、彼の力量は良く知っているつもりだ。特にジェリドは騎士として1対1を制しているのだ。
「いや、あの時は油断こそあったが、決して手を抜いてなどおらぬ。まあ、見てれば判る」
顔を向けずに言葉だけで、トレノは斧の騎士を制した。
そして腕を直角に曲げて両掌を上に向けた。先程自由の爪の力を使ったドゥーウェンの時と同様、黒い渦の様なモノが浮かぶ。そして右手の渦の中から剣がゆっくりと上がってくる。
「あれは、紛れもなく日本刀だ! ヤツは騎士ではなかったのか?」
「俺と戦った時、彼は抜刀術や鶺鴒の構えを使っていた。生まれは判らぬが、あの剣術は間違いなく侍のものだと思っていた」
その光景に侍大将は驚いた。ジェリドはディオルでの対戦を思い返しながら寧ろ納得したらしい。
「そ、そうなのか………ではここからがヤツの本来?」
「恐らくな、さらに扉でアレを出した。あれがただの日本刀の訳がなかろう」
ジェリドもガロウも今度は左手の渦から何が出てくるのか注視する。そこから現れたのは青白い巨大な狼の様な姿をしていた。
(あれは例の狼か? いや、違うな。普通の生き物ではない)
それはジェリドが引導を渡したあの巨大な狼に似ているかに見えた。けれど姿が定まらない。狼の様でもあり、氷の塊の様にも見える。
「あ、あれはもしや北欧神話に登場する氷雪の魔狼?」
リイナは見聞からそれを断定した。
「ほぅ…………まさか知っている者がいようとは」
フェンリルは完全にその姿を晒すと、あっという間にトレノの日本刀に吸い込まれていった。日本刀が青白く輝く、それはローダの右手の剣の輝きを遥かに凌いだ。
「これぞ俺が扉に望んだ力よ。『氷狼の刃』とでも言っておこうか」
トレノ、いや………士郎がこの日本刀をローダへと向ける。
「この氷狼の刃と父より継いだ殺人剣。ローダ、貴様のそのいびつな二刀で果たしてこれと渡り合えるかな?」
士郎は自らが氷の様に冷笑しながら、ローダを挑発する。対するローダは再び二刀を交差させて、その挑発を真正面から受け止めた。
「では改めて名乗りをさせて貰おう、河浪士郎………」
「ローダ・ファルムーン………」
「いざ………」
「尋常に……」
「「勝負ッ!」」
ローダは剣を交差させ、真っ直ぐに飛び、一気に間合いを詰める。対する士郎は、珍しく最上段からの刀を振り下ろした。ローダの二本の剣が、交差したまま士郎の刃を受け止める。
(速い! こんな大振りなのに!)
先ずその速さに驚くローダ、勿論それだけでは終わらない。先程までは真空の刃が斬りつける毎に襲いかかってきたが、それが青白い氷結の刃に変わったのだ。
「クッ!」
散々かまいたちを受けたローダである。何かが来るとは想像して、これはかわす事が出来た。かわされた氷結の刃は、そのまま周りの蒸気を瞬時に凍らせながら、地面まで到達した。
「良くぞかわした。だがいつまで受けられるかな?」
言ってる傍から士郎は、三連続で突きを見舞った。余りに速過ぎて、まるで一度の突きに見える。
剣そのものはローダに届かないが、やはり氷結の刃が飛び出し、真っ直ぐにローダを襲う。