2ー8 竜の加護と封印
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※微グロ注意
あれから、私は時間が取れる限りの時間を、この湖の畔で過ごしている。
王妃教育というものも「完璧です」と教育係達から頭を下げさせることに成功していた。つまりは学園にも、単に王太子より先に飛び級で卒業させる訳にはいかない、という一点でのみ在籍を続けている。
できるだけ傍にいてプレッシャーを掛けることもやぶさかではないが、そんなツマラナイ事に時間と手間を掛けるよりも、わたくしはもう一度、あの美しい竜の姿を、声を求めた。
「なんて。16年も生きてきて、ただ一度しか会えてないのに。馬鹿みたいね、わたくし」
まだ14歳のただ一度きり。もう2年以上も前の事なのだ。
「いえ、もうすぐ17になるのだもの。3年近く、と言った方が良いわね」
遣る瀬無い思いが見せた夢幻ではないと、誰が言えるというのだろう。わたくしですら、そう思ってしまうことがあるというのに。
「ふふ。学問であったなら、答えなどすぐに見つけることができるのに」
一番求めている、貴方の姿だけは見つけることができないなんて。
悔しさと切なさと情けなさを、振り切るように型をなぞる。
刃を潰してあるとはいえ、公爵家の私兵団で採用されているあの練習用の模造刀だ。
初めて持ち出した14歳の頃は、剣に振られるばかりで素振りすら形にならなかった。
その模造刀を持ち、私兵団が練習で振るのと同じように素振りしていく。
少しずつ練習を重ね、ようやくそれらしい形が取れるようになってきたのだ。
素振りが終わったら、ステップを踏みながら目の前に敵がいることを想定して動く。
最近の仮想敵は私兵団の前隊長だ。いまは新兵の訓練をみる鬼教官と化している彼の動きを目でなぞる。
速くて鋭い切っ先を避けながら自分の剣を揮い戦う。
「きゃっ」
仮想敵の動きを交わす事ばかり考えていたせいだろう。
畔の開けた場所で剣を振り回していた筈が、いつの間にか木立ちのすぐ横まで来てしまっていた。
ガッ、と横薙ぎに振った剣が木の枝に激しくぶつかった衝撃で、わたくしは手に持っていた剣を放してしまった。
くるくると回転しながら剣が落ちて行った先から、うぎゃっという小さな叫び声が聞こえて肩を竦めた。
どうやら剣が落ちた先には何か小動物がいたらしい。怪我をさせただけならともかく命を奪うことになっていないといいのだけれどと思ったのに、どうやら願いは届かなかったらしい。
持ち上げた剣の下には、小さな鼠が潰れて血を流していた。
口から何やら真っ赤な塊が飛び出しているのが見える。もう手遅れだろう。
このままにしておけば森の動物の明日の糧になるだろう。私はただ手を合わせて冥福と次に生まれてくる時は4本足ではない生き物になれることだけを祈って立ち上がった。
「怪我をする訳にはいかないし、動揺していては練習にもならないわ」
始めたばかりだけれど、心を落ち着けるためにも休憩を取ろうか。
そんな風に悩んでいる所に、さきほどの、血塗れの鼠が私に向かって近付いてきたのだ。
「ひっ」
そのあまりの光景に、わたくしの身体は恐怖に竦んでいた。拾い上げたばかりの剣を再び取り落とす。
「リリィディア、いくらなんでもこのご挨拶は戴けんのぅ」
名前を呼ばれたことと、血塗れで口から内臓を覗かせた鼠が動き、話しかけてきたこと。
どれを一番に驚くべきだろう。
「えぇい喋り難い。こうしてくれるわっ」
べしょり、と小さな身体の口元から飛び出していた真っ赤な塊を自らの手でちぎり捨てた小さな鼠がわたくしへと話し掛けた。
「ふえふえっ。それにしてもおっかないのう。不用意に殺さないで欲しいものじゃよ」
あまりのことに、最近いろいろとあったわたくしですら反応ができないでいると、その鼠が「ありゃ。もう駄目か、これ」と情けなさそうな声を出した。
その瞬間、今の今まで歪に潰れた身体のまま喋っていた鼠から、くたりと力が抜けその場に転がった。
