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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋はタイミング。シリーズ

パンクを直す方法。

作者: 藍川 琳

 「パンクと銃声、そしてコーラな帰り道」の続編となります。そちらを読んでいただけるとより楽しめると思うので、読んでいただけるとありがたいです。


 また、今回は高校受験についての決まりや価値観が地域によって違うらしいので、説明的なの入れます。

・私立は基本滑り止め、又は公立より受験日が早いため予行練習のために受ける。

・基本的公立の高校がみんな本命。

 偏差値について

 〇〇高校(60くらい)□□高校(55くらい)◇◇高校(45以下)だと思っていただければ、いいかと思います。〇〇高校は県内上位の進学校だという認識で見ていただければいいです。


 腐れ縁、と言われる縁。そんな縁が僕にあるのだとしたら、誰とつながっているのだろう。幼馴染と言われるような小さい頃から遊んでいた友達はいる。そいつとは特に付かず離れずの距離で、時々顔を合わせた時に少し世間話するくらい。友達、とも言えないような知り合い程度の細い縁でつながっている。それも腐れ縁に入るのだろうか。


 何でこんなことを考えているのかというと、新たな腐れ縁に出会ったからだ。その腐れ縁というのはこの地元の駅前にある塾の夏期講習の中にあった。その縁は早速始まった講習の行われている教室の、右斜めの廊下側の席にある。三年ほどあっていなかったから随分と大人っぽくなって、そしてあの頃の無邪気さがなくなった彼女。僕がかつて好きだった女の子、森あすかさんがそこにいた。

 あのころは肩くらいまで伸ばしていた髪は、今はもっと長くなっていて一つに結っている。丸みがあった頬はシュッとして、彼女を大人へと近づいていることが分かる。それとは反対に体は女性らしく丸みを帯びているが、スラリと伸びる足はそのままで、スカートの中から見えるその足を見るとにドキマギしてしまう。どこか軽くふわふわと飛んでしまう綿毛のようだった雰囲気が、きちんと根を張ってその場にしがみつくタンポポのようになったいた。その代わりようのおかげで、彼女が森さんだと気づかなかった。そんなくらい、彼女は変わっていた。


 そんな僕がなぜ森さんだと気づいたのかというと、彼女の方から話しかけてくれたからだ。「敦士くんだよね」と、あの頃とは違う女の魅力を持たせた笑顔で。そのあと少し会話をしたが、先生が来てしまったので会話をやめてこの講習が始まったんだ。

 正直、なんで彼女が僕に話しかけてくれたのかが全然わからない。僕が彼女の立場なら話さないし、絶対に話しかけない。だって僕は中学の時、彼女を振ったんだから。そんな振った相手に、しかも笑顔で話しかけてくれるなんて気になって仕方がない。中学の時は告白後にちょうど席替えがあり、隣だった席は離れた。その後は必要最低限しか話さずに終わった。そんな風に関係が終わった僕に話しかけるなんて、本当になんでなんだろうか。


 そんなことで、今の僕はかつて好きだった女の子に出会って戸惑っているところ。せっかく親にお金払ってもらって通っている授業なのに、集中なんか出来ない。

 さっきから先生の説明を聞こうと思っても雑念が邪魔をして、右から左に流れていってしまい授業に集中できない。時計をみれば、授業が始まってからもう十分も経っていた。

 これ以上はダメだ、と思った僕は頭を振って音が鳴らないように弱めに頬を叩いて雑念を追い払い、授業に集中することにした。彼女へ次の休憩で直接「なんで話しかけてくれたの?」と聞こうと決めて。




 そう決めて集中した授業は案外早くおわってしまった。というかこの塾は本気で大学受験全員合格を目標にしているところで、全国展開している塾ではないのだけれど「教え方が上手」だと評判の塾。地元では有名な塾で、全国展開でないこともあり授業が少し高めなのだが親に頼み込んで通わせてもらったくらいだ。そんな授業が面白くないわけがない。

 途中からちゃんと聞き始めた授業は、とても有意義なものになったと思う。学校の授業は「やり方を教えてもらう」感じで、塾の講義は「解き方を教えてもらう」といった感じの授業だった。その為、最終的には授業を前のめりで聞いていた。

