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竜の乙女は悪役令嬢になることに決めました。  作者: 喜楽直人
第1章 竜女 リリィとディア
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1ー1 竜の紅い鱗

いつも読みに来て下さってありがとうございますです。

 


「麻痺毒の矢の準備を。術者殿から戴いた苦酸樹の樹皮さえ噛み締めていれば私達にはこの煙で眠り倒れることはない。竜が弱り眠っている今のうちに、打ち倒すのだ!」

 いつにない緊張を孕んだ声がレイン・ノル・ラモントの腹から出ていく。

 従うは、ラモント公爵家が誇る私兵団その精鋭達。その一人一人が緊張と、これから始まる英雄譚の一員たる自らの功績への期待で高揚していた。

 しっかりと指揮官たる公爵を見つめ頷くと、岩肌の影に隠れるように存在する、ぽっかりと開いた陰鬱な洞窟へと視線を向ける。

「行け!」

 レインの手が、さっと掲げられるのを合図に、精鋭たちは暗い洞窟の中へと足を踏み入れた。

「さて。我らも参りましょうぞ。急がねば、いくら竜の巣全体を我が術にて封じてあろうとも、いつ仲間が様子見にくるとも知れないですからの」

 深く被ったフードの奥から、にたりとした瞳が光る。

 ほとんど陰になって見えないその顔には、ケロイド状の皮膚が呪術の紋様を模りびっしりと刻まれていた。

 皮膚が引き攣るせいだろうか、少し不明瞭なその声は男の声なのか掠れきった女性の声なのかも判らない。そうしてこちらも呪術の紋様をぎっしりと書き込まれたローブから出る鶏がらの様に細くて筋と骨と血管が浮き出ている手足にも、同じ紋様がケロイドで刻まれており、もはやこれは人なのかすら疑問だった。

 そんな呪術師の声に不快感を隠そうともせず、ラモント公爵たるレインは鷹揚に頷くと精鋭たちの後を追って、すでに戦闘が始まっている音が響く洞窟の中へと歩を進めるのだった。



『額に一枚、全身を包む鱗と違う色をしたそれは成竜となった証である』

『その色の違う鱗を奪えば人はその竜の人非ざる力を手に入れることができる』


 人非ざる特別な力。それが何を意味するのかは伝えられてはいない。

 しかし、その言い伝えはこの大陸全土に残っており、この大陸に住まう全ての男なら誰でも一度は成竜の証たる鱗を手に入れることを夢見る。


 まぁ普通は、子供の頃の夢物語として夢見るだけのものであるが。

 大人になって遠い空を過ぎていく竜の影を見つけ幼き頃の夢を思い出すことはあっても、本当にその巣を探し出してそれを手にしようなどと思う者はいない。

 普通は。


「まさか、境界となる渓谷の奥とはいえ我が領内に竜の巣があるとはな」

 皮肉げに唇を歪ませて、麻痺毒がたっぷりと塗られた鏃が無数に突き刺さる巨体が苦し気にくねるのをレインは見やった。

 苦酸樹の樹皮は丸めた両側に紐をつけて咥えているので、口を開いても落とす事はないが少し喋り難かった。舌に触れる度、そこから名が表す通りのなんともいえぬ苦みと酸味が口の中に広がる。

 ぺっ。口の中に溜まった唾液が樹液と混ざり泡立つ。不快なそれをレインは行儀悪く吐き出した。

「ふぇふぇっ。吐き出してばかりいますと、この煙で公爵様まで眠ってしまいますぞ? 竜でも眠る煙ですじゃ。人なら永久とこしえの眠りになってしまいますじゃて」

 後からついてきた呪術師の言葉にレインは顔を顰めた。しかし文句をいうことでもないと周囲に目をやる。

 薄暗い洞窟の中は、入り口こそ見つかりにくいように大きな岩が重なり合った陰にひっそりと存在していたものの、入ってみれば中の天井は思いのほか高く、その幅もかなりの広さがあった。

