第六話 厳しい暑さがまもなくやってくる
「すいませんでした!」
夕方4時半過ぎ。頭を下げ謝罪する僕。
静まりかえったテニスコートには今後の展開を見守る空気と若干呆れた雰囲気が漂っている。
「外周5周っ! とっとと行け!」
テニス部の顧問である田代先生のイラつきを乗せた叱咤がコートに響いた。
「すいませんっしたっ!!」
僕は再度の謝罪をして、足早に学校を囲む外周に向かおうとした。
だが、ここからが厄介だった。
「大体さぁ。俺が君にどれだけ期待してたかわかってるのか? 今日のお前の相手。相手校の中で一番下手な奴だったんだぞ。おまけに1年生。そんな奴に負けるか? あ? 今まで何を俺から学んだんだ?」
田代先生はずれ落ちてくるメガネをいちいち直しながらネチネチと説教を始めた。
『とっとと行け』といった言葉はもうどこかに流れ去ってしまった。
「せっかく試合に出してやった俺の恩を仇で返しやがってよぉ。この世の中はギブアンドテイクなんだよ。そんな常識もわかんねぇのか」
説教をする先生の声は、決して小さくはない。
こういう時の先生は、敢えて周りに聞こえるような声を出す。
今日の練習試合は全敗だった。
勝てる見込みのある試合は一つもなかった。しかしその結果は当然といえば当然だ。
なにせ相手はこの地区内で最もテニスの強い高校だからだ。
つまり僕だけが怒られるというのは、おかしな話なのだ。
だが田代先生としてはそうではない。
名門校と練習試合のセッティングをする苦労があったのだ。その結果が全敗。楽しいはずがない。
しかもだ。相手高校としては、うちのような練習試合にすらならない高校に来てやっている、という上から目線的な心理がある。
それもあってワンサイドな試合に対してはテニスプレイヤーにあるまじきブーイングを送るという非紳士的な態度すらみせていた。
それを見た田代先生は自分自身を馬鹿にされたとでも思ったのだろう。
そのストレスのはけ口として、もっともぼろ負けを喫した僕が矛先に選ばれただけのことだ。
とどのつまり、僕を使ってのうっぷん晴らしをしているだけだ。
そしてそんな事は部活内の生徒は皆、理解している。
当然、生徒からのウケは良くない。人心掌握術のかけらもない田代先生のやり方は、部活内だけではなく学校中の生徒から厳しい評価を受けている。ということを当の本人はまったく気づいていない。
本当に残念な人だ。
僕は一通りのお叱りを受けた後、やっと外周に行くことができた。
「……ふぅ」
これから走りこまなければならない道路にでるや否や、腹の底から大きなため息がでた。
すると背後から肩をぽんっと叩かれた。
「生人。災難だったなぁ。まあ、あれはいつもの癇癪だ。ただのとばっちり。気にすんな」
僕のクラス担任でありテニス部の副顧問でもある山中先生だ。
半年程前に転任してきたスポーツマンタイプの爽やかさをもった先生。
イケメン俳優を思わせる整った顔に加え、すこし悪びれたオシャレな風貌。
それでいて気さくな性格と世話好きなところがある。かつ未婚である。
こうなっては必然、生徒からの人気は止まるところを知らない。
特に女子生徒の騒ぎようはかなりのものだ。
山中先生は僕より一回りも年上ではある。だがその性格からなのか、なぜか友達感覚でいたいらしく、何かにつけて僕を気にかけてくれる節がある。
そんな教師らしからぬ先生の親し気な態度に、僕もそれなりに心を開いている。
入学した時のクラス担任だった後藤先生からもかわいがってもらっていた。が、その後藤先生は半年程前に突如離任してしまった。
僕は後藤先生の連絡先がわからず離任の理由すら聞けなかったことを寂しく思っていた。
その矢先に交代要員のようにやってきたのが山中先生だった。
後藤先生とは本当の兄弟のように仲がよかったが、山中先生とは友人的な仲良し感がある、と思っている。
山中先生はへこたれている僕を見ながら、人懐っこい笑顔を作った。
「元気ねぇなぁ。終わったらラーメンでも食いに行くか? もちろん奢ってやるぜ」
ラーメンを箸ですする仕草をしてみせる山中先生に僕は首を振った。
「罰として練習試合の片付けも一人でやれって言われてるんですよ。だから今日は無理です」
走り込みの後はコート4面の整備にネットの片付けもある。一人でやるとなると時間はかかりそうだ。
陽はすでに傾きかけていた。
じめりと汗ばむ気候の7月上旬。高校生としては2回目の夏。
厳しい暑さがまもなくやってくる。