プロローグ『扉』
『扉』
人は皆、それぞれ心の内に扉を持っている。
その形状は、実に人の数だけ存在する。
ろくに鍵もかけずに開けっ放しにしている者。
鋼の様に頑強で、決して開こうとしない者。
中には、牢屋の様な鉄格子で、外から開けて貰うのを待っている癖に、誰の目にもその心が透けて見えてしまうという、実に特殊な物も存在する。
しかも人はさらに自分の中に扉を増やしてゆく。
別れた恋人との思い出を封じ込めた部屋の扉。
自らのけじめをつけるべく、これまでの思い出を詰め込んで、鍵をかけた部屋の扉。
だが時にそんな部屋の扉を開け放ち、思い返してみたりする。
どんな形であれ、人は自分を保ち、時には誰かに打ち明けるために、ただの壁ではなく、そこに扉を造るのだ。
これは神が人間という実に虚ろな生き物を創造した時から存在する。
この物語は無謀にも神に異を唱え、その扉を壊そうとした、とある老人の奇想天外な人生と、奇しくもその老人の夢を叶える役目を担う青年。
さらにその仲間達による冒険譚である。
◇
とある王国の城内にある兵舎。時は深夜、日付が変わって既に2時間が過ぎている。
兵舎の中の殆どの兵達は、夢の中であった。
その建物の裏側で息を殺しながら時を待つ、頭から黒いローブを羽織った女がいた。
顔を隠せてはいるものの、白い澄んだ顔と美しい足だけは隠せない。
時を待つ者は、他にも城壁の通路に二人。一人は女と同様に黒いローブで潜んでいたが、剣の柄と鞘が少々目立っている。
もう一人は身体が大き過ぎて、およそ隠密には向かない。取り合えず、見張りの兵士から死角になる所で、ふんぞり返っていた。
そして城内の庭園の真ん中には、両手持ちの大剣を地面に突き刺し、不敵な笑みを浮かべ、漆黒の鎧をまとった剣士が堂々と立っていた。
その後ろには立派な庭木が二本、植えられている。
左の木の裏には顔色まで漆黒の男。特徴的な耳がローブからはみ出している。
右の木の裏側にはローブを羽織らず、銀色の髪を晒している者がいた。
隠れるなんて意味ねぇよと言わんばかりの態度である。
黒い剣士がグレートソードを高々と掲げる。刀身が月の明かりで妖しげに輝いた。
時は来た。兵舎の裏側では、轟音と共に火球が爆発した。兵舎は見るも無惨な姿と化した。中にいた者達の生死は考える迄もないであろう。
城壁の通路にいた剣士はローブを脱ぎ捨てて、一目散に見張りの兵士に駆け寄り抜刀した。見張りの兵士は、声も出せずに首と胴が泣き別れた。
もう一人の戦士は待ちかねた! とばかりに跳躍して見張り小屋の上から飛び蹴りをいれた。
当然小屋が壊れる激しい音が辺りに響く。中にいた兵士二人は、叫ぶ間もなく戦士の拳で頭を吹き飛ばされて絶命した。
黒い男はその目から赤い光線を全周囲に放った。当たるもの全てに風穴を空けた。
右の木に隠れていた者は背負っていたボウガンを構えて、即座に鉄球を放った。鉄球は、赤い光線が穿った穴を容易にすり抜ける。
そして寝所でワインを飲んでいた王の眉間を見事に撃ち抜いた。
黒い漆黒の夜の中、おぞましい『闇』の進撃が始まった。
◇
木こりの町は、黒い装いの連中の襲撃を受けていた。ゴブリンもコボルトもオークも、そしてそれらを従えている剣士と戦士も黒い格好をしている。
ゴブリン達が町の至る所に火を放つ。
町の戦士達、大抵の得物は斧であった。それは武器というより、普段の仕事道具を持ち出した感じである。
山の男らしく屈強な者が多く、ゴブリンやコボルト達を蹴散らしていく。
白い司祭姿の少女が神に祈りを捧げると、戦士達の身体が光を帯びた。力や心が高揚する祝福の奇跡だ。
なれどそんな強き男達に飛びかかる背の低い剣士。彼は男達の首やら腕やらを両断しながら、しかも彼らの身体を踏み台にして次々と墜としていく。
身体が小さい上に童顔なので、まるで子供に大人が、殺されていくような異様さがあった。
一方、白い鎧と、槍の様に柄の長い斧を持った中年の男は、屈強な女戦士を相手にしていた。
女戦士は武器と言える得物を持ってはいなかった。けれどその拳は、身を隠そうとする石の壁を難なく粉砕し、その蹴りはとても鋭く、仲間の男達は、頭や肩を潰されていくのであった。
◇
髭面の男は、およそ2000の軍勢の中にいた。此方は山の斜面の上に陣を構えている。よって遠くまで良く見渡せる。
此方に迫ってくる黒い塊の敵は、こちらの10分の1にも満たない程の少数にしか見えなかった。
だが悠々と向かってくるのが、とても不気味に思えた。
その中でも特に陣の中央で、黒い馬に跨る剣士が放つ匂い、戦に熟れた者には判る異臭に満ち溢れていた。
髭面の男は思う。こいつはやべぇかも知れねぇ……。
◇
若い女は一人きり森の中で、武道の型をひたすらに続けていた。
その美しい容姿から繰り出すものとは到底思えない鋭さと、だからこそ飛び散る汗すら美しいと感じる異彩さを放っていた。
その型は実に多彩で、中には飛び膝蹴りや、後方への回し蹴りといった派手な動きも存在した。
深い緑の中で美しい女性が舞うが如きその様は、実に華麗でこの世で一番美しいとされる亜人「ハイエルフ」と見間違う者もいるかもしれない。
ひとしきりの型を終えて小川に足を浸し疲れを癒していると、1羽のカワセミが彼女の肩の上に安らぎを望んだ。
綺麗な鳥と戯れる森の女性。まるで一枚の絵画の様であった。
◇
青年は養父に何度も詫びた。養母はしきりに心配したが、決心は変わらない事を伝え、やはり結局頭を垂れるしかなかった。
青銅の鎧、兄の残した古びた片手持ちの剣を腰に差し、そして小柄なリュックを背負っている。
彼の住む城下町は相変わらずの賑わいであるが、今日自分は、この喧噪を後にするのだ。
ふと店のガラスに映った姿と目が合った。自分でいうのも悲しいが、何だか頼りないなあと思ってしまう。
今ならまだ引き返せる、そんな弱気に引っ張られそうになる。だけど街を出てしまいさえすれば、諦めもつくだろう。
けれど彼にとって失われた兄は、決して諦めきれない存在なのだ。いつになるか定かでないが、必ず兄と共に再びこの街に…父と母の元へ戻ろう。
青年は誓いを立てて、足早に住み慣れた街を後にした。