第8話 剣士の覚醒と手負いの女の拳
トレノが見せつけた真空の刃。対するローダは意外にも落ち着いた反応を見せる。
(むっ、何をする気だ?)
トレノは中段、鶺鴒の構えを取った。剣先を鳥の尾の様にチラチラと揺らす。最も攻防一体の構えだ。この男とて相手を決して舐めてなどいない。
ローダが既に抜いている剣を右手だけで掴む。加えて左手で腰に差したもう一つの柄を握った。
(二刀! 予備ではないというのか?)
トレノの驚きを他所に、ローダは左の剣も一気に引き抜いた。その剣は右手の剣よりは明らかに短い。いわゆる脇差といった体。刃は片刃、少し反り返っており、波の様な刃紋が見える。
「成程、鞘にしなりがある訳だ。両刃の剣と脇差の二刀か」
そう、ローダの左手に構えた刀。それはトレノというより『士郎』の記憶が知っている日本刀そのものであった。
「ローダ・ファルムーン、参る!」
武士の様に名乗りを上げると両刀を交差させながらトレノに向かって飛翔する。あっという間にその間合いを縮め、交差した両刀を左右に開くと、左手は下から、右手は上から、トレノを挟み込む様に斬りつけた。
「そんなふざけた剣でッ!」
トレノは上の剣を右手に握ったエストック、下の脇差は左脚で、相手の左手を蹴る事で制しようとした。何とも器用な動きである。
エストックの方は、狙い通りにローダの剣を受け止めた。
しかし左手の脇差は一度動きを止める。トレノの蹴りは虚しく宙を斬る。そして再び上昇したローダの脇差は、トレノのエストックを挟撃する形になった。
3つの金属同士がぶつかり合い、そしてその内の1本がへし折れる音がした。
トレノのエストックが折れた音であった。
「くっ! なんて事を!」
トレノが止むなく折れたエストックを持ちながら後退する。もう決して還らない折れた愛剣をじっと見つめた。
「さあ、どうするエストック使い」
(………これで終わるのなら苦労はしない)
強気な事を言いつつもこの男がこれで終わるとは全く思ってはいないローダ。それに次の一手がどうなるのかまで、予想なんて出来はしない。
「クククククッ………」
(ん?)
トレノは小さく笑い始め、ローダはそれを聞き逃さなかった。
「よもや洋刀の剣士が握る脇差に引導を渡された。それもよもや二刀流とは」
「………?」
「やっぱり良いよ貴様。俺が本気を出すのに相応しい相手だ。俺のこの玩具を屠ってくれた事に礼を言わねばならん」
トレノが身体を震わせながら言い切った。勿論武者震いである。
「と、トレノ?」
「おっと、その名前で呼ぶのはもう辞めだ。伝説の人斬り『河浪一誠』が子、『河浪士郎』の本来の力。そして俺と同じ扉使いよ。此処からが本当の真剣勝負だ」
河南士郎と改めて名乗り直す。剣を折られたにも関わらずまるで上限が解除されたかの如く、威風堂々《いふうどうどう》とローダを見下す。
(不完全な扉使い………か。だから見通せない意識が存在し、それどころか此方の能力すら霞め取った)
(…………と、扉使いですって!?)
