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3. 透明になる

 早く薬を試してみたかったが、鍵の入ったバッグを節子の家へ置き忘れていったので、回収するため、自宅へ帰る前に立ち寄る。

「良かった、結花……」

 家に戻っていた節子は、結花が自分の家へ帰ると言うと、ホッとしたようにバッグを手渡してくれた。

 美子は顔を見せなかった。

「さっきはごめんね、せっちゃん」

 そんな言葉が、自然と口から出た。今までになく、他人に優しくできる気持ちになっていた。

「ううん、いいの。お母さんも今は怒ってるけど、きっとそのうち落ち着くから、そうしたらまた遊びに来て」

「ありがと」

 礼を言った結花はいそいそと家へ帰り、まずは自分の部屋で、薬を一粒飲んでみた。

「わあ……」

 自分の手が消えていくのを見つめるのは、変な気持ちだった。

(でもこのままだとおかしいよね)

 結花は自分の姿――というより、自分の着ている服――を見下ろして思った。

 さすがに下着を脱ぐ時は少し抵抗があったが、思い切って全部脱いだ。

 そうすると、自分にも自分がどこにいるか、全く見えなくなる。

 洗面所へも行き、鏡を見てみたが、何も映らない。

(凄い!)

 なんだか楽しくなってきて、結花はうきうきしながら、母の帰りを待った。


 それから数日が経った。

 最初のうちは家の中だけで、夜に姿を消したまま物音を立てたり、何かを投げたりして母をからかっていたが、結花はそれにもだんだん飽きてきてしまった。

 姿が見えなくなるのは確実らしいので、結花は思い切って外へ出てみることにした。

 自分でも自分の姿が見えなくなるので、裸で過ごすことに対しての羞恥心は、既に薄れてきている。

 試してみて分かったことだが、薬を三粒以上飲むと、感覚が鈍くなるらしい。裸でいても寒さを感じることはないし、逆にアスファルトの熱も、あまり感じずにすんだ。

 外へ出て、道の真ん中で大きく両手を広げてみる。

 誰も自分を変な目で見ない。

(最高!)

 どこへ行こうかと考え、結花は近所のショッピングビル内の映画館へ、映画を観に行くことにした。入場料なしで映画見放題だ。

 目的地へ着くまでにうっかり何人かとぶつかってしまってヒヤリとしたが、ぶつかった人は軽く首をかしげ、気のせいか、といった様子で通り過ぎるか、特に気にした様子もなく行ってしまった。

 さすがに満員電車には乗れないが、元々結花の住む地域はそれほど人も多くない。大きなトラブルもなく、楽しい一日を満喫した。

(はー、楽しかった)

 家に帰った結花は、持ち歩けないので外の植木鉢の下に隠しておいた鍵で中に入った。

 部屋へ戻り、今日あったことを色々思い出して一人にやにやする。

 そんな時だった。

 がちゃりと玄関から音がして、いつもより随分早い時間に、母が家に帰ってきた。それだけなら良かったのだが、

「結花? いるの?」

 最近、玄関に靴があるのに時々姿が見えない娘のことを不審に思っていた母は、結花の名前を呼びながら部屋に近づいてきた。

 ちょうどそのタイミングで薬の効果が切れそうになっていた結花は、自分の姿がうっすらと見え始めていることに気付き、慌てて小瓶を掴むと、中の粒を二粒口に入れた。直後、

「結花?」

 部屋のドアが開き、母が顔を出す。

 結花は息を詰めた。だがギリギリ間に合ったようだ。母はきょろきょろと部屋を見回し、一つ溜息をついた。

「またいない……。新しい靴でも買ったのかしら? でも、ここに携帯が……。あら、財布も……?」

 母は眉根を寄せ、部屋を出て行った。

 結花はなんとなく母の後を追おうとして――、ある事実に気付いて愕然とした。

 部屋のドアに伸ばした手が、何にも()れることなく取っ手をすり抜けたのだ。

〈え……!?〉

 と結花は叫んだ……つもりだった。

 だがその声も、音になることはなかった。

〈どうなっちゃったの?〉

 結花はパニックになって、母の後を追った。

 取っ手には(さわ)れなかったが、ドア自体にも触れず、だからそのまますり抜けることができた。

〈ママ、ねえママ!〉

 母は電話をかけていた。相手はどうやら節子の母、美子であるようだった。

「そうですか、今日は結花、そちらじゃないんですか……」

 電話を切った後、母は椅子に座り、頭を抱えてしまった。その母に結花は必死で声をかけたり、肩を触ろうとしたが、気付いてもらえなかった。

 「二度と元に戻れなくなります」――青年の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。

(どうして? あたし、二粒しか飲んでないのに。まさか、その前に飲んだ四粒と、効果が足されちゃったの? あ……、完全に見えるようになる前に飲んだから?)