 やっぱり講義は面白いなーと満足感に浸っていると、視界の端で森さんが廊下に出ていくのが見えた。僕はそうだ、と思い出し森さんを追いかけて廊下に出た。とりあえず左を見たら、窓から空を見上げるようにして立っている森さんがいた。彼女は僕に気づいていないようだったので、重いっきて声をかけてみることにする。


「やあ森さん、何しに来たの?」


 森さんは僕の声を聞いてやっと僕に気づいたようで、僕を見つけて目を少し目張った後「あー、敦士くん」と笑顔を見せてくれた。その笑顔を答えるように、僕は右手を軽く上げてひらりと手を振って彼女の右隣に立った。


「なんか講義に疲れちゃって、それで新鮮な空気を吸いに行きたいなと思ってね」

 

 そういう彼女の顔は確かに疲れが見えた。そして空を見上げたかと思うと、深呼吸するかのように長い溜息をついた。中学の頃の明るい彼女しか知らない僕は、こんな風に暗い顔をしている彼女があの森さんなのだと思えなくて、自分の眉間にシワが寄るのがわかった。


「そうなんだ。確かに講義は結構速いスピードで進んでたから、毎回あれだと疲れちゃいそうだよね。まだはじめの授業だからまだ僕は大丈夫っぽいけど、これからどうなるかなー」

「いやいや、あの授業についていける人はすごいと思うよ。私なんか、頭悪いからついていくだけで精一杯だよ」


 そういう彼女の瞳は、あの頃のような輝きがなくなっていた。その代わりにその瞳の奥には濁った劣等感が見え隠れしていた。けれど僕は、それに気づかないふりをして話を続けた。


「んー、ここも進学塾だしね。普通にきついよね」

「そう、そうなんだよ! 私ね、本当は塾なんか行きたくなかったのに親が勝手にここに申し込んじゃって。仕方なく通ってるんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「そうなの!」


 僕としてはこのくらいの勉強量は覚悟してやってきてたのだが、彼女は違うらしい。彼女はどうやら僕とは逆の立場のようだ。僕は両親に頼み込んでこの塾に来たというのに、彼女は両親に頼まれて塾にやって来たと、嬉々として話し出す。

 彼女は嬉しそうに両親への不満、勉強なんかしたくないこと、もっと遊びたいと僕に行って来た。僕としては来たくてここに来ているのに、こんな風に全否定されれば気分は良くない。だけどそれは表に出さないようにして、笑顔で彼女の話に「うん、うん」と頷くことに徹した。これくらいの処世術は、高校生くらいになれば、身につくものだ。

 すると十分休憩の半分、つまり五分が経ってしまい「準備しましょう」という放送が流れた。


「あー、もう休憩終わっちゃったか。敦士君、よかったら次の休憩もお話しない?」


 そう聞いてきた彼女の顔は中学の頃みたいに無邪気そのもので、僕はその顔が好きだったなと思い出す。好きだったはずなのに、いまはその顔が妙に腹立たしかった。彼女とはなるべく話したくないとさえ思うくらいに。


「うーん、ごめんだけど三限目は苦手なところだから授業前に少し復習したくてさ」


 自分でも顔が引きつっているのがわかるが、なんとか笑顔を作りながら歯切れ悪く返事する。すると彼女は「わかった」と笑顔で了承してくれた。よかったと胸をなでおろしたら、「じゃあ、お昼ご飯一緒に食べよう」と言われてしまった。

 先ほど断ったから断りずらいが、なんとか断れないかと思った。けれど僕は、あの頃みたいな無邪気な笑顔の森さんを見たら、「うん」としか言えなかった。


 惚れた方が負け、とはよく言ったものだと思った。例えそれが過去のものでも、こうやって負けてしまうのだから。




「それじゃー敦士君、お昼食べよう」


 授業が終わってカバンに荷物にしまっていたら、森さんが僕のところまでやってきた。どうやら彼女の方が早く荷物をまとめられたらしい。待たせるのは悪い、と思い「ちょっと待ってて」と声をかけて急いでリュックの中にテキストを入れる。普段なら授業中に配られたプリントをファイルに入れるところだけど、今回は省略してテキストに挟んでリュックにしまった最後に筆箱を入れたら勢いよくリュックのチャクを締める。


