紐
市橋は自分で空に毒を吐いたところで解決しないことなんて誰かに問われるまでなくとも知っていた。無知なふりをするのがいかに愚かなのかは知っている。愚かな姿を表に出すことも愚かである。誰もいないことも知っているが、緊張感をもっている。
「此処にいたのか。市橋。」
「渡辺さん。」
缶コーヒーを2本もっていた。適当に買ったのだろう。微糖だの無糖だのの言葉があふれている。好みは知らないからだ。
「班長から聞いたことで落胆したか?」
「いいえ、全くないです。むしろチャンスをもらったのを逃すのは大きな魚を逃す可能性もあるんですから。俺はついているんです。落胆するなんてないですよ。」
「その答えを聞いてほっとしたよ。あの人は何処でもいる人じゃないから。他人に振り回されることを選ぶことはなくて、他人が危機があるときにひっそり動き出す人だ。自分の立場は建前上のいい道具だ。俺たちは救われている。噂でギャーギャー騒ぐ上司よりよっぽどいい。」
渡辺は以前の悪態つくように言ってた。噂に飲まれているのをうざかったのだろう。渡辺が何時も生き生きしているのは古木の態度がいいのだろう。市橋は笑顔を見せた。うれしい。
「渡辺さんがいい上司を得たんですね。」
「班長は自分のことを憎んでいるから、恨んでいるからいけるんだよ。自分を餌で釣ることもいいんだ。誰かが襲われるときがあったら飛び出していくよ。犠牲を作るくらいなら自分がなるっていう人だ。理解したんだろ。水沢さんから嫌というほど聞かされるワードだ。光ちゃんも知ってる。一止も誠治もな。」
「それって俺が言った単語あってないですよね。」
「正解、あってないっていうにはこう言うしかなかった。水沢さんから聞かされたときはぞっとしたけど、責任を負ったと思った。それと同じくらいの負担を負った分、よかったと思った。」
見た目だけで判断することは難しいのだ。裏で考えていることを価値を勘違いするのだろう。渡辺が寝ているのはふりと実際なのを混ぜ合わせているのだろう。
「俺は此処に来て得をした。損得勘定を持ったことはないけどな。小寺も思っただろうな。家族を守るじゃなくて、自分を犠牲にするんだ。」
自分を犠牲をすることを選ぶのは、家族を捨てることを選ぶのだ。妻も子供も知っている。理解しているから警戒しているのだろう。奪われるのは命じゃないのだ。傷が導いた道なら癒せばいいなんて安い言葉をつなぎ合わせることはできなかった。




