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竜の乙女は悪役令嬢になることに決めました。  作者: 喜楽直人
第2章 公爵令嬢 リリィディア・ラモント
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2ー4 紅い鱗の真実(前編)

いつも読みに来て下さってありがとうございますです

 


 それはまさに青天の霹靂。突然のことだった。


 いつものように、朝から晩まで詰め込まれている王妃教育を『体調が優れない』と適当にやり過ごして、わたくしは湖の畔へと逃げ込んでいた。

 週に一度、ほんのひと時を自由に過ごして何が悪いのか。

 厩番を睨みつけて黙らせて、この家で一番大きくて足の速いおとうさま自慢のモノケロース号に鞍を乗せる。

 美しい葦毛のこの馬は鞍も馬銜ハミも着けない方が本当は喜ぶのだけれど、裸馬に乗っているのが一度おとうさまにバレた時、ひと月もの間、部屋の中での謹慎を申し付けられて以来していない。

「ごめんなさいね、あなたには必要ないって判っているのだけれど」

 そう声を掛けると、ぶるると『判っているさ』とばかりにモノケロース号が返事をした。

 頭の良い子なのできっと本当にそう告げているのだと思うと嬉しくなる。

 この家での…ううん、どこであろうとも同じだ。

 わたくしには、心を許せる相手はとても少ない。

 特に、何故か公爵邸で長く勤め上げている使用人程、私に対して距離を持ちたがることに気が付いたのはいつの事だったろうか。

 新人はわたくしの傍付きに任じられることはないので、わたくしの傍には心安い者は誰もいない、ということになる。

 乳母と言われる存在もいなかったと思う。

 物心ついた時には、いかめしい顔をした教育係が「言われたらすぐに立ちなさい」だの「座る姿勢が悪い」だのと難癖をつけていた。そういえば、あの教育係はいまどこにいるのだろう。幼い私の世話をしていた不細工でおどおどとしてばかりいた侍女も。まぁいい。いつの間にか私を置いてどこかへ嫁にでも行ったのだろう。

 気が付けば、公爵邸で働く使用人は皆見目麗しい者のみになっていた。

 わたくしとしても、その方が嬉しかったのでそれは構わない。しかし、元々距離のあった使用人たちとの距離はその頃から更に開いて、たまに廊下で二人きりになった時などわたくしを見て後ずさるほど怯えられるのはかなり堪える。

 吊り目で悪人顔をしている自覚はあるが、使用人を叩いたことも意地悪をしたこともない、筈だ。

 それなのに、誰もかれもが私の顔色を窺い、どこか怯えた様子でわたくしの世話をしているような気がする。

 透明な、粘度の高い膜につつまれるような不快感が、公爵邸にいるわたくしには纏わりついている。

 その事が、より一層わたくしの表情を険しくして、より一層の悪人顔へと作り変えていく気がしていた。気が滅入るなんていうものではない。とても苦しかった。

 婚約者である王太子との間も、不愉快だった。

 何をやらせてもわたくしより不出来な殿下がわたくしへ突っかかってくるのは当然の事なのかもしれない。けれど、そこは努力で埋める気概を見せて欲しいと思う。未来の国王陛下となる御方が、こうして事あるごとに屋敷を抜け出し息抜きをしている程度のわたくしより劣るなどということはあってはならないのだから。

「見えてきた。今日はこの辺りにしましょうか」

 ラモント公爵領は元々は王の直轄地で、ラモント家は先代国王陛下の弟がその領地を受け継いで興した新しい家だ。

 だから領地といっても地方ではなく王都のすぐ隣の地にある。深い渓谷で隣の領地と区切られた森も湖もある豊かな土地だ。

 わたくしはいつも、その森の中にある綺麗な湖の畔で、一人の時間を満喫することにしていた。

 森の木々に囲まれたこの場所は、湖面の上は開けて太陽の光を浴びることができるのに、木々により人の目から隠されているので誰か探しに来ても見つかりにくく逃げやすいのが利点だ。