「よし、大丈夫。それじゃあ行こうか」


 そう声をかけてリュックを背負って、彼女の方を見る。すると彼女は笑顔で僕の顔を見て一度大きく頷くと、ドアの方へ歩き出した。先導する彼女の後を僕はそのままついて行く。


「これからどこ行くの」

「うーん、休憩スペースで食べてもいいかもだけど、ゆっくりお話ししたいからイオンのフードコートにでも行こうかなと。それでいい? 私お昼持ってきてないし」


 それはいい提案だと思った。昼休憩は一時間だけだけど、近くのイオンはほぼ目の前にあるし、大きい方じゃないので夏休みといえど、そこまで混まずに椅子に座ることができるであろう。何より僕はお弁当を持ってきているので、そこらで飲み物だけでも買ってフードコートの席に座らせてもらうことにしよう。あとは彼女が言ったように塾の休憩スペースでは塾の関係者に聞かれてしまうので、やっぱりフードコートで食べて話すのがいいのだろう。

 本当はお金はあまり使わないで貯めておきたいのだが、そんなこと言うのも野暮だろう。適当なチェーン店で買えば、ジュースなら百円くらいの出費だ。それくらいはいいだろう。


「いいよ、けど僕はお弁当があるからそっち食べるけどいい?」

「いいよー。 逆にお弁当あるのに付き合ってもらってごめんね」


 眉を下げてしょんぼりとした顔で女の子にそう言われたら、男はこう言うしかない。


「いや、自販機で何か飲み物は買おうと思ってたから大丈夫だよ」


 本当は「無駄にお金を使いたくない」と思うけれど、笑顔で森さんにそう返す。そんなこと言ったら、彼女と話す時間が無駄になると言っていると同義だと思われるかもしれない。軽くそう思っているが、そんな心の声なんか聞こえているはずもないので、森さんは下げた眉を元に戻して顔を緩める。


「そっか、なら良かった」


 その変わらぬ笑顔に胸をなでおろすと、もうイオンについていた。このイオンは近所のおばちゃまなんかがよく買い物に来る用のこじんまりとした方のイオンで、規模はそんなに大きくない。けれどちゃんと数種類のチェーン店を横に連ねる立派なフードコートがある。最近リニューアルして席数が増えたので、よく時間を持て余した老若男女がコーヒーなんかを飲みながらお話に花を咲かせている。その中で僕らもこれから花を咲かせに行くのだ。

 朝起きた時には女の子と、しかも昔好きだった女の子と二人で話すことなんて想像できなかった。なんだかデートみたいだな、なんて一瞬考えたがその考えはすぐに消えた。これはデートなんかじゃない、デートとは行為を持つ男女が出かけることだから僕たちには当てはまらない。


 着いたフードコートは予想通り若干混んでいたが、昼時だが平日なので座れる席が何席か空いていた。先に席を確保するために、僕はカバンからスマホと財布を取り出してリュックを置いた。彼女はカバンから汗拭き用と思われるどこぞのバンドのマフラータオルを机の上に置いていた。

 「そのバンド、好きなの?」と聞くと、「友達が好きでさ、付き合ってライブ行った時に記念として買ったの」と言われた。好きでもないバンドのライブにお金を払って行くなんて、僕にはできないと思いつつ頷いた。


「どこでお昼買う?」

「んー、迷ってるところ。ラーメンにするか、たこ焼きにするか」


 こういう場合は決められなくて長引く場合が女子は多いから、さっさと決めてもらえるように誘導する。


「その二択か、ちなみにたこ焼きの場合はセットにする予定?」

「んーん、食べ終わった後にソフトクリーム買おうかと思ってるだけ。食べる時に一緒に買ったら溶けちゃうし、かと言って食前にデザートってのも嫌だから」

「そこまで決まってるんだ…、ならさたこ焼きで飲み物をセットで買ってくれない? その方が飲み物代安くなるからさ」

「いいよー、ならたこ焼きにしちゃおー」


 そう言って彼女は二人ほど並んでいるたこ焼き屋さんの列に向かった。僕もその後について行く。見るとちょうどたこ焼きを作っているところらしく、たこ焼きができるまでみんな待っているようだった。そのためか注文が終わった客はレジ横に別の列を作っていた。