どう見ても息をしていないし、こと切れているように見える。
──休憩と言わず、今日はもう帰ろう。早めに寝よう。
きっと自分は疲れているのだろうと、落としたままになっていた剣を拾い上げる。
その時、ぱささささ、と樹上から鳥が飛び立った。
「…ビックリした」
剣を握りしめたまま動けなくなっていたのだけれど、とにかく屋敷へ戻ろうと足を動かすことにした。すると
「せっかくだしもう少し話をしないか、リリィディア。いや、竜の少女よ」
目の前の岩に止まった一羽の烏が、話し掛けてきた。
「まったく。不老不死が聞いて呆れると思わぬか? 看板に偽りがありすぎじゃて」
やたら馴れ馴れしい烏は、『自分は不老不死の秘薬を作り、実際に使った偉大なる呪術師だ』と宣った。どうやら人と喋ることに飢えているそうで、やたらと早口で喋りまくる。
「不老不死の秘薬と名前がついておるのに、その身体で永遠に生きていける訳ではないなど詐欺だと思わぬか? 油断してあっさりと人の姿を手放してしもうたわ。枯れ木のような姿ではあったが、惜しいことをしたもんじゃて。あれじゃろ? もうちょいと長生きしたら、儂も超絶美形になれたんじゃろ? 若返ることもできたかもしれんに。くぅ。返す返すも残念じゃのう。そうじゃった。秘薬の話をしとったんじゃった。それがの、次に選ばれる器はの、位階をいま自分が入っている生き物と同等かそれより下ときまっておるのよ。こと切れたその時近くにいる同等以下の生き物に強制的に意識が移動するんじゃ。これ、絶対に詐欺じゃよな。そうじゃろ? なぁ? はぁ。一度誰かにそう訴えてみたかったんじゃよ。念願成就じゃ。やっと叶って同意を取れた。儂は嬉しい」
同意をしたつもりはわたくしにはまったくなかったし、意味の判らない妄言も酷い。なにより、その秘薬を作るのにリリィディアの母リリィの心臓を使ったとあっけなく白状するのを聞いて、どう反応すればいいのかまったく判らなかった。
「それでわたくしは、貴方を見つける度に殺せばいいのかしら」
ぐわーーーっ!! 目の前の烏が大きな声で鳴いた。どうやら抗議するつもりらしい。
「なんておっかない娘じゃ。お前、さっき儂を殺したばっかりじゃろ。それでアイコにせえ」
意識が引き継げるなら死んだことにはならないのではないかと思うのだけれど、どうなのだろう。
「自殺幇助を請いに来たのでは無ければ、母の仇がわざわざ名乗り上げてわたくしの前にいるのはどうしてなのかしら?」
まどろっこしい関係は、この国が自分に掛けた封印だけで十分だ。
用件があるならさっさと吐いて、何処へでも消えて欲しい。
「公爵令嬢っていうのは、もっとこう回りくどい会話をねちねちと捏ね繰り回すもんだと思うとったんじゃが。なんじゃい、お嬢ちゃんは違うのかい」
「長い会話など、どなたとも交わした記憶はないわ」
一番長くて授業でする詩の暗唱ね、というわたくしの答えに、烏が生意気にも呆れたような声で鳴いてみせた。
「くわーっ。勿体ないのぅ。嬢ちゃん、そんなに美人なのにの。両手の指の数以上の男を侍らして人生を謳歌すればええんじゃ」
勝手なことをほざく烏の相手など、最初からするのではなかった。
私はそのままくるりと身体の向きを変えて、荷物を纏めてある場所に足を向けた。そういえばモノケロース号が来ない。ということは、この烏に入った呪術者はわたくしに悪意を持ってはいなかったという事だろう。まぁいい。
「のう、嬢ちゃん。嬢ちゃんに掛けた封印を解く手伝いは欲しくないかの?」
その言葉に、わたくしはモノケロース号に呼びかけることを止めた。
じっ、と目の前の烏を見つめたけれど、物の怪と化した烏の表情など読めるものではない。
話の先を促すように、わたくしはそのまま烏を見返した。
「公爵とリリィの間で交わした約束は、腹の仔の助命嘆願を受け入れる代わりに、母であるリリィはレインのものとなる、というものじゃった。そうして偉大なる儂の助力によりレインは成竜の紅い鱗を手に入れ、その力を以ってリリィを人の形へと封印した」
