現場へ
古木の特訓という言葉の重さを市橋はわからなかった。過去などは語るのを拒んでいるような雰囲気と態度が重なっていた。自販機コーナーでただコーヒーを飲んでいる。
「入ってわかることが多いんだよ。それを絶望と取るか出世のためならと励むのかの違いだよ。全くいい気なものだよ。自分がかかわっていないだけで調子に乗るんだ。」
「言っている意味は分かりますが抵抗しすぎると何時か反乱がおこってしまうんじゃないですか。困ってしまうのでは・・・。」
市橋の気遣いの声に苦笑いのような表情を見せるだけであった。その中に囲まれた瞳には暗く寂しさがあるだけであった。飲み干した缶をゴミ箱に入れた。
「じゃあ息抜きに出ていくか。現場を幾度といっても無駄はないからな。」
「今からですか?唐突じゃないですか。」
「いいんだ。渡辺も小寺も悩む度に行くだろう。抱え込むのはいいことかなんてのは考えるな。」
警視庁の玄関に出て行ったときに愛らしい女性が立っていた。それも退屈そうな顔じゃなく待っていたという顔をしていた。
「もう、貴方泊まりの日なら言ってくれたらいいのに。着替えとかもって来ないといけないじゃない。」
言葉はあきれているようだが、嬉しそうだ。その言葉に応えるように紙袋を受け取った。
「すまんな。光。元気に行ってるのか?一止と誠治は。」
「やってるわよ。構ってほしくて貴方の読んだ日本文学ばかり読んでいるの。いいんだかね。」
「そう、それじゃあ実家に行ってるんだ。親父も詳しいからな。俺も早く此処から抜け出したいんだけど、無理みたいだ。いっそ辞表出そうか。」
古木からもともとの考えであったような感じの口調だった。けれど、踏み込めないと思ってしまう。光はうなずいて聞いているだけで全く抵抗する様子はない。前からの話だと割り込んでいるのだろう。
「それは詩郎さんの勝手でしょ。警察に入ったのはお父さんが言ったからかもしれないけど、十分しているんだからそのあとは出版社に行って編集者に来てほしいって声がかかっているんだから。どうにでも言えるのよ。」
「だね。光も親父から仕事をもらってやっているんだろ。こだわりすぎずに好きな仕事をすればいい。」
市橋は隣で聞いていた耳を疑った。出版社から以前から声がかかっているのだ。父親が警察に入れと言われてはいっているだけに過ぎない。だから、勝手な行動をとることができるのだ。
「心配してくれるのはありがたいけど、楽しいからいいの。」
彼の居心地の悪さをわかってくれるものは今はいなかった。