 ちょっと時間がかかりそうだな、と思ったらすぐに注文の番がやってきた。


「えっと、ネギのたこ焼き8個入りで。あ、セットでお願いします。敦士君、飲み物は何にするの?」

「あーっと、オレンジジュースで」

「はい、ネギたこ焼きのセットで、飲み物はオレンジジュース、ですね。六百五十円になります」


 森さんはそう言われて女の子らしいパステルカラーの長財布の財布の中身を出す。見えてしまった財布の中身から、あの諭吉さんとの顔が見えて少しびっくりしてしまう。諭吉さんだけで終わりではなく、樋口さんが三人ほどいた。僕の財布には人が一人にいないのが普通なので、その人の多さに驚いてしまう。ましてや諭吉さんがいるなんて。


「これでお願いします」

「はい、千円お預かりします。こちら三百五十円のお返しとレシートです。お先にお飲み物をお渡しいたします。たこ焼きは焼けるまで少々時間がかかりますので、あちらでお待ちください」


 僕が飲み物をジュースを受け取ると、店員はレジ横の待機列を指差した。「わかりました」と返事して僕たちはそのまま横にならんだ。そして僕はジュースを左手に持ちつつ、財布の中から頑張って百五十円を出す。


「はい、ジュース代」

「ありがとう」


 森さんは受け取った小銭と財布を交互に見て、スカートのポケットに入れ込んだ。そのことに驚きを隠せなくて、思わずスカートのポケットを凝視してしまう。


「森川くん、どこ見てるの」


 その侮蔑を隠さない冷たい声で森さんが言った。その声に僕は冷水を浴びせられたように背筋がひやりとした。表情筋がうまく動かなかったが、無理矢理に笑顔を作って森さんの方を伺ってみてみた。無表情だったが目があった瞬間ににこりと笑顔になったので、僕も笑顔を返す。綺麗な笑顔のはずなのに、なんだかとても怖かった。


「はーい、たこ焼き8個入りのお客様ー。お待たせいたしました」


 そんな僕らの気まずい雰囲気など知ったことじゃないと言わんばかりに、店員さんの元気な声が響き渡った。その声に一番前に並んでいた人が動き出す。そこから順番にたこ焼きが渡され、森さんの番がやってきてネギたこ焼きが乗ったお盆が無事に渡された。

 用は済んだので二人で無言でマーキングした席に向かう。もちろん無言で。先ほどの店員のおかげでどこか冷たい空気ではなくなったが、気まずい雰囲気はいまだに健在だ。

 理由が理由なので、僕の方から話し始めることなんてできない。どうしようかと思っていると、森さんの方が先に口を開いた。


「さっきのは半分冗談だから、気にしなくていいよ」


 あまり感情が感じられない平坦な声でそう言われても、というか半分は本気だったのか。でも視線をやましい気持ちがなかったとしても、あんなところに向けられたら誰だって不快になるか。

 なんか腑に落ちない気もしたが、ここは素直に謝ろう。


「ありがとう、やましい気持ちがなかったにしても凝視してしまってごめん」

「やましい気持ちが見られたら、平手打ちしてたからね」

「うわまじか、止まってくれて本当にありがとう」


 下手したら平手打ちされていたとは、思いとどまってくれたとこに本当に感謝する。というか平手打ちするなんて、中学の頃の彼女だと想像できない。あの森さんが、確実に女の子から女になっているのだと実感する。女はこういう時は、男より男気を見せてくるから怖い。

 そんなバカなことを思ってたら席までついたので、お互いに席に置いた荷物を回収してから向かい合わせで座る。そして僕はカバンの中からお弁当を出す。


「じゃあいただきます」

「いただきます」


 その合図をしてから、二人して食事を始める。僕もお弁当の中からきんぴらごぼうを口に運んでからご飯をかきこむ。森さんはタコ焼きを真ん中で二つに割りながら僕に話しかける。


「敦士くんってさ、どこの高校に通ってたっけ」

「あー、〇〇高校」


 正直、この高校に入れたことを大にして言いたいところだけど、そんなことはできないのでぶっきらぼうに弁当を食べながら言う。森さんは高校名を聞いて、キラキラとした目を向けてくれた。