 どうすればいいのか分からなくなって、結花は助けを求めるために青年の店を目指した。

 ふと気付くと、足が地面に触れていない。半分空を飛んでいるような感じだった。

 違う状況なら楽しいと感じたかもしれないが、今は当然、そんな余裕もない。

〈……ねえ、助けて。どうしたらいいの?〉

 なんとか辿り着いた店で、結花は青年を見つけて話しかけた。

 だが、頼りの青年も、何の反応も示してはくれなかった。

〈そんな……〉

 他に頼れる者などいない。結花はがっくりと項垂れた。そのまましばらくの間、絶望感を噛みしめていた。

 それからどれくらい経っただろうか。チリーンと音が鳴り、誰かが店に入ってきた。

〈せっちゃん……!〉

 節子は不安げな表情で、店内を見回していた。どうやら節子は、母の電話のことを聞き、心配になって捜しに来てくれたらしかった。

「いらっしゃいませ」

「あの、すみません、結花を……、私の友達を見かけませんでしたか? この前、この辺りではぐれたんです……」

 節子は結花の特徴を説明しながら携帯電話を取り出し、結花と二人で写った写真を店主に見せた。

「……ああ、以前、店に来られた方ですね」

 店主の青年が、さもたった今気付いたかのように言った。

「来たんですか!?」

「ええ。何日か前に。……お母さんと仲が悪いそうですね?」

「そんなことを結花が話したんですか?」

「二度と会うこともないような関係だから、かえって話しやすいということもあるでしょう? 彼女は、『毎日が面白くない』『消えてしまいたい』などとおっしゃっていました」

「消えて…しまいたい……?」

 節子は青ざめた顔で繰り返した

〈そんなの嘘だよ! あたしは消えたくなんかない!!〉

 結花は必死に叫んだが、節子に聞こえた様子はなかった。

「あの、それで、その後は? 今日、結花に会いませんでしたか?」

「うーん」

 店主は少し考えるような素振りで宙を見上げた後、

「残念ながら、姿は見ていませんね」

 と答えた。

 だが、結花は確信した。彼は、結花がここにいることを知っている。

 なぜなら今の一瞬、彼はこちらに目を走らせ、口元にかすかな笑みを浮かべたのだ。

 姿は見えていないのだとしても、結花の気配か何かは感じているに違いない。

〈くそっ! ふざけんな!!〉

 結花は青年の頭を蹴りつけようとして空中でもがいた。いつの間にか完全に宙に浮いており、溺れかけた人のように不格好な姿勢にはなったが、なんとか彼に近づくことには成功する。だが、繰り出したキックは青年に触れることなく、むなしく彼の頭を通過しただけだった。

〈くそっ! くそっ!! 騙したな!? ゆるさない! 馬鹿! 死ね!!〉

「あの、私、結花のお母さんのこと、誤解してたんです。あの人、いつも結花のこと放っておいてると思ってたけど、本当はうちの母が、毎回ちゃんと、うちで預かってるって連絡してたみたいで……。あの人も、慣れない仕事が大変だから、ついうちに任せっきりにしちゃってたことを後悔してるって、言ってて……本当は凄く、結花のこと心配してるんです。だからもし結花に会ったら、伝えてもらえませんか。みんな待ってるからって」

 節子は、すぐそばで結花が聞いていることなど知りもせず、涙ぐみながらそう語った。

〈……ねぇ、ホントにあたしのこと見えないの? 声が聞こえない? お願い、こっちを向いてよ、せっちゃん……ママ……。ごめんなさい。謝るから。ゆるして。お願い。助けて。助けて。助けて……!〉

 結花の必死の言葉は、誰にも届くことはなかった。

 結花の全身の感覚が、さらに薄れていく。

 何も見えない――そもそも「見る」ってどういう感じだっけ?

 何も聞こえない――節子がまだそこにいるのかどうかさえ、分からない。

 ――せっちゃんって、誰だっけ?

 ――あたしは……「あたし」って……何だっけ……

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