「乗せてきてくれてありがとう。あなたも久しぶりに自由に駆けることができたと楽しんで貰えたならいいのだけれど。帰る時には声を掛けるからそれまで自由にしててね」

 頭のいい子なので、繋ぐこともしない。

 きっと自由に駆けて、新鮮な湧水を飲み、やわらかな草を食んで過ごすだろう。

 ここはラモント公爵家の敷地内にあるので余所者が紛れ込んでくることもない。安心して放しておけるのだ。

 わたくしは、背負ってきた荷物を横に置き風に飛ばされないよう大きめの石で押さえると、布で包んで隠し持ってきたそれを鞘から抜いた。

 公爵家私兵団から拝借してきた模造刀だ。

 鍔が歪み捨てられるところだったものを拾い修理したのはわたくしだから既にわたくし個人のものとも言えるだろう。

 柄に巻かれた革をわたくし好みの柔らかな当りの繊維の細い布地に替えたり、浮いた錆を削り研ぎ直し、欠けた部分も研いで凹みをなだらかにした。

 何かを打ち据えたら壊れると思う。けれどそういう練習は拾った棒で行えばいいのだし、素振りならばこの剣で十分だろう。

 勉強をしながら、窓の外で行われる私兵団の訓練をずっと見てきた。

 心行くまで身体を動かせば、この胸に巣食う蟠りも少しは解れるのではないか、ずっとそう思ってきた。だから。

「素振りより走り込みの方が基本的にはいいのだろうけれど。でもまずは素振りを、剣を振ってみたい」

 掌にマメができても構わない。どうせ誰も心配などしないのだから。もしかしたら気が付きもしないかもしれない。そんな自虐的な想像もそう外れてはいないだろう。

 鳥の鳴き声と、ぱしゃんと湖面で跳ねる魚の音がたまにする以外なにも聞こえない静かな湖畔で一人、剣を持って立つ。

 肩幅より少し狭く足を前後に開き、両手で剣を掲げ持つ。

「やぁっ!」

 ぶん、と思い切り振ったつもりの剣は、実際には風切り音のひとつも立てないままに、ゆるりと歪んだ軌道を描いて地を削った。もとい地面へと転がった。

「……思っていたのと、違う」

 こんなへっぽこな動きしかできない自分に赤面する。おかしい。もっと美しい軌道が描ける筈なのに。

 恰好つけたい訳ではないが却ってストレスが溜まりそうだった。

 取り落とした剣を拾い上げて付いた汚れを拭き取り鞘へと仕舞う。

「大人しく、木の枝から始めるべきだったわ」

 ようやく掌にすっぽりと収まりの良い枝を見つけた私は、今度こそとぶんぶんとそれを振りながら先ほどの位置まで戻り、構えを取った。

「はっ!」

 ぶん、と大きくしなった枝が気持ちの良い風切り音を立てる。

 先ほどは、剣の重さに手首が負けて巧く返せなかったようだ。

「まずはこの枝で動きを覚えなくては。やはり走り込みもして体力もつけなくてはいけないわね」

 公爵令嬢として生を受けて14年。

 ダンスの授業では上級者向けを何曲続けて踊ろうとも息のひとつも上がらないリリィディアではあったけれど、どうやら剣を扱う為に必要な筋肉はそれとは違うものらしい。

 ストレスを発散させる為に基礎から練習を始めることになるとは思わなかったけれど、それも楽しめばいいのだとリリィディアは考える事にした。

「いきなり張り切り過ぎたらいけないわね。今日はこの辺でひと休みしたら屋敷に戻ることにしましょう」

 んっ、と思い切り身体を伸ばした。

 太陽はそろそろ真上に近くなり、森の中へも明るい暖かな陽射しが差し込んでくる。

 そこに。大きな影が、いきなり割り込んできた。

「え?」

 不思議に思い、ゆっくりと空を見上げる。

 そこにいたのは…

「虹色に煌めく白銀のつばさ…光翼の、神竜さま?」

 伝説の竜が、この湖を覆うように空から降りてくるところだった。


 わたくしリリィディアの父であるレイン・ノル・ラモント公爵は、若いときに竜を打ち倒したこの国の英雄だった。

 その証たる「成竜の鱗」を持っているのは世界広しともおとうさま唯一人だ。

 しかし。その伝説の竜退治で聞いたそれよりずっと大きな竜に睨まれて、わたくしは死を覚悟するしかなかった。

 竜を倒した人の英雄の娘の命を、同胞を奪われた一族の長が代わりに奪っていく。

 想像に難くないそれに足が震える。

 しかし傍に迫りくるその美しい鱗の輝きに、わたくしは恐怖とはまったく違う意味で目を離せなくなっていった。

「なんとお美しいのでしょう」

 翼を広げれば目の前の湖をすっぽりと覆い隠せるほどの巨体。

 そうして、静かに翼を畳んだ姿は神々しいの一言だ。

 美しい瞳はすべてを見通す力があると言われても信じられる高い知性を感じさせた。

 わたくしは自然と敬意を表したくなり、最上級のカーテシーを以ってその貴き御方に頭を垂れた。

 わたくしは、ただひたすらにお声が掛かるのをお待ちしていた。

 そう。わたくしは何の疑問も持たずに、この御方がわたくしにお言葉を下さると信じていたのだ。

 そうして、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。

 10分か1時間だろうか。それともほんの数秒のことだったのだろうか。

 その御方は、わたくしへと声を掛けて下さった。

「…リリィ、という名に憶えはあるか?」

「はい。残念ながら顔も存じませんが、わたくしを産んだ母の名が『リリィ』でございました。わたくしを産み、その出産に耐え切れずそのまま儚くなったそうです。そうして、わたくしの名は『リリィディア』と申します。母がお腹の中にいるわたくしに『ディア』と呼び掛けていたことと、母の『リリィ』と合わせて名付けられたと聞き及んでおります」

 あの日、教えて貰っておいて良かったと心からホッとした。

 神竜様のお言葉に対して「知らなかった」では済まなかったかもしれないのだ。隠すつもりは毛頭ないが、知らなければ話せることではないのだから。

 そうしてホッとしたのもつかの間。

 わたくしのそれまでの世界は、崩壊したのだった。


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