第3話 女は胸の中という死地を求め独り彷徨う
「おぃゼロ、何遊んでんだ」
「クソッ…………!」
同僚に注意されたゼロは、腹にアッパーをぶち込んだ。殴られた男は、気絶して白目を剥く。
「良し、お前らはそこの階段を真っ直ぐに降れ。私とアンタはこっちだ。こっから先、精々派手に暴れてくれ」
ゼロと同僚は2階へ、他の連中は同僚の指示通り、そのまま正面階段を下る。
正面階段に向かわせた連中こそ実は囮、ゼロ達2人が本物を墜とすという訳だ。
2階にはゼロにとって思い出深い部屋がある。けれどそこは気に留めず通り過ぎ、通路の奥、行き止まりにしか見えない壁の前へ立つ。
「……?」
「下がってろ」
同僚の男が不思議そうに見ているのを尻目に、ゼロは首にチェーンでかけた銀製の指輪を取り出すと、壁の小さな穴にそれをはめ込んだ。
すると地面の床板が勝手に動き、人間が1人は通れそうな穴が開いた。
一見何もない暗闇の様だが、よく見るとロープが1本だけ垂れ下がっている。
「行くぞ」
「え……行くってお前これだけか?」
(全く……これって手前の女を呼ぶ隠し通路だろ? こんなので女に降りろって言うのかよ、此処のボスはひでぇ野郎だぜ)
ゼロは同僚の答えを待たずに先にスルリッと降りてゆく。正直飽きれながら同僚の男もついて行った。
「どうやら招かれざる客が来た様だ。ジェシー、お出迎えをせねばならん」
「敵……ですか?」
ほぼ全裸でベッドに横になっていたボスは、スッと立ち上がりながら告げる。
同じく裸体のジェシーも立ち上がると、自分の身支度そっちのけで、ボスの服を用意し着せ始めた。
ボスは当たり前の行為とそれを受け「招かれざる……」と告げた割に悠々としている。
「敵か、そうだな。今となっては敵だ」
「えっ……」
それってどう言うといった顔をしているジェシーを尻目に、着替えの終わったボスは、リボルバーに銃弾を込めてゆく。
ジェシーの方は面倒なので下着は付けず、素のままシャツに腕を通し、取り合えずの身支度を整えた。
「来るぞ」
ボスが部屋の扉側ではなく、左隅の天井から身を隠せる位置に移動し、銃を構える。
「ぼ、ボス?」
それはジェシーにとって有り得ない準備行動であった。そんな処から此処へやって来るのは自分しかいない筈なのである。
左隅の天井が蹴破られる様な音がしたかと思うと、次は発煙筒が投げ込まれた。
(それで目くらましのつもりか?)
見えない視界など気にせずに、ボスは床に降りた足音を目掛けて銃を2発撃った。
「グッ!」
そのうち1弾は当たったらしいが、致命傷にならなかったらしい。
直ぐに返答の銃弾が飛んできた。ジェシーが装飾用の鉄製の盾を素早く取って、銃弾がボスに届くのを防いでみせる。
「フフフッ……久しいなジェシー。いや、今はゼロと言うんだったか」
盾の影に隠れながらボスは確かにそう言った。
不覚にもジェシーはボスの方を振り向くと、空いてしまった左脇腹に懐かしい痛みをモロに喰らってしまう。
けれど彼女もこの位でやられる様な鍛え方をしてはいない。盾を捨てて、両腕を上げてガードの体勢を取った。
ただ………もう信じられないと焦燥しきった顔つきである。
「へッ! アンタに取ってそれは、もうどうでもいい事だろうがッ!」
「フッ、確かにそうだな。その通りだ」
ゼロの煽りにボスは、苦笑で以って応じた。
「そしてナナリィー! お前、敵を前に背を向けるとはどういう了見だっ! 俺のパンチじゃなくて此奴の銃弾だったら、今頃オネンネだったなっ!」
「じ、ジェシー!? お前本当にジェシーなのかっ!?」
2年ぶりの自分の名前、2年ぶりの懐かしい呼び声であった。そう………自分はナナリィー。自覚するのに充分過ぎる声が飛んできた。
返答代わりにゼロが左ジャブを6回叩き込んでくる。ナナリィーを中心に円を描く様、華麗に動く。
残像がナナリィーの目に残る、ガードを上げてこれを全て防いだ。ジェシーの動きは往年時代のそれと遜色ない。
「ジェシー!? どうしてっ! どうしてまた私の前に現れた?」
「答える必要あんのかよっ!」
ジェシーが左右のワンツーを繰り出しながら、ガード一辺倒のナナリィーを部屋の隅へと徐々に追いやる。
「そんなの決まってんだろ? 生きるためさッ! お前だってそうして来たんだろうがッ!」
「だ、だからって、こんなのないっ! 有り得ないっ!」
さらにガードの上からお構いなしに右ストレートを叩き込む。そのパンチの重ささえも、とても衰えなど感じさせない。
