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1. 結花と節子

「お願いせっちゃん、今晩泊めて?」

 夏休みのある晩。幼なじみの結花(ゆか)が、そう言って手を合わせた。

 節子(せつこ)は、やれやれと言いたくなるのを(こら)え、

「いいよ」

 と、あえて軽く頷いた。

「今から夕飯だけど、一緒に食べる?」

 押さえていた玄関ドアをさらに開け、結花を家に招き入れる。

「ありがとー!」

 結花は礼を言って上がってきた。勝手知ったる他人の家、とばかりに、一人で奥へ向かう。

 残された節子は、結花が脱ぎっぱなしにした靴を揃えてから後を追った。


 節子は、近所に住む結花とは、幼稚園へ入る前からの長い付き合いだ。

 学年は同じだが、節子が四月生まれ、結花が三月生まれなので、節子には自分が少しお姉さんだという意識が常にある。

 小学生の頃までの結花は、わがままなところはあるものの、ごく普通の女の子だった。

 だが一昨年、節子達が中学校へ上がる少し前に結花の両親が離婚してからは、少し変わってきた。

 離婚の原因が父親の不倫だったこともあり、結花の親権は最終的に母親が取ったのだが、普段から口うるさい母親よりも、一人娘に甘い父親の方を愛していた結花は、それから少し荒れている。

 髪の毛を金色に染めたり、耳にいくつもピアスの穴を開けたり、母親とケンカしてはしょっちゅう家出したり……。

 分かりやすく「不良少女」を装おうとする結花を節子は何とかして止めたいと思っているが、親身になって忠告しようとするたび、

「なに、せっちゃんまでお説教?」

 と睨まれることになる。

「せっちゃんにはあたしの気持ちなんて分かんないよ」

 と言われてしまえば、仲の良い両親を持つ節子としてはそれ以上何も言えない。

 代わりに節子は、夜に外をぶらつくことの危険性を必死で説いた。家出してどこかへ行くぐらいならうちに泊まってと言うと、漫画喫茶などで夜を明かすことにも限界を感じていたらしく、結花も素直に頷いた。

 それ以来、結花は度々節子の家を頼ってくるようになっている。

「あの……、せっちゃん、実はもう一つお願いがあるんだけど……」

 夕飯を終えて二人で節子の部屋へ入った時、結花が珍しく口ごもりながら言った。

「ん、何?」

「……ちょっとだけ、お金貸してくれない?」

「ああ……」

 節子は眉根を寄せた。

 結花には既に、合計で三千円ほど貸しているが、返ってきそうな気配はない。言葉こそ「貸して」と言っているが、それは「ちょうだい」というのとほぼ同じ意味だろう。

 今までも、それは分かった上でお金を貸してきたつもりだった。だが、さすがにこれ以上は嫌だと思った。結花のためにもよくない気がする。

「……ごめん、今は私もお金なくて」

 やんわり断ると、結花は少し不満そうな顔をしたが、

「そっか。……じゃあしょうがないね」

 と言ってくれたので、節子はホッとした。

「ごめんね」

「ううん。あ、ちょっとトイレ借りるね」

 そう言い残して、結花は部屋を出ていった。

 節子が、待つともなくぼんやりしていると、しばらくして、

「それを返しなさい!」

 廊下の方から、母、美子(よしこ)の声がした。かなり激しい調子で喋っている。

 節子は嫌な予感がして、部屋を走り出た。

 美子は廊下に立っていた。リビングルームの入り口で、部屋の中を向いて仁王立ちしている。

 部屋の中に、結花がいた。リビングの引き出しにいつもしまってある財布を、なぜか手に握っている。

「……ああ、節子」

 美子が、近くに来た娘に気付いて言った。

「どうしたの、お母さん?」

「この子が、うちの財布を盗もうとしたのよ」

「え……!?」

 節子は愕然とした。まさかそんなことを結花がするなんて。

 裏切られた思いでいっぱいになった。

 それは母も同じだったらしい。今まで、娘の親友だからと結花を受け入れてきた恩を仇で返されたのだから当然だ。

「あなたがこんなことをする子だとは思わなかったわ。悪いけれど、(うち)にはもう二度と来ないでちょうだい」

 厳しい口調で、美子は言い渡した。

「そんな。待って、お母さん」

 節子は慌てたが、美子は完全に、結花に対する信用を失ったようだ。考えを変えてくれそうにない。

 意外だったのは結花の反応だった。少しは落ち込んだり、反省したりするかと思いきや、

「やっぱりね」

 と鼻で笑ったのだ。

「親切ぶってても、いつでも簡単に捨てられるんだ。本当は、あたしのこと迷惑に思ってたんでしょ? 優しそうな顔して、裏では溜息ついてたんでしょ!?」

 それはあまりにも身勝手な言い分だった。

 だが節子は、腹が立つのと同時に、それが結花の必死の叫びにも聞こえたのだった。

 結花の母親は、娘が家を出て行っても、一度も捜しに来たことすらないのだ。あの女性には、自分が誰かの親なのだという自覚がやや薄いように、節子には思える。

 ――自分のことを無条件で愛してほしい。

 結花が抱えるそんな望みを叶えてくれていた父親はいなくなり、母親には望めなくて、結花は今、節子達にしか甘えられないのだ。

 ここで節子まで結花を見捨ててしまったら、結花はもう、行き場をなくしてどこまでも堕ちていくしかなくなってしまう気がした。

「結花……」

 節子が言いかけた言葉を、結花は聞こうとしなかった。顔を歪め、手に持っていた財布を床に叩きつけると、こちらへ突進してきた。

 美子が咄嗟に身をかわすと、その横をすり抜けて玄関へ走り、出て行ってしまう。

「結花!」

 節子は反射的に結花を追って、自分も外へ走り出た。

「放っておきなさい!」

 後ろから、美子の怒鳴り声がしたが、聞かなかったことにする。

 節子は結花よりも足が速い。

 そのうちに追いつけそうだったが、結花が途中で節子に気付いたのか振り返り、

「ついてこないで!」

 と叫んだ。

 節子は迷った末、少し距離を置いて結花を追いかけることにした。

 だが、何度目かの角を曲がったところで見失ってしまった。

 辺りを見回したが、結花の姿は影も形もない。

「そんな……。結花……どこに行ったの?」


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