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本返し  作者: 愛松森
第一章
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第一章<少女とY.K.>part2

真琴は、一階に降りて晩御飯を食べると、読み終わった本と英語の勉強道具を持って家を出た。自転車に乗り、そのまま十五分道なりに走っていく。目的地は、祖父の経営するスーパーにある有名コーヒーチェーン店である。


読み終えた本をスーパーに設置してある本棚に返却することが第一の目的であるが、そのついでにコーヒーを片手に勉強をすることがいつものパターン。ついでにおじいちゃんに会えれば、コーヒー代も出してもらえて一石二鳥。


真琴は、駐輪所に自転車を止めて本棚に向かった。その本棚は、読書仲間であるY・Kさんと本を交換している場所でもある。


本を上段の右端に戻すと、Y・Kさんのために持ってきた本をその隣に置いた。


その足でコーヒー店に入る。七時にもなると、いつもは高校生や中学生でにぎわっている店内も大人が数人いるだけである。


いつもの特等席である店内右端の席に着く。注文はアイスコーヒーである。もちろん、ミルクも砂糖も入れない。


持って来た英語の勉強道具を出して予習を始めた。


周囲の大人も休日の夜らしく、ゆったりと過ごしている。読書をしたり、音楽を聴いたり、彼女か奥さんかと一緒に話したりしている。


真琴のシャーペンは、手の上でくるくると回っている。


現代の高校生の多くは考え事をする際、手を頭に当てるよりも前に、シャーペンを回すという傾向にある。いわゆる『ペン回し』というものである。


真琴は、ふと考えにふけっていた。


(平和な日々の繰り返しであるこの世に、いつ不幸が訪れるかは誰にもわからない。でも、こんな平和な日常を目の当たりにすると不幸というものが幻と化してしまう。だから、いつのまにか不幸を意識の外へ追い出してしまっているような気がする)


真琴は、ふーとため息をついて、持っていたシャーペンを置いた。


(深く考えても、自分の不覚を鑑みるだけ、なんちゃって。考えるよりも先に動くのが私のいいところだったね)


教科書から目を離し、あたりを見渡すとさっきまでいた人が総入れ替えされている。いつの間にか八時を回っていた。店内のBGMも夜のリラックスできるゆったりとしたものが流れている。


残ったコーヒーを飲み干す。氷が完全に溶けてひんやりとしたのど越しだったが、溶けでた水がコーヒーを薄めてしまっていたのが残念だった。


勉強道具を片付けて、鞄を手に店を後にした。


店を出るには、スーパーの中を通らなければならない。夜遅くに一人で出歩いているところを、おじいちゃんに見つかるとひどく怒られることがある。おじいちゃんに見つからぬように、周囲に警戒しながらスーパーの中を通る。


角を曲がり、残りは例の本棚の前を通れば出口である。


真琴はスパイ映画さながらの動きで角の先、本棚の方を伺った。


本棚の前に一人の少年が立っていた。制服を着ている。


その制服は真琴の通う高校、通称『K学』のものだった。制服の状態から見るに、ほぼ新品と言ってもいい。おそらくは、一年生である。


(こんな日にしかもこんな時間に制服でスーパーに来るなんて。ちょっと先輩らしく注意しておくか)

校則によって、休日の夜八時以降の出歩きは禁止になっている。先生に見つかれば、反省文指導の対象である。


「おい、そこの一年坊主」


少年はこちらを振り返って、人差し指を自分の顔に向けて、俺のこと?というしぐさを見せた。


「そうそう、きみきみ。こんな時間に制服で出歩くなんていい度胸してるじゃない」


「すみませんが、どちら様ですか」


(あっ、そっか私今制服じゃないんだ)


「私はK学の二年三組、村上真琴。村上は、村に上、真琴は真実の真と、楽器の琴。君は?」


「先輩だったんですか。失礼しました。僕は、一年一組山瀬光輝と言います。山瀬は、山に、瀬戸内海の瀬、光輝は光、輝くで光輝です」


「光輝くんね。で、こんな時間にこんな場所で何してるの?」


「ここの本棚の本を読んでるんです」


光輝は、手に取った本を真琴に見せた。その本は、真琴がY・Kのために持ってきた本であった。


「もしかして、君がY・Kなの」


「えっ、もしかしてM・Mさんですか?村上真琴、ほんとだM・Mだ」


光輝は本を自分のバックに戻した。


「でも君は、山瀬光輝でしょ。ふつうイニシャルはK・Yじゃないの」


「K・Yって空気読めない、の略なので、僕はあえてY・Kを使っています」


「そうなんだ。これから時間ある?」


「ええ、まあ、これから家に帰ってご飯作って食べて、風呂に入って、寝るぐらいしかすることないですから」


「それじゃあ、少し話さない。そこにコーヒーのお店があるんだけど」


「いいですけど、僕今日は手ぶらで来たので、お金持ってないんですけど」


「そこは気にしなくてもいいよ。私がおごるから」


真琴は来た道を引き返し始めた。光輝はその後ろに続く。


真琴は再びコーヒー店に入店すると、アイスコーヒーを二つ注文した。トレーは光輝が持って運び、いつもの右端の席に着いた。


「なんか不思議だね。一年近く一度も会わなかったなんて」


「僕らは、前にも会ってますよ」


真琴ははっとした。真琴の記憶には光輝の存在など一切ない。


「いつ?」


「五か月前ぐらいだったと思います」


「なんで話しかけてくれなかったのよ」


「僕は、手紙の字が汚かったのでM・Mさんは男性だと思っていたので真琴先輩がM・Mさんだなんて思ってもいなくて・・」


「私の字が汚いのがいけなかったっていうの」


「いえ、そういうつもりでは」


光輝は目線を下にそらせた。


「まあ、私の字が汚いのは事実だからしょうがないんだけどね。レディーにも字が汚い人がいることを忘れたらだめだよ。あと、もうこの際さ、私たちの間で上下の関係は無しにしようよ。先輩、後輩の関係の前に私たちは読書仲間でしょ」


