舞台の上の幕の指示
警視庁に戻ると市橋と渡辺が同じソファに座っていた。似たような恰好をして資料を見ているのだ。兄弟のようにしか見えなくなってくる。古木は自分の机の近くに椅子に座って寝ていた。家族を見ているようにしか思えなかった。
「かえって来たよ。」
水沢は何処か控え目の声を上げた。それに気づいた市橋はすぐにコーヒーを作り出した。手順がわかっているからだ。物音で起きた古木は伸びをした。
「お帰り。鑑識に出してきたのか。」
「そうだ。古木、CD有難うな。隣の店の店主が俺の名前覚えていたぜ。」
見せびらかすような態度はいら立ちよりも何処か同感と思ってしまうほどの笑顔を振るまいていた。彼の声に照れ臭そうに顔を下に向けていた。渡辺は暇そうに話を聞いている。
「そういえば水沢さん。二課にはいってくれたんですか?家政婦紹介所の件です。」
「言ったよ。二課も忙しいといってたけど、班が複数あるからすぐに行くだろうな。質の悪さはわかっているだろうから。それより手越っていう女がまさか金で買われていたなんてな。さすがだぜ、古木は。」
素直にほめるのは水沢にとって当たり前のことなのだろう。良し悪しを持論で言っているのではないのだから。強硬策に打った時、必ず反感を食らう。それに丁寧に対応することを得ないと納得しないだろう。それもできない。説明から逃げて危うい状況を作り上げて最後は逃げるしか道しか作られないのかもしれない。法より大切なものはあるかもしれない。だけど、犯してまで作り上げることではない。権力を持ったら似た権力を得ることを望むのだろうか。その行為がいくら恥を導いたとしてもいいのだろう。評価を得るのがあるのだろうか。
「政治家も屑だからな。自分勝手のわがままってとこか。子供と一緒じゃないか。むしろ、子供のほうが質がいいのかもな。悪知恵を働かせるのはそれしかないとかっていう固定概念でつぶれるんだよ。」
古木の嫌見たらしい声は何処までも不愉快であるといっているのと変わらないのだ。言葉巧みな謳い文句は期限があるのだ。気づいたときにその謳い文句から逃げるのだ。低俗な行動をよしとしたとき、不利になるのはと考えないのだ。その場限りの考えはのちに首を絞めつけるのだ。あがいてももがいてもさらえないのだ。底なし沼に自らはまることを望むのなら無責任を抱えずに、全ての責任を抱えていなくなってほしいものだ。演技がうまくないのに演じるのだ。下手なのだ。