「え、そんなに頭良かったけ? ここら辺でいちばんの進学校じゃん」

「受験勉強頑張ったからね。高校では下から数えたほうが早いくらいだけど、なんとか受かったんだよ。森さんはどこに行ってたっけ」


 本当は自慢したいところだけど、そんなことをしてもただのナルシストになってしまうのでささっと話題を変える。森さんだから、無難にそこらの進学校にでも通っているんだろうと思って軽い気持ちで聞いた。「□□高校だよ」と笑って教えてくれると思って。

 予想に反して、森さんは輝かせていた目から光が一気に消え、笑顔も消えてしまった。その代わり様に僕は思わず息を飲む。森さんはゆっくり瞬きを一回してから、僕の質問に答えてくれた。


「私は、◇◇高に進学したんだ」


 その高校名を聞いて、僕は驚いた。それと同時に、彼女がなんでこんな表情になるのかがわかった。その高校は底辺とまで言わなくても、偏差値50以下の素行が悪い子がよく進学している高校だったからだ。

 驚きと戸惑いで僕は何も言えずにいると、彼女はたこ焼きを食べ始めた手を止めて、自嘲するかのように笑ってから語り出した。


「私もね、こんな高校に入ることになるとは思ってもなかったよ。受験もね、みんなと同じ□□高校を受験したんだ」


 その高校名は僕が思っていた高校で、納得と同時にどうしてこの高校に入ったのか予想もできてしまった。

 彼女はまだ半分残っていたたこ焼きをぐしゃぐしゃにしながら続きを話す。


「倍率もそんなに高くはなかったはずなんだけど、なんか私だけ落ちちゃって。私、絶対に受かると思ってたから私立の受験とかしてなくて。それで急いで三次募集あるところを調べて、そしたらこの高校しかなくってね。仕方なく入ったの」


 僕の方を見ながらも、僕を見ていない森さん。その瞳には薄暗い感情が浮かんでいるのがよくわかった。その感情を吐き出すかのように、二個目のたこ焼きも中身を割っていく。


「周りのみんな、バカばっかり。授業もただ先生が話してるだけでみんな聞いていないし、聞いても理解できてない。テスト期間なんか遊ぶ期間だし、赤点でも気にしない奴らばっか。授業中なんて本当うるさくて、まるで動物園にでもいるみたい」


 体の中の淀みを出そうと必死に吐き出す彼女の顔は歪んでいて、悔しさが滲み出ている声は呪詛を謳う老婆のようであった。その感情はヒートアップしてきたようで、彼女の瞳に涙が浮かんでくる。さらにその苦しみをぶつけるかのように、中から取り出したタコに箸を刺した。

 僕はなぜだかその様子を、オレンジジュースを片手に落ち着いて見ていた。口の中に独特の香りと酸味、そして糖液により甘さが口の中に残って少し気持ち悪く感じる。これ以上は飲みたくない、と机に意思表示としてジュースを置く。


「でもね、そんな空間に三年もいるとね、私もそれに慣れてきちゃって、ばかになっちゃたの。お父さんはこの塾でちゃんと勉強して偏差値を上げて、推薦枠でいい大学に入って、やり直せばいいって、お母さんも、この塾で頑張りなさいって。だから、私も頑張ろうと思ってたの。学校の中では一桁の順位は取ってたし、授業もちゃんと受けてる方だったから、イケると思ってた」


 彼女は耐えきれなかったのか、顔を下に向けて両手で隠した。そして綺麗にセットしていた前髪をぐしゃぐしゃにしていく。その間も、森さんの声は途切れない。


「でもね、全然追いつけないの。あの腑抜けた授業に慣れきった私の頭じゃ、ついていけなかった。私もバカになってたんだ。もう、追いつけないの、無理なの」


 夏の生ぬるい風に揺られてなる風鈴の音のように声を響かせ、最後は虚しい余韻を残してその声は聞こえなくなった。その代わりに、彼女の嗚咽が小さく聞こえる。

 僕はなんと声をかけれたらいいのかわからなくて、視線をせわしなく動かす。まだ一口しか食べていないたこ焼きは、もうぐしゃぐしゃになってた。


「森さん、とりあえずたこ焼きを食べよう? このままだと冷めちゃうよ」


 居た堪れなくなった僕は思わずそう声をかけてしまった。その途端、彼女の嗚咽が止まったかと思うと隠してた顔を丸出しにして僕を見つめた。先ほどまで泣いていたことがよくわかる潤んで赤くなった目は、僕を親の仇だと言わんばかりに睨みつけてた。