憐れナナリィーは涙とパンチ、この両方を堪えなければならない。だが攻撃とこの事実両方を受け止めるは、余りにも酷であった。
そんな最中、ジェシーが不意にナナリィーの上半身を引き寄せた。ボクシングで言う処のクリンチの様に。
然し本来それは、劣勢の側が時間を稼ぐためにするものだ。
「喋るなナナリィー。ボスは年増の俺を棄ててお前を選んだ」
そのままの態勢で呟くジェシー。これなら小さな声でもナナリィーの耳に届く。
「……っ!?」
「仕事を失った俺は、違うファミリーに入って『コルネオ』を潰すために此処に来た。ただそれだけの事だ」
一方的に伝えて満足したのか、ジェシーがナナリィーを突き放す。加えて得意の|打ち下ろしの右をナナリィーに向かって見舞う。
ナナリィーの身体がこれに無意識で反応した。
彗星の如く落ちてくるパンチに対して、アッパーではない、下方から上方へ真っ直ぐに右ストレートをカウンターで合わせた。
これは2人が師弟時代に数えきれない程、交わした挨拶であった。だからナナリィーは、身体が勝手に動いてしまったのである。
ジェシー最大限のパンチに対し、繰り出されたナナリィーの右。完璧にタイミングのあったカウンターに力は必要ないという。
ジェシーの顎を的確に捉えたそれは、骨を粉砕するのに充分であった。
その刹那、ナナリィーは見た。ジェシーの微笑みを。
そしてジェシーはグッタリと、今度こそ本気でナナリィーにもたれかかった。
「ジェシーッ! お前まさか最初からずっとこれを狙ってっ!?」
「フフッ……最後の……最期で……ようやく心を解放出来たよ……」
口から大量に吐いた血をナナリィーに押し付けるジェシー。彼女の命の灯が今にも消えて無くなりそうだ。
「ごめんな、ナナリィー……お前は生きろ、俺の分ま……」
ジェシーが末期の言葉を語り切れぬまま、その口を閉ざしてしまった。
「そ、そんなっ! 狡い! 狡いよジェシー、ジェシィィィィーッ!」
遂にナナリィーは涙を堪えるのを諦め、流れる滝の様に号泣した。
そんな中、ボスは怪我を負ったジェシーの同僚を難なく射殺する。
「ハッ、愚かな女だ」
「ボス?」
ボスがジェシーとナナリィー、二人を交互に見ながら吐き捨てる。
ナナリィーは亡骸になったジェシーを床にそっと寝かせながら反応した。
「この女はずっとそうだった。死に場所を探していたのだ。恐れ多くも最初は私にそれを求めた。添い遂げられると勘違いしたのだ」
「…………」
呆れた意志を言葉にのせるボス。溜め息を一つ吐く。
黙って微動だにせず、耳だけをその言葉に傾けるナナリィー。
「老いてゆく女なぞ、完全を求める私には必要ない。そしたらナナリィー、お前を此処へ連れてきた。私にとってこれは大変好都合だった」
彼は冷たい笑いを浮かべながらさらに続ける。
「…………」
「だってそうだろう? 朽ちてしまう代替えを自ら連れて来たのだ。だから私は沈黙した。ナナリィー、お前が美しい女になるその日まで。そしてお前が18になった時、私はジェシーを棄てた」
「…………」
さらに沈黙を続けるナナリィー。握りしめた拳に次々と力を加え、歯も割れんばかりに喰いしばる。
「そして今になって現れた。まさかお前に死に場所を見つけたとは。これを愚かと言わずになんとすれば良い?」
ボスは言い切ってから、ヤレヤレッと言わんばかりに首を横に振った。
「おぃ?」
遂にナナリィーが発音し全てを出し切る。そのままボスの返事を待たず、全力の右ストレートをボスの右頬に叩き込んだ。
相手は所詮老人、首の骨を砕かれて即死した。
「ふぅ………どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。俺の分まで生きろ? お前を死に場所に? ……冗談じゃない」
ナナリィーがそう吐き捨てた後、激しい爆発音が木霊した。建物の外でどうやらジェシーの仲間が何かを始めたらしい。
(此処も、もう終いか……)
ナナリィーはボスの亡骸に唾を吐いてから、建物を抜け出すのであった。
◇
「死に場所か………お前もそれを見つけるためにマーダの手先になったのか?」
「さてどうだか………俺はただ戦いを求めただけだ。あと……」
意識世界の住人となっているローダがティンに訊ねる。
ティン・クェンは何かを言い掛けて言葉に詰まった。
「ん?」
「………って言うかお前聞かなくても、全てお見通しなんだろうがっ! 俺は彼奴が何だか気になるっ! 何か放っておけないっ! ただそれだけだっ! もうこれ以上は答えん!」
想いのありったけをローダをぶつけたティン。後はダンマリを決め込んだ。