愚か者
警視庁に来てからこもってばかりであったのでビルを見渡して空を覗くこともなかったと思った。市橋は目についたチェーン店の居酒屋に入った。騒がしい世の中で憂いてもダメなのだと思った。流れに逆らうことも全てではない。市橋はカウンターで座った。事件が起きたとしてもみな他人事のように過ごすか、一定の同情の色眼鏡で映っているかくらいなのだろう。ビールと目についたつまみを頼んだ。隣で飲んでいる黒のスーツを着た中年男性はため息をついている。
「おう、兄ちゃん。一緒に飲まないか?」
「構いませんよ。」
「一緒に飲むような人はいないんですか?」
市橋の言葉に彼の表情をゆがめた。そしてものすごい勢いで手を振ったのだ。
「このご時世にこんな奴と飲みに行ってくれるのはお人よしともの好きなものさ。そういう話はよそうよ。仕事は何をしてるんだい?」
「警察です。貴方は?」
「俺はな、大手企業の中間管理職だ。言いたくないよ。いいところの会社なら名前を挙げたら宣伝になっていいんだろうけどよ。俺はできないよ。」
彼の言葉は重かった。好きでやっているわけでもないのだろう。長年勤めている会社を好んでいるとも言えない。ただロボットのようにいるだけなのだ。
「今じゃセクハラだのマタハラだの沢山あるから言葉には気を付けないとならないんだよ。政治家や芸能人もやらかしているしね。」
「生きづらいですか?」
「生きづらいとか言ってさ。時代は止まらないんだよ。それを知らないのは政治家くらいさ。何を考えているのかね。」
ぼやきながら告げる様子は生きた証を見ているようだった。ときは止まらないという当たり前のことを当たり前に教えられてしまったと落胆をしなかった。警告かもしれない。自分と同じ過ちを犯さないようにと。
「兄ちゃんは警察に勤めていると上下関係というのが厳しいんじゃないのか。俺は下調べもないさ。単にテレビドラマの受け売りに過ぎないけどな。」
「場所によってはそうなんでしょうけど、俺のいる班は全くもって違います。むしろ気遣いの塊で驚いているんです。自分の意見を押し付けようともしないですし先入観を嫌うんです。」
「そりゃ世のためになっているよ。冤罪を生まないからな。信頼を失うのは警察で救いようがないから。平謝りほど見苦しい謝罪はないんだよ。わかっているよね。」
市橋は言葉の意味が分かった。テレビで映る悪気のない顔をして平謝りに加えて言い訳を付け加えるのだ。見苦しいことより権力、名誉を優先してしまう愚か者なのだろうかと。