 岩肌自体は幾分湿り気を帯びていて、この近くに水脈があることを示している。

 王宮のダンスホールよりずっと広いそこで、今、人と人非ざる存在との命を賭けた壮絶な戦いが繰り広げられていた。

 小山こやまほどもあろうかという巨大な身体は柔らかな淡黄色を帯びた美しく輝く鱗にびっしりと包み込まれいっそ神々しいほどだった。宝石のような蒼い瞳は聖なる存在として崇めるものが出てもおかしくはないほどに澄み、額に戴く紅い鱗がその中で燦然と輝く。

 深い眠りに誘われた所をいきなり襲われるという恐怖と苦悶に歪んでさえいなければ、それはどれほど美しい竜だったろうか。

 

「竜が大きな口を開けて仰け反ったらブレスが来る。火薬玉をその口の中へと投げ入れるのを忘れるな」

 いまだ! レオンの声に応と答えた猛者が、ぶん、と鋭く腕を振るうと、竜の口の中で火薬が弾けて小規模ながら爆発が起こる。

 その衝撃が、ブレス攻撃の発動を阻害する。

「グオオオォォン」

 自ら溜めた力を火薬の爆発で口内で暴発させられた竜が苦しみ呻き、蹈鞴たたらを踏む。

 やったか、と沸き立つ兵士たちを、視界の端からそれが襲い掛かった。

「うわぁぁっ!」

 最後の足掻きとばかりに竜の太くて長い尾が振るわれる。べしゃり、と何人かの兵士が巻き込まれて洞窟の壁へと強く打ち付けられた。

 足が、首が、身体の外側へと捻じ曲がり、口から血反吐が飛び散る。

 かつて仲間であったそれにちらりと視線を動かした私兵団精鋭達の隊長が、その顔を怒気に染めて輝く美しい鱗に覆われた巨体へと両手に持った剣を揮った。

「うおぉぉーー!」

 輝く鱗には剣はまったく刺さることも切り裂くこともできなかったが、術師の焚き染めた睡魔の煙と鏃による麻痺毒でふらついた身体はその衝撃を受け止めきれず、どうん、と大きな音を立てて倒れ込んだ。

 そこへ、ウォーハンマーやハルバードが何度も打ち付けられる。

「顎だ。顎を狙え。もしくは膝の関節部の後ろ側だ」

 関節の前方部は硬い骨があるが、その後ろ側は筋や太い血管が通っている割に筋肉も硬い骨もなく攻撃は通り易い。レインの指示に「了」と答えた兵士たちが、地に伏せ藻掻く巨体を力の限り叩き潰そうと取り囲む。

「グオッグオグオォン」

 巨体が鉄の塊によって打ち付けられる度に、どうんどうんと撥ね洞窟全体が揺れる。

 そうしてついに。切れねども、剣で成体の証たる鱗を打ち据えられた竜がひと際大きな声で鳴き叫んだ。

「グオオオォォォォンン」

 竜の身体がいきなり輝きだす。

「何事だっ!?」

 突然の光に目を焼かれた精鋭たちに視力が戻ると、そこには美しい女が一人、蹲っていた。

『人の子よ。なぜわらわへ無体を成すや』

 よく見れば、その女の腹は膨らみを帯びており、両手でそれを庇うようにしていた。

 それを見た呪術師は、ひと際醜くにたりと口角を持ち上げると、呆然と美しい女を見つめるだけになっていた公爵へと声を掛けた。

 「どんなに美しくみえようとも、あれは竜が人を欺くために化けているだけの幻に過ぎませぬ。ただし、あの竜が子供を孕んでいるのは間違いない。このまま捕まえることができれば、竜の心臓を2つ手に入れることができますぞ」

