ことわり
枕元でスマホから聞き慣れたアラームが鳴る。ほぼ無意識に鳴り響くアラームを止め、体を起こすが、空気に触れた部分を冷気が刺し、また布団をかぶる。そんなことを三回くらい繰り返し、やっと冷えたフローリングに足をつける。「これだから冬は嫌いなんだ」と呟いてみたりして、スリッパを履いて階段を降りる。
「おはよ」
コンロの前に立つ母親を見つけ、声をかける。多分僕の放った挨拶は返ってきたんだろうが、そんなことはどうでも良かった。カレンダーを眺め、今日の曜日から日付を逆算する。十二月十日。わざわざ予定を開けておいたクリスマスが近づいていることに焦りをを覚える。七時ごろになっているので茶碗にご飯をよそって、並べられていた目玉焼きと一緒に食べる。
「いただきます」
空気にさえ消されそうな小さな声で感謝を告げる。米から砂糖に似た気持ち悪い甘味を感じ、喉の奥が不快感を訴える。それは、そのことから目を離せば消えてしまう様な小さなものだったので、気にもとめず箸を進めた。米粒の一つに至るまでを平らげ、「ごちそうさま」とつぶやいたあと、葉を磨き、玄関に置かれていた学校指定のバッグを持って家を出る。
気づけば下校路にいた。「気づけば」というと語弊がある。いつも同じ様なことを先生から聞かされているような気がして、記憶にも残らなかった。というのが最適だろうか。小さな石橋で人を待っていた。下を流れる川に雪が降っては溶ける。そんなことを延々と繰り返していた、どうせ溶けるのに無意味に降る雪に何故か自分が重なった。
「待ったー?」
太陽のように温かい声とともに待ち人は現れた。息苦しさのようなものを感じながらずっと前から決めていたであろうことを言う。誰かから見れば温かいと感じるんだろうし、他の誰かから見れば寒気を感じるんだろう。だが、そこに存在したのは純粋な好意だった。
「ずっと―――」
永久のような時間が過ぎ、耳を撫でたのは「ごめんね」の四文字だった。胸に優しさが針になって刺さった。そして沈黙に耐えられなくなったであろう彼女が逃げるように立ち去った。
次の瞬間、視界は紅く染まった。そして、僕の目に飛び込んできたのは、アスファルトに倒れた彼女だった。状況が飲み込めなかったが、震える手でスマホを取り出し一一九番に電話をかけた。そこからはいろんな人がこの場に現れて、事情徴収をされたりした。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
明らかに肩を下ろして歩く自分に気を使ってか、五歳程度の子供に声をかけられた。
「大丈夫だよ」
と弱々しい声を出す。「ふーん」と興味なさげな反応をされるが、怒るほどの体力も気力もなかった。
「――には生きていて欲しかったよね?」
「なぜ彼女を知っているのか」とかくだらない疑問は出てこなかった。その言葉には子供とは思えない重さがあった。その雰囲気におされ、僕は素直に答える。
「生きていてほしかった」
「でも、君の言葉にうなずいて、一緒に帰っていればこんな事にはならなかったよね?」
正論ではあるが、そうならなかったから嘆いているのではないか。そんな考えの中で、自分と並び、帰路を歩く姿が脳裏に浮かぶ。
「一緒に生きていたかった。並んで歩ける世界に生きているだけで僕は満足だ。」
これまでで最も大きな声を出した気がした。その子の顔を覗くと笑顔を浮かべていた。
「本当に?もう一度があったら、君の声は彼女の胸に届く?」
僕は小さくうなずいた。
枕元でスマホから聞き慣れたアラームが鳴る。それを無意識に止め、二度寝、三度寝をする。ベットから足を下ろし、フローリングの凍てつく様な冷たさに「これだから冬は嫌いなんだ」と愚痴をこぼす。部屋の壁にはられたカレンダーが目に入り、今日の日付を確認する。
十二月十日