それを聞いたローダは寧ろ合点がいったとばかりに落ち着いた態度を見せる。その内容をたまたま耳に入れたルシアの方が狼狽する。
「戦いの最中、何に気を取られてんだっ!」
ティンが語気を荒げながらルシアに向かって珍しく拳ではなく、右足を大きく蹴り上げる。ルシアは慌ててそれを避けるが、何か本気ではないものをその蹴りに感じた。
(やるのか………トレノ、アレを)
実は彼女もルシアと同様に相棒の決意の言葉に意識を取られていたのだ。
「さあ、仕切り直しだ!」
ティンは先程の近接戦闘とは一変して、フットワークと長い手足を活かした攻撃を多用してきた。
ルシアを中心にサークルを描く様に動き、そして威力ではなくスピード中心の左ジャブだけをひたすら繰り出して、ルシアの動きを封じにかかる。
スピードだけならルシアの方が上だが、ジャブの破壊力ならティンの方が上だ。これに付き合うのは愚の骨頂である。
ルシアは被弾覚悟で同じく左ジャブを放ちながら、ティンとは逆の方向へ回り込み、この封じ込みから辛くも逃れた。プロボクサーの様な動きである。
然しティンはあえてさらにこのスピード地獄に再び持っていこうとする。ルシアは再び同じ事を繰り返して抜け出すだけだ。
(こ、これは……)
何度か同じことを繰り返すうちにルシアは気づいた。自分だけ、ほんの僅かではあるが、息を切らしていたのだ。一方のティンはスタミナが上なのだろう。汗一つかいてはいない。
自分はそろそろ肩で息をする手前まで来ている。
ルシアはこれまで魔法で空を飛び、一撃離脱でかつ仲間と共に戦う方法を得意としてきた。
だがこの同じ格闘術を得意とする相手の前で、あえて空を飛ぶのを自ら禁とした事で、この優位性は失われつつあった。
自分のスピードで圧倒し、先に決着をつければ良いと考え方は甘過ぎたという事もあるが、1対1の戦い……それも同等の実力者に対する経験値が不足していた。
対するティンは、ヴァロウズに入る前からこの様な対人戦闘のエキスパートであり、たまには足技も使うが、師匠直伝の格闘術はあくまでボクシングだ。
格闘術と精霊術の融合で、多勢相手を得意とするルシア。
一方、多対多の中で、自分が戦う相手を絞りこみ、1対1に持ち込んでしまうティン。
同じ格闘術者でも戦うスタイルが実は全く異なる二人であった。
(クッ、そろそろ足が……。いやっ、まだだっ!)
くたびれた足を叩きながら、自らを鼓舞するルシア。
当然ティンには見られているだろう。知った事か、限界を超えてやると思った。
当然見逃す訳がないティン。左ジャブをさらに強めながらルシアに迫る。
ルシアの方はかわすのではなく、ガードさせられる事が増えてきた。
(い、痛い!? 防御はしているのに? 同じジャブなのに?)
ルシアはこの変化にもっと早く気がつくべきであった。ティンは器用にも踏み込む足を変えていた。
ルシアが左ジャブだと思って受けていたパンチは、身体の大きいティンの体重を載せた左の大砲に変化していたのである。
(い、いけない。これはいけない、ど、どうにかしないと)
「ルシア姉さま!」
「ローダ! 大丈夫か!」
先にノヴァンとの戦いを終えた仲間達が、砦の方から現れた。リイナとガロウが真っ先に声を飛ばす。
(…………あ、アレは? ヴァロウズのトレノが飛んでいるだと?)
トレノの様子を見たドゥーウェンは、横にいるベランドナを見る。
「はい、あれは間違いなく風の精霊術であり、彼自身が術士です」
ベランドナがマスターの声を聞かずとも、言いたい事を理解して回答した。
(ば、馬鹿な………ローダ君の術を? そんな事が出来るという事は、彼も扉の使い手?)
驚きつつも戦況を冷静に観察するのだと思い直し、ドゥーウェンはノートパソコンを開いた。
「そ、そんな……お姉さまが、格闘で押されている!?」
その様子にリイナが慌てて加勢のために動き出そうとする。
「「手出し無用!」」
ルシアとローダの声がまるで意志が通じてるかの如く重なった。
「この戦いは1対1、互いにそう決めた!」
ルシアは押されながらも、ハッキリとそう告げた。これにローダも無言で頷く。
「で、でも……」
「妹はお姉ちゃんが格好良く勝利する瞬間を見届けなさいっ!」
ルシアはさらに速く動き、まだまだやれることを態度で示した。
(ルシアさん………貴女、戦う事すら本来ならしてはいけない筈なのに……)
ドゥーウェンはルシアの身に起きている何かを知っていた。恐らくここにいる者で判っているのは、自分とルシアだけなのだろう。
此処出撃の直前になって当人から聞かされていたからだ。サイガンと共に。