 つまりは公爵様の分の秘薬も作れますぞ?──

 そう、これ以上ないくらいに嬉しそうに歌うようににちゃりとした笑みをその醜い貌へと張り付けながら、呪術師はその恐ろしい考えを公爵へと耳打ちした。

 不老不死の秘薬。それがこの胡散臭げな呪術師が竜を求める理由だった。

 眉唾とも思えるその薬の材料には、幾つもの入手困難とされる稀少な素材が必要となる。

 百年に一度たった一日しか開かないとされる佳絶儚かぜつぼうの花に溜まる朝露、二対しかない筈の羽が五対ある蜉蝣の真ん中の羽、一万匹に一匹だけ生まれるという黄金と白金色に輝く深海鳴きエイの浮袋、霊峰の山頂に住まう霊鳥の卵の殻の欠片、金銀赤青緑黒計六色すべてを有した虹彩を持つ人の眼球、そして竜の心臓である。

『探し求める旅を続けて数十年。儂は竜の心臓以外の素材はすべて揃える所まできたのじゃ』

 あとは竜の心臓これ一つだけなのだと、竜の鱗を望まない理由を呪術師は跪き畏まって公爵へと伝えていた。

『六色をすべて有する瞳…そのような人間がいるのか?』

 口からでた疑問に、呪術者はなんでもないことのように答えた。

『はい。ほれ、ご覧くだされ。偶然にも、儂の瞳がそうですじゃ』

 これがなければ秘薬を作ろうなどとは思わなんだかもしれませぬなと、けたけたと笑い飛ばす。

 そうして不意に静かになった呪術者は、恍惚とした表情になって言った。

『名誉よりも金よりも、儂は、永遠の命が欲しい』

 鶏がらの様になった身体でにいっと嗤う呪術者の命は、全身に細かく刻まれた呪術紋により辛うじて繋ぎ留められ生き延びられているのだという。

 かような醜い身体で永らえて何の意味があるのか──ラモント公爵には全く判らなかった。

 青年期に入った頃から少し脂が乗り掛けてはいたが、レイン・ノル・ラモント公爵は国でも美しい男の部類に入ると言われてきた。先代王弟である父が早世し、まだ10代のうちに爵位を継いだレインは、婚約者が決まっていなかったのを幸いとそのまま花の独身貴族を愉しんでいる。

 そうして思うのだ。美しくもないものなど価値はない、と。

 大して美しくもない令嬢が、身分と贅沢な暮らしを求めて侍ろうとすることに嫌悪し撥ね退けてきた。そうして気が付けばすでに30となろうとしている。

 公爵位という、いつでも国へと領地や爵位を返還できる特別な貴族位にいるからこそできる暮らしである。次代へと繋ぐことが求められる侯爵位以下の貴族位だったらと思うとレインはぞっとする思いだった。

 すべての財産は、自分一代で消費してもいい。もし残っても王族へと還すだけだ。

 そう思って過ごすレインの人生は途轍もなく享楽的であり、そうして途轍もなく退屈なものだった。

 そう。今となっては特に。

 若くて美しい時期など短いものだと知っている。知っていたつもりだったが、生を受けて20数年、爵位を受け継いで15年、享楽的に生きてきた報いが自らの身体へと蓄積してくることが、レインには我慢ならなかった。

 翌日まで残る深酒の余韻も。翌朝の顔に浮くぬるりとした不快な脂も。腹回りについてきた醜い脂も。

 若い頃には自分には一切関係のないものだと信じていたのに。

 このまま自分も、普通に老いていくのだろうか。

 ──傍に誰も寄せないまま?

 夜、眠りに入る前などに、そんな虚しさが胸の奥を去来するようにもなっていた。

 そんな時に耳に入った竜の目撃情報と、不老不死の秘薬、そして子供の頃に憧れた竜の鱗を手に入れるという英雄への道筋。

 それは退屈だった人生を一瞬で色付くものへと変えたのだった。


 そうして。

『人の子よ。わらわは我が命を差し出す事、躊躇いはせぬ』

『この腹の仔の、命だけは助けてくりゃれまいか』

 必死で語りかけてくる人外の存在から、レインは目を離せなくなっていた。

 柔らかな金色の髪は清らかで暗い洞窟の中でそれ自体が光を帯び輝いてみえ、涙を湛えたその瞳はどこまでも深く蒼く静かな海の底のようだ。まろみを帯びた腹はいっそ優美で、それを守る細くてしなやかな腕は母の強さより少女の弱さしか感じさせない。