 その目に篭った思いが僕の中に流れ込んできて、気分が悪くなった。


「これも、森川くんのせいなんだよ」

「は?」


 そんな風に忌々しく言われても、僕は意味が理解できなかった。いつ、どこで、どうして彼女に憎まれるようなことになったんだ。全く想像がつかない僕は、ただ間抜けた声を出すことしかできなかった。

 森さんはさらに鋭く目をさせると、毒の入ったような声で理由を説明してくれた。


「森川くんが、私を振ったから。それから私の人生はめちゃくちゃだよ。絶対うまくいくと思ってたのに断られて、傷心につけこまれて隆也と付き合ったらテニス部の部員にはぶられるようになって、そっから私の人生は下がってばっか。

 周りの顔を伺うことばっかだし、勉強にも身が入らなくなって受験にも落ちた」


 そう言ってポロポロと涙を流す彼女は、僕の知らない森さんだった。そんなことがあったなんて知らなかったし、言っていることは全部逆恨みだ。僕が知っていた森さんは、こんな風に人を逆恨みするような人ではなかったはず。いや、僕は森さんの表面的ないいところを見て好きになったに過ぎなかっただけで、これも森さんなんだろう。そう認めたら、心のどこからか空気が抜けるような感じがした。

 僕が好きだった森さんは、この人じゃない。そう思った。


「ねえ、森くん。なんで私の告白を、あの時断ったの?」


 まるで捨てられた子犬かのように、まっすぐに悪意も何もなく見つめてくる目。自分は何も悪くない、この眼をすれば相手は罪悪感を持ってくれると知っている打算にまみれた眼。

 そんな目で見つめたらたら、僕が悪いみたいじゃないか。どう考えたって彼女の方が言いがかりつけて悪く言っているだけなのに、ただ僕が告白を断っただけなのに、こんなにも追い詰められるんだ。


 それは彼女にかつて抱いていた好意が、僕の中に思い出として残っているからだ。そしてあの時みたいに、僕らはまた傷つけ合うんだとわかった。そして今度は僕が君を傷つける番だと。

 そう考えたら心の中の淀んだ感情は物色され、僕は笑顔になった。


「ねえ森さん。告白された前の日に僕の自転車がパンクして一緒に帰ったこと、覚えてる?」


 そう話を切り出すことは想像していなかったであろう森さんは案の定、虚をつかれた顔をした後、お婆ちゃんが昔話を話すかのように穏やかな顔をして笑った。


「うん、覚えてるよ。あんなに印象的なことなんて、なかなか忘れられないよ」

「よかった、あのことをちゃんと覚えてくれてて。でね、僕はあの時に失恋したと思ったんだよ」

「え、失恋? 誰に」


 ここまで言ってもわからないとは、やはり森さんは森さんなんだと思い、少し安心する。僕はマジシャンがマジックを披露するときのように得意げに、オレンジジュースで喉を潤おして、勿体ぶってから告白する。


「森さんだよ」


  トリックがばれずに無事に披露することができ、僕は安堵から自然な笑みがこぼれる。森さんは口をポカンと開けてびっくりしてた。それから目を瞬かせて、「信じられない!」と叫んだ。その反応はマジックを見て「どうやったの!」とキラキラと目を輝かせる子供のようだ。

 その取り乱し様は僕が予想していたよりも大きくて、顔を赤くさせながら僕を睨みつけてくる森さんはやっぱり可愛くて、自然と笑ってしまった。先ほどのギラギラとした目は、どこかに消えてしまっていた。


 そしてふと思う、まるであの時の続きみたいだ。僕が森さんを振った後の、未来の話みたいだと。

 あの時はほとんど会話がないままに別れて、そのままになってしまった関係が、ここでまた始まったかのように錯覚してしまう。それほどまでに、今の森さんは、昔の森さんみたいに純粋な子供のような女の子だった。


