第6話 雪牡丹
士郎とエレーヌを逃すべく一人残った元・人斬りの一誠。
相手は二人、当然何れも真剣。此方は一人で竹刀一本。しかもとうに前線を退いた38の老いた男である。
(随分と買い被られたものだ、なれど二人を逃がす時間位は作ってみせる!)
一誠は得意の左下段に構えた。そして物凄く威圧的な目で、二人に睨みを効かせる。
とにかく今は時間を稼ぎたい。だから此方からは決して仕掛けない。
二人の藩士は、殺気がない一誠の目力にたじろいでしまった。
「一誠よ、最早これまでだ! 大人しくそこに直れ!」
「何だ何だ………竹刀1本の男に臆する程、今の肥後藩士は落ちぶれたか?」
藩士の一人が刀を中段に構えたまま声を荒げる。けれどその声は明らかに臆していた。そんな相手を一誠は、一笑に伏すのである。
「おのれっ! もう容赦せんっ! どうせお前は打首になるのだ!」
中段に構えていた剣を振り上げて、藩士の一人が襲い掛かって来た。然し臆病風を吹かして飛びかかって来る者なぞ、一誠の敵ではない。
相手の飛び込んだ左膝に竹刀を合わせた一誠。相手の自重に一誠の竹刀の一閃が上乗せされた。
「ぐわっ!?」
竹刀で相手の膝の骨を割るという芸当を容易くやってのける。
さらに動きが止まった処へ、みぞおちに向けて突きを繰り出した。竹刀は折れてしまったが、相手の藩士を突き飛ばした。
武器を失った一誠は、相手の刀を奪おうと倒れた相手に組みかかる。だが背後から首筋に冷たい物があてがわれた。
「………そこまでだ」
いつの間にか後ろに回ったもう一人の藩士の刀であった。此方は戦況を冷静に見つめられる余力があったらしい。
これには流石の一誠も逆らわずに、両手を挙げた。
(落とすべき相手を見誤るとは………。いや、これが今の俺の程度か)
「た、頼む。息子と妻だけは。二人は何もしてはいないのだ」
「気の毒だが駄目だ。あの二人にはお前を匿った容疑がある」
後ろ手を縄で縛られながら、一誠は懇願した。実際二人は罪など犯してはいない、一誠はそう思い込んでいた。
一誠の想定していない無常な応答…………。膝を折ってやった方が、これ見よがしといった顔だ。
「か、匿うだと? 何を馬鹿な事を!?」
一誠は再び必死に抵抗しようとしたが、上半身を地面に叩きつけられた。
「に、逃げろ……頼む、逃げてくれ」
◇
士郎はエレーヌを背負いながら、懸命に家を離れようとした。だが降り積もった雪が士郎の体力を容赦なく奪ってゆく。
「士郎、もういいのです。私を今すぐ此処へ置いて貴方だけ逃げるのです」
「そんな事出来る訳ないだろっ!」
「士郎……」
父と約束した………母は俺が必ず護る。とても小さい筈の息子の背中が、今は途轍もなくも大きく思えたエレーヌ。
士郎は自分も知らないうちに、武士道だけでなく、騎士道の体現者になっていた。
「そこの二人、神妙にしろ」
逃げていた向きに二人の藩士が現れた。父を捕縛した二人とは別の輩である。士郎とエレーヌが二人だけで逃げる事を彼らは読んでいたのだ。
「くっ!」
舌打ちしながら士郎は、エレーヌを地面に降ろすと抜刀した。
初の真剣、加えて命のやり取りである。中段に構えた士郎の剣先は震え、完全に腰が引けていた。
「……お前、人を斬るのは初めてか?」
「だ、黙れっ! だったらどうしたっ!」
藩士の一人が見兼ねて声をかけてきた。士郎は懸命に虚勢を張った。
「そんな剣では人は斬れぬ。剣を捨てて投降しろ。抵抗しなければお前達を殺すつもりはない。父親と違ってな」
「な、何故父上は、斬られねばならないのだ!」
この二人に捕縛の命が下っている。しかし死罪になるとは聞いてはいない。
その事を藩士は伝えたかったのだが、士郎にとっては、寧ろ逆撫でされた気分である。
「時勢……という以外にないな」
「訳の判らない事を!!」
逃げ腰………そんなの自分が良く判っているが玉砕覚悟、剣を振り上げ藩士の一人に襲いかかった。
(………止むなき事か)
藩士が士郎に向かって突きで応戦する。それは確実に士郎の胸を一突きにする………筈であった。
確かに藩士の繰り出した突きは人を貫いた。けれども狙った相手ではない。
「なっ!?」