 その人非ざる美貌の化身に、レイン・ノル・ラモント公爵はその目を惹き付けられ動かせないでいた。

「誑かされますな。心を強くされよ」

 枯れ木の様な身体の、どこからその力強さは湧いてくるのか。

 呪術師が声と共に、竜である女の足元に向かい短剣を投げつける。

 それはこの洞窟全体へ施した封印の秘術を、より範囲を狭めることで強力になるよう組み換えた術式を書き込んである。それが女を囲むように5本、足元に突き刺さった。

『お願い致すでごじゃる…身共はどうでも構わぬ。この仔の命だけ、は…』

 ついに堪え切れなかった涙が眦から溢れだし、陶器の様に滑らかな頬を伝い流れていく。

「お前が私のものとなるなら、子供の命は助けよう」

 レインの言葉に、女は一瞬逡巡した。

 胎に子を持っているからにはどこかに番がいるのだろう。

 所詮獣であろう竜に番がどれほどの意味を持つのかレインには判らなかった。

 しかし、人ですら建前は建前でしかなく陰では皆やりたい放題なのだ。獣ごときの番にどんな意味があるというのか。

 そうレインが考えた通り、女はゆるゆると頭を下げ恭順を示し、名を訊ねる公爵に対して素直に『リリィであらしゃいます』と名乗った。


「公爵様、剣を捧げ持ち下され」

 レインは言われるままに腰に佩いた剣を抜き、女に向かって突き出した。

 呪術師が、複雑に組み換えながら唸るように呪文を唱える。

 それは低く唸る地響きのように、ぐわんぐわんと洞窟内を響き渡る。それと共に、短剣から黒い災いのような靄が渦を巻くように湧き出して女を取り巻いたと思うと、額のそこへと集まった。

 ぶしゅっ。

 そこから、白金色の竜の体液が噴き出し、紅い鱗が公爵の手元へと宙を舞って飛んできた。

 慌ててそれを剣を持たない方の手で掴み取る。

「これが、伝説の、成竜の鱗」

 それは、ひんやりと冷たくレインの手の中に輝いた。

『あ…あぁ、あぁ……我夫あがつまよ……』

 放心したように、女は洞窟の中から空を見上げるように顔を上に向けたまま、ぐずぐずとその場に頽れ、そのまま気を失った。

「さぁ公爵様。今のうちに、この竜の力を完全に封印してしまいましょうぞ」

 レインは呪術師に言われるままに竜の鱗を握りしめた左手を前に差し出し、求められるままに、自らの血を一滴、女に向かって垂らし篭めた。

≪いと古きかしこきものよ、竜女が差し出した言葉を守らせ、また要求した言葉を契約者へと守らせる誓いをここに提示する。竜女は、その胎にいる仔竜の命を、助命を望み、契約者はそれを受け竜女が契約者へと従うことを望んだ。竜女は自身でその力を封印し、契約者が御せる存在へとなることをお互いに誓う。其を違うは仔竜の命の抹消。未来永劫この世に生まれいずることはならず。契約者はその血を以ってこの盟約を約定する≫

 歌うような呪術者の声で発生した炎が、女の身体の表面を焼いていく。

 それは真っ白い肌を焦がすことも、髪の毛一本たりとも焦がし失う事すらさせないままに隅々まで隈なく女を取り巻く力を焼き切った後、しずかに鎮火した。

 とはいっても熱もなく煙もでない。不思議な黒い炎。

 それが焼いたのは竜の加護、番としての繋がり、そうして竜の一族たる証だった。

 儀式が終わったそこには、もう二度と竜の姿には戻れない、惨めな、美しいだけのレインのおんなが転がっていた。


 レイン・ノル・ラモントは、こうして稀代の英雄として名を馳せる事を成し得た。




シリアス先輩、張り切り過ぎです


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