「本当だよ、僕は森さんが好きだったんだ」

「嘘だよ、もし好きだったっていうなら、普通は付き合うでしょ。好きじゃないから、断ったんでしょ?」


 まるで幽霊でも見ているかのような目で僕を見ながら、問いかけてくる。体から力が抜けて、完全に気の抜けたようだった。机の上に置かれた手は、小刻みに震えていた。

 それを横目で見ながらも、いつも通りの調子で説明し始める。


「だから好きだったって言ったじゃないか。過去形だよ。

 僕は、森さんが好きだったんだ。だけど、森さんが告白してくれた時には僕には森さんへの好意が消えていたんだよ」


 その言葉を聞いた森さんは、僕を食い入るように見つめてきた。その目は「どういうことだ」という心情を雄弁に語っていた。その顔を見て僕は苦笑する。

 あの頃は、森さんをこんな表情にさせたであろう男たちに嫉妬していて、僕は今になってそれを叶えた。だというのに、心に広がるのは虚しい嬉しさだけだ。


「いや、消えたというのは語弊があるかもしれない。森さんを好きだなと思うことは、正直今でも少し思ったりもする。だけどその気持ちが留まり続けないんだ」


 そう、今も「好きだな、好きだったな」なんて幾度となく思いはするけど、その気持ちは長続きしない。まるで穴を開けた風船のように中身が抜けて、どこかに行ってしまう。

 改めて森さんを見つめてみる。黒い髪も、まっすぐに感情を表す瞳も、さくらんぼのように色づく唇も、あの頃と同じで、あの頃とは違っていた。そのことに改めて気づいた瞬間に、体の中からスゥッと冷えていく感覚がした。


「もう、好きな人ではなくなってしまったんだ」


 その冷たさに気づいた時には、もう口が勝手に動いていた。その声色は自分でも驚くぐらいに冷たくて、森さんを見据えている目は冷え切っているのだろうとわかった。だけど、そのまま見つめ続ける。彼女はとても辛そうで、寂しそうな目で、すがるように僕を見つめている。


「この恋は、もう終わったんだ」


 僕は彼女から伸びてきた希望の糸をを断ち切るようにそう言い放ち、自分から合わせた目線を離す。彼女を完全に視界から消したまま、まだ半分も食べ終わっていないお弁当を片付けて時計を見る。するともう昼休憩が終わりそうな時間になっていた。

 そのため、僕はここを立ち去ろうと席を立ち上がる。頼んだメロンジュースはまだ半分以上も残っていた。


「もうそろそろ昼休憩も終わりそうだから、戻るよ。森さんは『体調が悪くなったから帰った』って伝えておくから、またね」


 百五十円分軽くなったカバンとオレンジジュースを手に、僕はフードコートから立ち去った。後ろから蚊の鳴くような声が聞こえてきたけど、聞こえないふりをした。だって僕と彼女が繋がることは、もう無いんだから。


 残っていたオレンジジュースを一気飲みして、フードコートのゴミ箱に捨てて店を出た。


 オレンジジュースは氷が溶けて、薄くなっていてオレンジ風味の水になっていた。




 ジリジリと肌に刺さるような日の光を浴びながら、僕はあの時のことを思い出した。



 僕が失恋をして、「昨日のあの後、隆也と付き合うことになったの、昨日はありがとう」と言われるとばかり思っていた放課後の呼び出しは、「付き合ってほしい」という180度違うもので僕を困惑させた。まさか、僕が告白されるなんて思っても見なかった。そのため、僕は彼女の告白に驚きの声を上げただけだった。嬉しさがない、驚きの声を。

 彼女は恐る恐るといった風に僕の顔を伺うと、そのまま硬直した。僕の顔に純粋な驚きと、戸惑いしか写っていなかったからだろう。お互いに相手が違う反応を返したもんだから、戸惑っていた。

 その後も戸惑いは隠せないまま、「ごめん、そんなふうに考えたことなかったから」「ああ、そう、なんだ」と言って気まずいままに別れて終わった。


 その放課後に、僕はパンクした自転車を修理に出しに行った。修理を出しに行ったお店は初めて入る店で、一年ほど前にできたばかりの自転車専門店だった。店頭にはマウンテンバイクが陳列されており敷居高く感じていたのだが、両親に「どうせならあそこの専門店に行ってみたら」と言われたのでやってきた。イヤイヤだったが両親に逆らえなかった僕は、その店を訪れた。