「は、母上!?」
歩く事さえままならない筈のエレーヌが、藩士と士郎の間に、突如割って入ったのだ。藩士にも士郎にも想定外の事態であった。
「し、士郎……」
エレーヌは吐血しながら、力無く士郎に寄り掛かって来た。
「は、母上! な、何故?」
「ぶ、武士道も、き、騎士道も、あ、あり、ません。親が我が子……ま、も、とうぜっ……」
愛する息子へ最期の言葉を告げられぬまま、エレーヌは完全に息を引き取った。
これを見た二人の藩士は剣を鞘に収めて士郎に背中を見せた。
「おいっ! 待てぇ! 俺も殺してくれぇぇ!!」
号泣しながら懇願する士郎。然し二人の藩士はまるで何も聞こえなかったかの様に、その場を後にした。
「母上! 母上ぇぇぇぇぇ!!!」
士郎はその場に泣き崩れる。真っ白な雪が、真っ赤な血で染まってゆく。まるで牡丹の花の様であった。
ようやく士郎は思い知った。母は決して弱い人などではなかった。寧ろこの家族で一番無力なのは自分であった。
いっそ自分が斬られた方が、余程楽だと思える程に胸が痛い。代わりに自分の爪を立てて血が出る程に搔きむしった。慟哭と共に……。
◇
その後、自分の無力さに絶望した士郎は、日本の中で行き場を失い、母の出身であった北欧に移り住んだ。そして凍てつく大地の中で、あの巨大な狼を唯一の友とした。
それから正に一匹狼の如く、誰にも仕える事なく、凍てつく大地の中で己を磨く事にだけに精進した。
彼の剣の実力は噂となって巡ったので、様々な勢力から入隊やら傭兵やらの要望を受けたのだが、士郎はそれらの使者を悉く斬り払った。
俺を使役したいのなら、俺より強い奴を連れて来いという事を態度で示した訳だ。
だがとうとう彼の前に黒の剣士が現れて、その圧倒的な力の差を見せつける。
マーダは士郎にとって、君主というより神に思えた。結果、彼は武士道ではなく、騎士道を歩む事となった。
◇
トレノとティン、二人を包む緑色の渦上の光が消え失せた。
「ふぅ……」
滞りなく術式を終えると、ローダは溜息を吐いた。
トレノとティンが、目を開き立ち上がる。
「どうやら終わったらしいな」
トレノが少々疲労気味のローダを見ながら呟いた。
「嗚呼、二人の深層意識、全て見せて貰った。そして俺の封印の儀は8まで解けた。悪いが今の俺は、さっきまでとは違う。これでも本当に俺とやるのか?」
(………ローダ?)
ローダの口調がとても荒々しく高圧的な態度に思えたルシア。こんな彼は珍しいとルシアは少々面食らう。
「フッ、下らん事を言うな。俺をあの拳銃女などと一緒にして貰っては困る。貴様の義は良く判った。正しい、恐らくな。だが初めに言った筈。さらに本気になった貴様と戦いたいと、それに……」
トレノが言葉に一呼吸置く。スーッと息を吸い、腹に吐き出したい言葉を溜める。
「武士は二君に仕えぬ! 我はマーダ様のために戦う!」
「あれは最早マーダではないと知ってもか?」
ローダが高圧的な態度を崩さなかった理由はこれだ。トレノは既にマーダが彼の知り得るマーダでないと気づいている。
そこに仕える意味はあるのかと説いているのだ。
「くどい!」
トレノはそんなローダの言葉を一蹴した。
「そうか、判った………貴女はどうなのだ?」
ローダはトレノを諦めてティンの方に向き直った。少し面食らった顔をした後で、ティンは大きな身体を揺すって笑った。
「それこそ聞くまでもないだろ? 俺は此奴と死ぬまで一緒だ。それに……」
ティンがルシアの方を向いて、その太い指で指す。
「お前さんの相方は、やる気満々じゃないか」
「そうね。貴女と私。これ以上ない組合せだわ」
対するルシアは両拳を力強く合わせて戦う意志を見せつけた。
「成立だな。俺と貴様、そしてティンとお前の女。邪魔は無用。どちらかが倒れるまで、この勝負受けて貰おう!」
最早言葉は不要とばかりに吐き捨てた後、ティンと背中合わせになった。ローダとルシアも自然に同じ体勢を取る。
「ティン、地獄で会おう」
「ヘッ! やる前から何言ってんだ」
「ルシア……」
「………判ってる、絶対に勝って生きる。二人一緒よ」
一瞬にして張り詰めた空気がこの場を支配した。4人の戦いが幕を開ける。