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竜の乙女は悪役令嬢になることに決めました。  作者: 喜楽直人
第1章 竜女 リリィとディア
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1ー2 竜女リリィ

いつも読みに来て下さってありがとうございますです



 王国への凱旋を果たし、国王への報告も済ませたレインの偉業を讃えるパーティーが王宮において華やかに開催されている最中のことだった。

 三日三晩続く筈だったその初日の夜遅く。

 契約による封印で縛られているとはいえ安心できないと貴人用牢屋へ入れられたリリィは一人心細い夜を過ごしていた。

 与えられた柔らかなベッドに横になることもなく、差し入れられた豪華な食事にも目をくれず、鉄格子の嵌まる小さな窓から見える筈のない新月を探して夜の空を見上げていた。

 胎の底が、きゅうと縮込むのが判る。はぁはぁと小刻みに息を継ぎ、力を逃す。

我夫あがつまよ、吾子あこだけは必ずお守りあらしゃいます』

 見えない月へ、傍にいない愛しい夫を重ね合わせて祈り誓った。

 胎に奔る痛みに身体を捩れば、がしゃん、と繊細な装飾の施されたテーブルを上に乗った晩餐ごと蹴倒してしまった。

 その音に驚いた牢番が慌てて近寄ってくる足音も掛け声も、リリィの耳には既に届かなくなっていた。

「誰か、だれか医者と公爵様を。女が産気づいた!」

 バタバタと足音が再び遠のいていく中、誰も見守る者もないままに、リリィは小さな竜を産み落とした。

 リリィそっくりの、柔らかな淡黄色を帯びた輝くようなまあるいおんなのこだった。

『赦してたも赦してたもう、吾子ディアよ。妾が不用意に番の証を奪われてしまったばかりに、我夫あがつまに助けを請う事すらできなくなった』

 リリィは、いま生まれてきたばかりのむすめに向かって謝罪の言葉を必死に紡いだ。

 額の紅い鱗は成竜の証だと人の世には伝わっているが少し違う。

 紅色の鱗は番となった証であり、お互いがお互いの唯一として力を補い合う契約の印だ。

 この鱗をつたいお互いの存在の位置を知り、この鱗を得ることで番を守るべく新たな力を手に入れることができる。

 しかし、その番の証を奪われた竜は、鱗により得た力だけでなく、更に番を得た事により新しく得た分と同等の力をその身から失う。それはすでに竜とは呼べぬ単なる人外。そしてなにより番である愛しい存在へも、同じだけの損失を負わせることとなる。

 番を得ることの利益と不利益。世界のことわりたる天秤はいつでも釣り合いが取れているものだ。

わらわがディアに遺せるものは、我夫と共に呼び掛けていたその名と』

 胎の中に吾子がいることが判ってからずっと我夫とふたり、話しかけてきた。

──『ディア。愛しき我らが吾子よ、早う出てきてくりゃれ』愛しいつまの声が聞こえる。

 朝に晩に、ふたりで共に日々呼び掛けてきた『ディア』という名を贈る。それが、今にも力尽きそうな自分にできる最初の贈り物。

『そうしてもう一つ。口惜しくも、我契約者たるレインによる庇護よ』

 この人界へと一人遺していくことになる吾子へ残せる最後の贈り物が、憎き契約者による庇護の契約なのがリリィは口惜しかった。

『ディア。愛しい吾子。あの男へとこの身を差し出すことでしか、そなたの命を守る術を考えつかなかった妾の愚かさを許して給う。それでも、誰よりも、し、あわせ、に。でぃ、あ…』

 まだ柔らかな愛しい小さな体を抱き寄せ撫で擦りながら、リリィは竜の身としてはとても短い生を終えた。





「この竜は小さすぎじゃ。胎の中でまだ育つべきじゃった。出てくるのが早すぎたのじゃ」

 共に駆け付けたレインに向かい、このままではすぐに死んでしまうであろうと暗に呪術師が告げる。

 その横では、仔竜の母親が人の形のまま融けない不思議な氷の中で眠るようにこと切れていた。

 眠るような姿の中で、ただ一点。胸の中心部だけが醜く抉られているのがわかる。

 その心の臓は、すでに呪術師により抉り出されている。

「契約じゃからの。これだけは儂のものじゃ」

 死体と死に掛けの仔竜の横で、念願がかなったと、その心臓を抉り出した枯れ木の様な男がふぇふぇと嗤いながら小躍りする。

「仔竜を生かす方法はあるか?」

 レイン・ノル・ラモント公爵は、じっと仔竜を見つめながらそう呪術師に問いかけた。

「何故…あぁ、そうじゃったのぅ。この死に掛けの仔竜の心臓では秘薬の素材にはちと不足じゃな。ぐふふ。公爵様もえげつないことを考えられる」

 勝手に帰結して呪術師が思案して出した答えに、今度は公爵が顎に手を遣り思案した。

「よし。王へ進言してくることにしよう」

 本当は思案も何もしなかった。レインには、その策を取るつもりしかなかったからだ。



「本当に、この仔竜を王国に、王族に迎え入れれば未来永劫、永遠の繁栄が約束されるのか?」

 本当は永遠などではない。仔竜が生き永らえ、その身を王国に縛ることができている間だけだ。

 しかし、呪術師も公爵も、この王国で最も高貴な身分たる王に対して平気で頷いてみせた。

「勿論でございますですじゃ。”王族に竜の血を迎え入れる”それがどれほどの偉業であるか判らない国王陛下様ではございますまいて。この国の繁栄は約束されたも同然」

 すでに不老不死の秘薬の精製に成功しそれを使用していた呪術師は、公爵から提示された金貨へも興味を持ち出していた。

 何をしても何をしなくとも。例え死ぬことが無かろうとも裸でいる訳にもいかない。生ける身体があるからには安心して眠れる寝床も必要だ。施しに縋って生きていく訳にもいかないのだから。