 店の中にはマウンテンバイクに、よくわからない自転車用の小道具がいっぱいあり僕は落ち着けなかった。店の人が僕の自転車について質問してくる時も、僕は自転車にそこまでの思い入れもないため歯切れ悪く答えることしかできなかった。


「うん、見事にパンクしてるね。そういえばね、自転車のパンクの仕方にも大きく分けて二種類あるんだけど知ってる?」

 そんなこと知っているはずもない僕が、「知らない」と答えると店の人は微笑みながら説明してくれた。


「まずは普通のパンク、これは何かの拍子にパンクしちゃうやつね。この場合だとその穴を塞げば、また走れるようになる。

 次は、空気不足の状態のタイヤで走ることによってチューブが削れてパンクしやすくなったタイヤのパンク。通学とかで毎日くらい乗るなら、一週間に一回くらい入れて欲しいところなんだけど、さっき君入れてないって言ったよね」

「、はい」


 案に「自転車を大切に扱ってなかったからこうなるんだよ」と言われたようで、怖気付いてしまう。自転車が好きな彼からしたら、僕はさぞかし嫌なやつに見えるのだろう。そう思えてきてしまい、なんだか叱られている気分になった。


「そう、だからこのパンクも後者の方のパンクだと思う。その場合はチューブが削れているからパンクの穴を塞いでも、またすぐにパンクしてしまう。だからチューブを変える必要があるんだ」「はい」

「ごめんだけどね、今予約が詰まっていてチューブを変えるのは明日になってしまうんだけど大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です。お願いします」


 そう言うと彼は連絡先を書く紙をくれたので、そこに記入して修理をお願いした。ついでに修理代を後払いにするかと言われて出された金額は、母に渡された三千円で足りなかったので後払いにすることにした。思ったよりも大きい金額に、肝が冷えた。





 あの時は本当に焦ったなー、なんて思い出していたら塾についた。ちょうどズボンのポケットからスマホの振動が伝わってきたため、出してスマホの電源をつける。するとメッセージアプリの通知が表示された。


「ひなた:スタンプを送信しました」

「ひなた:塾どう?頑張ってねー」


 その通知を見て、アプリを開くと僕とツーショットの写真のアイコンから上記の内容が吹き出しに書かれていた。スタンプは子犬が応援団の格好をして「ファイト〜」と書かれた旗を振っているものだった。その可愛さに癒され、先ほどまで感じていた嫌な気分が飛んで行った。そして胸の中がとても温かくなり、広角が自然に上がる。思わずにやけてしまった頬を必死に戻しながら、彼女への返事を返す。


「敦士:ありがとう、頑張る」


 そう打って、彼女が好きなウサギのキャラクターのスタンプでさらに感謝を伝えた。そしてビルの中に入り、エレベーターに乗って塾へと向かう。


「チューブがすり減ってしまったタイヤは、変えないと」


ーー走り続けられなくなってしまう。


 そう心の中で呟いて、開いたエレベーターの扉から僕は歩き出した。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。


 森さんの転落人生はいかがでしたか? 初めは森さんは妊娠して高校中退して自動車学校で会う予定だったのですが、なぜか塾が舞台になってしまい、森さんが中退せずに終わりました。書き直そうかとですが見てくれた友達から「それだと森さんが可哀想すぎるから、このままで!」と言われたので、こちらを載せさせていただきました。

 皆さん的にはどっちの方がいいでしょうかね? 今後森さんはデキ婚して、普通の幸せは手に入れられる予定なのでどちらでもいいかと思っているのですが。デキ婚する時期が学生の頃か、成人しているかの違いなので。


 あと暗めのお話でしたので、途中で気分が悪くなられた方がいたらごめんなさい。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。


追記:なんかこのままだと、「森川くん冷徹すぎー」なんて印象になってしまう気がしたので補足します。森川くんは、森さんへの初恋を昇華して次の恋に活かしてました。対しての森さんは、初恋を昇華しきれず逆に憎しみへと変わったわけです。恋愛って奥が深いですよね。(←交際歴なしの人)


※2018年12月15日 一部変更・加筆しました。

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