山道
母方の祖父の法事に参加し、帰宅が夜遅くなった。
辞去したのは午後八時頃だったが、山をいくつも越えるような田舎からの帰り道なので、いまだ山中で車を走らせている。
本当は実家の両親が行くはずだったが、前日から都合が悪くなり、当日休みの俺が急遽頼まれたのだ。
昔ほど親戚一同の集まりを重視することがなくなり、断ればいいものをと思ったが、昔人間の両親からするとそうもいかないらしい。
だが、バスも日に一度という山深い村。
公共の交通機関より自家用車が良いと、早朝から親父の古い車を借りて出発した。
慣れない山道の運転は緊張したが、到着後は滞りなく法事は終了し、頼まれた役目を終えた。
すぐに帰るはずだったが、伯父に引き留められ、結果辞する時間が遅くなってしまったというわけだ。
時折民家を見かけるだけのくねくねした山道。運転には昼間以上の緊張を強いられていた。
注意しながら、ヘッドライトの光まで吸い込みそうな闇の中をひた走る。
カーラジオしかついていない親父の車は退屈だった。維持費の理由で自車を持たない自分には文句も言えないのだが。
多少の退屈しのぎになるだろうとラジオをつけたが、いかんせん深い山の中、電波が入りにくく、ザーザー鳴るノイズとぼしょぼしょ聞こえる声が途切れ途切れに入って来るだけだった。
ハハハ
急に乾いた笑い声がはっきり聞こえ、心臓に冷たい水をかけられたかのようにヒャッとなった。
なんだ、今の?
動悸が止まらない。
だが、たまたま笑い声のところで電波を受信しただけだ。それしかないと心を落ち着けた。
「ったく、そんな偶然、心臓に悪いよ」
俺は独り言ちて、スイッチを切った。
しばらく走った後、またノイズ混じりで途切れ途切れの話し声が聞こえてきた。
周囲はまだ雑木林に囲まれているから、受信しにくいのだろう――
ん? 俺さっきスイッチ切ったよな?
今度は冷水を背筋に伝い落とされているかのようにぞぞぞっと寒気が走る。
ハハハ
また笑い声がはっきりと聞こえた。
スイッチを切ろうと急いで手を伸ばした。電源はオンになっている。俺はスイッチをつまむとオンとオフを数回繰り返してひねり、今度は確実にオフにした。
だが、しばらく走るとまたノイズと人の話し声が途切れ途切れに聞こえ出し――
スイッチはまたオンになっていた。
今度は笑い声が聞こえる前に手を伸ばし、三度オフにした。
「早くぅ――早く山を抜けてくれぇ」
無意識にスピードを上げていた俺の目の前にいきなり急カーブが現れ、慌ててアクセルを緩めた。
「危ない、危ない」
木に囲まれた道とはいっても、そこから外れれば崖下だ。下りでスピードなんか上げていたら、ガードレールなど簡単に突き破って滑落するだろう。
「落ち着け、落ち着け」
そう言いながら深呼吸を繰り返した。
ハハハ
またも笑い声が聞こえた。スイッチはオンになっている。
もうこうなったら、スイッチは切らねえっ! 勝手に笑ってろっ!
俺は心で宣言して運転に集中した。
ハハハ ハハハ ハハハ ハハハ
ノイズも話し声もしなくなったが、笑い声だけがずっと聞こえていた。
くそ、負けるかっ。
そうこうしているうちに最後の峠を越え、道が緩やかになり、今風の住宅が増えてきた。
町に近づく頃にはラジオからは笑い声が消え、ノイズや人の声も途切れ途切れにならず、何の番組かは知らないが深夜放送のパーソナリティーが面白おかしく笑いながら番組を進行していた。
きっと、スイッチの部分が故障でもして勝手にオンになったに違いない。笑い声は――たまたま受信して拾ったんだ。でも――行きはそんなことにはならなかったけどな――いやいやいやいや故障だ、故障。それしかない。
俺は無理やり結論づかせた。
実家に着くと、両親がわざわざ起きてきた。眠たそうな目を擦っている親父にカーラジオの故障を伝えるとずっと前から壊れているという。
やっぱりそうだったかと安堵するも、さらに親父が言うにはラジオは完全に故障していて、スイッチを入れようが入れまいが、まったく作動しないということだった。
*
「ええ? これって故障のせいじゃなかったってこと? てか、なんかのはずみで直ったんじゃないの?」
「山の怪異が直してくれたとか?」
「そうそう、ラッキーだったじゃんってことで――」
「でも直ったわけじゃなかったら、怖いですよね」
「え? なにが?」
「だって怪異は山中だけじゃなかったってことでしょ。町に戻って来ても鳴っていたって――壊れているのに?
もし直ったんじゃなければ、いったい何を受信していたのかな?」
「えーっ、やめてぇ――さっさと二通目いきま~す」