光輝はコーヒーに砂糖を大量に入れる。


「でも、僕たちは先輩と後輩の関係ですし、上下関係はあった方がいいのではないですか」


「じゃあ、先輩として命じます。上下関係を撤廃しなさい」


「そこまで言うなら、お望みどおりに」


真琴は満足げに笑った。


「最初から素直になりなさいよ」


「素直になれない年頃なんだよ」


光輝も笑った。


この時間になると、コーヒー店には二人以外の客はいない。コーヒー店は二人のプライベート空間と化してた。


「せっかく会えたんだから、本の話しようよ」


「いいよ。でも、これと言って話すことないような」


「それじゃあ、この本読んだことある?」


真琴がバックから取り出したのは本屋大賞に選ばれた上橋菜穂子 作 『鹿の王』であった。


「その本は確か、発売日に購入して読んだような気がする。医学関係の記述も多くて内容も深かったという印象かな」


「光輝は医学関係に興味があるの?」


「まあ、僕は医者志望だし」


澄ました顔で光輝はそういった。真琴はじっと光輝のその顔を見ていた。


「どうかした。僕の顔に何かついてる?」


光輝は自分の口元を机の中央にある紙ナプキンでふいた。


「そうじゃないわよ。光輝がとても医学部に行けるような人には見えないから少し驚いただけ」


光輝は紙ナプキンを置くと、満面の笑みを浮かべた。


「これでも僕、一年の中で一番成績いいから」


「なんか、あんたに言われたらむかつく」


真琴はコーヒーをごくごくと飲む。


「真琴は、成績どうなの」


「私は、そこそこだよ」


「志望校は?」


「阪大」


「なるほど、そこそこだね」


「うん、そこそこなの。でもね、今回の中間のテスト勉強はもう始めたからいい結果になると思うよ」


「もうテスト勉強始めたの。早すぎじゃない。僕なんか一週間前ぐらいからしか勉強しないけど」


「天才は、天才の勉強。私みたいな凡人は、凡人の勉強。それぞれの勉強ってもんがあるの」


「なるほど、それぞれの勉強か。じゃあ、次のテストでいい順位を取った方が好きな本を一冊負けた方に買

ってもらうってのはどう」


「どうせ、あんたは一位なんでしょ。そんな負け戦には臨まないから」


「ハンデとして、僕は僕の順位プラス三するっていう条件付ならどう。真琴は三位以内に入ったら勝ち確定」


「いやだ」


「三週間前から初めて三位以内に入れないってことは無いでしょう。いくら凡人といえども」

光輝はからかうような目を真琴に向けている。


「わかったから、その目は止めて」


「最初からそう言えばいいのに。自分に自信持ちなよ」


「自信が持てない年頃なんです」


 それから、二人はぐだぐだと本のことや勉強、学校のことを話した。九時を回るとさすがに心配した母から電話が掛かってきたので、二人はコーヒー店を辞した。



「もう、夜遅いし家まで送るよ」


「あんたみたいなひょろ男はいてもいなくてもあんまり変わらないような気もするけど」


「まあ、そう言わずにこれぐらいやらして下さい。コーヒー代これでチャラにしてもらえたらうれしんだけど」


「わかった。じゃあ、お願いする」


「お願いされました」


二人は自転車に乗り、夜の住宅街にくり出した。


「確認なんだけど、学校であったときも上下関係は撤廃したままなの」


光輝は真琴の後を走っている。夜の人通りが少ない中でも、並列をしない真面目っぷりを見せている。


「学校でも撤廃したままでいいんじゃない。家も近所だし、昔からの知り合い的な関係ということでまかり通ると思うけど」


「真琴がいいって言うなら、それでいいんだけど。先輩として後輩の指導が怠っているみたいに周りから見られないかなと思って」


「そっちこそ、先輩をなめてるんじゃないかって思われるんじゃないの」


「僕のことなんてどうでもいいんだけど、真琴に迷惑かけたらダメでしょ」


「もっと自分を大切にしなさい。自分のことを大切にできない人を大切にしてくれる人なんていないんだから」


住宅街は静まり返っていて、二人の声しか聞こえない。たまに野良猫の喧嘩をしている声が聞こえるだけだ。


「私の家ここだから」


真琴と家はT字路の角の家である。その広さは東京ドーム約0.005個分である。坪にして70坪。ここらでは、広い家の部類に入る。


「大きな家だね。僕もこんな大きな家に住んでみたいよ」


「医者になればこの家の何倍もでかい家に住めると思うよ。なれればの話だけど。今日はありがとう」


「こちらこそ、御馳走さまでした」


「じゃあ、また学校で会ったときには声かけてね」


「うん。おやすみ」


「おやすみなさい。気を付けて帰りなさいよ」

 

 光輝は自転車に乗って帰って行った。光輝の姿が見えなくなるまで真琴はその姿を見送っていた。


 上を見上げると、満点の星空である。新月の今日は普段よりいっそう星が明るいように感じる。


(いっつも同じように光ってるはずなのに、時によって違って見えてしまうなんてなんか、皮肉な感じがするような。私も誰に対しても同じように振る舞っているけど、人によっては見方が違うんだよね。やっぱ、人間関係って複雑で大変だな)


 真琴は家に入ると、自室に直行した。机に座ると勉強を再開した。


(絶対、三位以内に入って凡人が天才に勝てることを証明してやるんだから)


 秋の少し肌寒い風が部屋に入ってきた。心地のよいその秋風は、昼間の暑さを忘れさせてくれた。


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