 生きていくには金がいるのだ。

 なによりも、浪費することなく生きていくより、浪費のある生活の方が潤いがあるというものだ。当然だ。

 つまりは、金は幾らあってもありすぎる事はない。あればあるだけいい、ということだ。

 だから呪術者は、長年の悲願を達成し憂いを無くした今、嘗てないほど軽く舌を動かすことに専念していた。 

 ひと月前に生まれたこの国の王子。王妃が産んだ第一王子は押しも押されもせぬ王太子候補の筆頭である。

 余程の事がなければ他の人間に取って代わられる事などないだろう。

 しかし。この仔竜の加護を他の王位継承者へ与えてしまったら、どうなるだろう。 絶大なる加護とその栄誉は、王位継承順位における王妃が産んだ第一王子という価値など軽く凌駕してしまうのでは? 

 にやりと下卑た笑みを張り付けて呪術師は悩める王へと囁き唆す。

 そうして、ついに王は力強く肯いた。

「他の者へ竜の加護を渡すなど、有り得ぬ」

 覚悟を決めた王は、ぐっと顎に力を込めて、その秘術を行う許可を出した。



「では始めるとしましょうか」

 さらさらと手慣れた様子で床へ呪術を執り行うべく紋様を書き込み終えた呪術師は、王に抱かれた王子を呪術紋の右側へ、公爵に抱かれた仔竜を左側へと置かせた。

 そうして、仔竜の母親を封印した時と同じように、忙しなくその手を複雑な形へと組み合わせながら、呟くように呪文を歌い上げる。

≪古きかしこきものよ、地に降りて、その祝福をその身へと顕現し、契約を以って永き時を貫き・重ね・渡り、この国へと与え給え。この契約で得るは、仔竜の延命。儚く消えかかるこの命を、この国の王族との婚姻に拠りて縁を繋ぎ、これを以って盟約とする。其を違えるは王族からの申し出のみ。竜の軛は外され、この国への加護はそこで途絶え契約はついえる≫

 この世界の理の天秤は釣り合いを求める。

 契約において一方的な要求は通らない。だから解除の条件と終結時の要件もそこには必ず入れねばならない。

 一方的に掛ける呪術は単なる呪いだ。術の終わりには術者と利益を得る者の命を対価としなければならなくなる。それでもいいと掛ける願いは解く術のない呪いとなる。が、今の呪術師に、その対価を背負うつもりはまったくなかった。

「楔は正常に発動したようですな」

 そう呪術者が告げた言葉に目を開ければ、王子の横には、目を閉じたままの人形のように美しい幼子がそこにいた。


「術師殿のその術はどこで覚えられたのか」

 眠ったままの幼女を抱き上げながら、レインはふと思いついた疑問を口にした。

 それは単なる好奇心からのものであったが、呪術師はふぇふぇふぇと大きく笑っていった。

「我流でございますよ。元は神官、嘗ては確かに大神官と呼ばれた時期もございましたが、儂の本性はこの通り、自分勝手な欲に塗れた恥ずべき呪術者でございますよ」

 心の底から愉しそうに嗤い続ける呪術師を残して、公爵は「そうか」と小さく返事をして、その王宮の地下にある秘密の部屋から抜け出した。




「おぉおぉ。本当に報酬が払われるとは。正直思いもせなんだわ」

 ひぇひぇと上機嫌で金貨の入った箱を枯れ木の様な腕で抱きかかえる。

「私は自分が交わした取引の相手に対して不誠実であったことなどない」

 不機嫌そうに答えたラモント公爵レインの眉間には皺が寄っていた。

「そうでしたな。公爵様が不実なのは女人に対してだけございました」

 眉間の皺を一層深めた公爵は、くるりと身を翻した。

「もう会うこともないだろう。達者でな」

 そう掛けられた声に、呪術師は面白そうに歪んだ笑みを深めて話し掛けた。相手がここから去ろうとしている事など一切躊躇しなかった。

「不老不死の秘薬が欲しくなったら、いつでもお呼びくだされ」

 ぎゅう、と新品の高価な靴底に音を立てさせ公爵が振り返った。枯れ木の様な身体に強い視線を当てる。

「いつでも、どこでも。公爵様の声は儂に届きますじゃて。あっという間です。これからの儂にはそれこそ悠久の時間がございますからの。愉しそうなことから目を離すつもりはありませんでのぅ。報酬も受け取りましたし、これはサービスですじゃ」

 ぴらりと渡された紙には、仔竜の食事についてや竜の巣のある場所へ近づけさせないことなど、育てていく上で注意しなくてはならないことについて書かれていた。

 そうして。これからも良しなに、そう声がした時には、もうそこに呪術者の姿はなかった。



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