烏の口から、アルフレッド様から語られることのなかった人間側の状況が説明される。
それは想像していたよりもずっと物悲しくて、物語の様な切なさに満ちていた。
「そうして戦闘で負った傷と人の身体に封印されたことで、リリィには仔を胎で育てる力がもう残されていなかったんじゃ。嬢ちゃんが産まれてきたのはリリィの命が尽きるその時だった」
では。わたくしを産んだことで母を死なせたのではなかったのだ。
命が尽きる前にせめてと母が望んだ出産だった。
命を奪って生まれたのではなく、命を貰ったのだ。
父に責められたあの時からずっと、リリィディアの心に巣食っていた悩みが解けていく。
「でもなぁ。産み月が早すぎたんじゃ。嬢ちゃんはもう少し母の胎内で育てられるべきじゃった」
命の灯が消えるのは目前じゃったんじゃ、と呟くように烏が続けた。
「リリィとレインの契約は教えたな? 平たく言えば、仔の命を守る代わりに、リリィをレインのものにするというものじゃった。そう、レインは解釈していた。」
いや、そう思いたかったんじゃろうな、と烏がまるで郷愁に耽るようにぽつりと付け足した。
「そこで偉大なる儂の出番じゃよ。もう満願成就相なって儂はリリィの心臓を使って不老不死の秘薬を作り出し飲んでおったからな。さすれば次は酒池肉林、金銀財宝を求めるのは当然じゃろ?」
くぇくぇと、先ほどまでのしんみりとした空気を完全にぶち壊す烏に、リリィディアは冷たい視線を投げるのみで話の続きを待った。
「で。今にも死にそうな哀れな仔竜を救うべく儂は考えた。ただ生を繋ぐだけではなくレインが傍で守れるようにもせにゃいかんかったからの。この儂でも1分…いや、30…5秒は悩んだな」
うんうんと自画自賛を続ける烏の言葉を聞き続ける事が段々苦痛になってきた頃。
「そこで儂は思いついたんじゃ。死にかけの仔竜を、この国の王族の力を拝借して永らえさせよう、とな」
儂、頭いいじゃろ? と騒ぐ烏を余所に、わたくしは今知り得た情報を整理して事の次第を纏めることに専念した。
「そんな契約を、どうやって王族に受け入れさせたのかしら? どう考えても、それで得をするのはわたくし。もしくは既にこの世にはいないリリィだけだわ」
嘘はなくとも隠し事はある筈、その考えは穿ち過ぎではなかったらしい。
「なんじゃ、素直に騙されてくれなんだか。残念じゃのう。嬢ちゃんみたいな美人さんから『キャー、さすが呪術師様頭いいステキ抱いて!』とか言われてみたかったんじゃがのう」
今すぐ羽を毟って吊るそうかと悩んでしまった。いけない。この烏からはまだ情報が得られる筈なのに。
「そんな顔せなんでもちゃあんと教えてやるわい。儂の術は右と左が釣り合うことを信条としとるんじゃ。仔竜はその命を長らえさせる、王族は竜の加護をその身に宿し繁栄する、とな。この約定を破棄できるのは王族側からのみじゃ。本当は嬢ちゃんからもこの契約を破棄できるようにしたかったんじゃが、さすがにの、そこまでは盛れんかったよ。すまんのう」
ではやはり、わたくしの意思だけではこの身に刻まれた楔を解くことはできないのだ。絶望が頭を過る。
「でな。この契約は国王が一族の代表として交わしたものじゃ。契約者たる王太子の意見はなーんも反映しとらん。仔竜よりたったひと月早く生を受けただけの赤児じゃからの。無理じゃわの。きっと事情も知らんじゃろ。そこが狙い目じゃ」
くえくえと、愉快そうにその企てを話して聞かせる烏のことを、信用していいのか信用できるのか。
「リリィディア、王太子に嫌われろ。容赦はいらんぞ。いっそ呪われるほどに盛大にじゃ!」
信用できなくとも、リリィディアに迷いはなかった。
嫌われる努力ならこれまでもしてきたつもりだ。しかし、呪われるほどのことではなかった。
「わかりました。では盛大に、誰よりも尊大に。誰よりも傲岸に。わたくしは、王太子の前に立ちはだかるなにより目障りな壁となりましょう」