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竜の乙女は悪役令嬢になることに決めました。  作者: 喜楽直人
第2章 公爵令嬢 リリィディア・ラモント
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2ー2 リリィディア、という名前

いつも読みに来て下さってありがとうございますです


 窓の下を、大きな花束を抱えた父親が通っていく後ろ姿をわたくしはじっと見つめていた。

 月のない新月の夜、こうしておとうさまが花束を持って出掛けていくのに気が付いたのはいつの事だったろう。

「おとうさまはどちらへ行くの?」

 寝る前のホットミルクを枕元へと持ってきたリリィディア付きの専属侍女に声を掛ける。すると少し逡巡した後、美しいその侍女は「奥様に会いに…お墓参りだと思います」そう答えた。

 わたくしを産んだその日のうちに儚くなったというおかあさまの記憶はない。

 ただ、一度だけ居間でぼうっと酒を飲みながら自分と同じ色彩を持つ美しい女性の細密画を見つめるおとうさまの姿を見つけたことがあるだけだ。

「…リリィ」

 そうして。愛しげに、切なげに、後悔の篭った声でその名前を呼んでいた。


「わたくしのおかあさまの名前って、”リリィ”なの?」

 温かなミルクで満たされたカップを注意して口元へと運ぶ。

 お行儀が悪いとは思いつつも、啜るようにゆっくりと飲みながら、不意に思いついただけだと何気ない様子を装って、公爵邸でも古株となったわたくし付きの侍女へと問いかけた。

 だって、わたくしは母の名すら知らなかった。誰も教えてくれなかったから。

 そうして。おとうさまが隠し持っているその細密画以外に、おかあさまらしき女性の姿絵はない。邸内にも領地の大きな邸宅内にも飾られてもいなかった。

「お腹の中にいる間、おかあさまがお呼び掛けに使われていた”ディア”と、おかあさまの御名前の”リリィ”を合わせて”リリィディア”様と、公爵様が名付けられたとお聞きしています」

 一番聞いてみたかった答えを胸に、わたくしは「そう」と何でもないように呟いた。

 甘い花の蜜を溶かした温かなミルクがこの身体を温めたように、その侍女の言葉は、誰にも顧みられることのないリリィディアのこの公爵邸での生活の中で唯一の小さな灯りとなった。



「お、おとうさま、おかえりなさいませ」

 その日。初めて、自分から話し掛けた。

 習い始めたばかりのカーテシーの形を取ってお声が掛かるのを待つ。

 緊張しすぎて心臓が口から飛び出しそうなほどどきどきした。

 レイン・ノル・ラモント公爵。我が国に初めて成竜の紅い鱗をもたらした英雄。

 背が高くて凛々しくて、しかもこの国で一番強いのだ。

 誰よりも格好いい、それがリリィディアのおとうさまだ。

『この国に住む女性なら誰でも公爵様に一度は憧れを抱くもの』だと言っていたのはどの使用人の言葉だったろう。

 それが、今目の前に立っている、わたくしのおとうさまだ。

 わたくしの呼び掛けに、おとうさまは少しだけわたくしの前で立ち止まってくれた。

 初めてのことだ。

 わたくしの胸がいっそう昂まる。鼓動が激しすぎて目が廻りそうだ。

「……うむ。セバス、着替えたらまた王宮へ行く。準備を」

 今の、『うむ』はわたくしへのお返事ですわよね? すごい、初めておとうさまからお声を戴いたわ。うれしい。

 忙しそうに執務室へと入っていくおとうさまの後ろ姿が見えなくなっても、わたくしはずっとそこに立って、その余韻に浸っていた。


「何をしている」

 そのお声に弾かれるように顔を上げた。

「おとうさま」

 わたくしは、おとうさまが執務室でご用事を済まされている間、ずっとそこで佇んでいたようだ。

 ぼうっと夢心地だったので気が付かなかった。横をちらりと見ると、わたくしの侍女が黙って後ろに控えているスカートが視界に入った。

「つい…おとうさまからお声を掛けて戴いたのが嬉しすぎて」

 動揺しすぎていたのだろう。わたくしは本当の事をそのまま口にしてしまった。

「…子供は寝る時間だ。早く寝なさい」

 外はすでに真っ暗だ。これから着替えて再び登城するおとうさまは貴族の鑑だと思う。

「はい。失礼いたしました」

 初めておとうさまの方からお声を掛けて戴けただけでなく、それが心配までして戴く言葉だったことに、わたくしは逆上せ上がり舞い上がりきっていた。

 だから、こんな馬鹿なことを口にしてしまったのだ。

 二階へと着替えに向かうおとうさまの後姿に向かって、決定的に馬鹿なことを口にしてしまった。

「あの、おかあさまの御名前が『リリィ』様で、わたくしは、…わたくしがおかあさまのお腹の中にいた時に、おとうさまと一緒に呼び掛けて下さっていたのが『ディア』で。だからわたくしの名前を『リリィディア』としたというのは本当でしょうか」

 言えたのはそこまでだった。『わたくしは、おかあさまに似ているのでしょうか』一番聞いてみたかったその言葉を口にすることはできなかった。

 それを口に出す前に。

「うるさいうるさいうるさいうるさいっ! お前がリリィの名前を口にするな、呼ぶなっ!」

「ひっ」

 わたくしは、おとうさまのその剣幕に恐れおののいて動けなくなってしまった。

 ただ、大きく目を見開いて、目の前の尊敬するおとうさまの言葉を受け取る。

「なんでお前はリリィに似なかったんだ。髪の色も瞳の色も同じなのに。お前は全くリリィに似なかった! リリィは誰よりも美しかった! リリィは誰よりも愛らしかった! リリィは誰よりも優しくて、リリィは誰よりも…誰よりも…。そんなリリィを犠牲にしてお前が…。私がお前の命を守るのはリリィの為だ。リリィはお前が生きる事を望んだ。私はリリィをこそ望んでいたのに!!!」

 おとうさまがわたくしを正面から見て下さることなんてなかったので、できることならちゃんとその顔を覚えていたいのに。

 目の前に何か膜が張ってしまったせいで、物が歪んで滲んで見える。

 おとうさまのお顔がちゃんと見えないのが寂しくて、わたくしは何度も手で目を擦った。

 でもそこから流れてくる涙は全然途切れてくれなくて。いつまでもちゃんと見えない。

「ご、ごめんなさい。おとうさま、ごめんなさい」

 ごめんなさい。

「お前が謝るのはリリィに対してだ。…私にではない」

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 おとうさま、おかあさま、ごめんなさい。

「…もう出る。着替えは王城でする事にする。セバス、追って持って来い」

「畏まりました」

 立っていられなくなってその場にぐずぐずと頽れたまま泣き続ける無様なわたくしの横を、おとうさまは黙ったまま通り過ぎて行く。

 わたくしは、侍従たちに引き上げられるようにして部屋へ連れ戻された。

 その後の記憶は、ない。



シリアス先輩だけじゃなくて不幸パイセン降臨中。

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