第三章 学校の闇
月曜日の朝、光輝はなんとも憂鬱な気分で学校に向かった。決して学校が嫌いでさぼりたいというわけではないが、学校という場所に多少のストレスというものを感じていた。
クラスに行っても、誰かが話しかけてくれるはずもなく、机に座って先輩にもらった朱の詩集を読んでいた。
光輝は、その頭の良さと人見知りな性格のせいで、中学の時同様に高校でもみんなから距離を置かれていた。光輝の本当の姿を知っているのは、写真部の人と真琴と上田先輩だけだった。そういった人は、気軽に話しかけられるし、話しかけてくれる。だが、そういう人たちが居ないこのクラスではなんとも息苦しい思いをしていた。
他のクラスメイトは、光輝の持っている朱色一色のいかにも奇妙なその本に少し興味を持っているような様子をしているが、誰一人としてそれについて尋ねるということをしなかった。光輝もまた、これは上田先輩の詩集だ、と教えることをしなかった。
授業と授業の間の十分の休み時間は、たいてい一人で英語の単語帳を片手に隣の進路学習室という自習室に居た。その教室を利用する人は光輝だけで、光輝専用の教室といっても過言ではない。人がいないその教室は無駄に広く、異様なほど静かだった。
昼休みになり、光輝は昼食を買いに学校の裏にあるコンビニエンスストアに向かった。
K学の周辺にはコンビニエンスストアが二店舗あるが、正門を出たところにある店舗を利用する人が大多数である。一方、今は使われていない裏門側にあるコンビニエンスストアはほとんど人がいない。その店に行くためには、正門から出て三分は歩かなければならないからである。
だが、光輝は正門を通ることなく、裏門横にある背の低い木を足場にしてフェンスを乗り越えてそこへ行く。もちろん、先生にこのことがばれれば間違いなく反省文になるだろう。
店に入ると、いつもの店員さんと店長さんがいた。K学の生徒は、光輝だけで他にお客さんもいなかった。
「また君か。山瀬君。来てくれるのは嬉しいんだが、フェンスを乗り越えるはあまり関心せんのう」
「すみません。これはK学の人には内緒にしておいてください。でないと、僕はここにもう二度と来られなくなってしまいますから。それでも、上杉さんが証言したとしても、僕は証拠がないって言ってしらばっくれますけどね」
「証拠ならあるよ。ほれ、これを見なさい」
白髪頭の目立つ店長は、上杉さんと言ってK学のOBでもある。昔は、今の裏門が正門でここの店も繁盛していたそうだが、新しく今の正門が増設されたために今の状況になったそうだ。
上杉は、店のレジカウンターの奥の方に置かれているテレビを示した。
「昨日、防犯カメラを駐車場に設置したんじゃ。最近は、万引きこそ少なくなったが、うちの店の前にゴミを不法投棄する輩がいるから大変での。高画質で拡大しても、ナンバープレートがはっきり見えるっていう優れものを息子に頼んで買ってきてもろた。そこそこ出費はでかがったがな」
「それで、そのカメラに僕がフェンスを乗り越える様子が写ってしまうんですね」
「そうじゃ。じゃからといって、山瀬君のことを学校に言うまねはしないから安心しなさい」
「それを聞いて安心しました。それじゃあ、また明日来ます」
光輝は、スナックパンとおにぎりを数個購入して店を出た。
来た通りに、帰りたいのだが踏み台のない帰り道は、フェンスを乗り越えることはできない。まして、片手で買い物袋を持っているので無理に登るということもためらわれる。
光輝は、少し迂回して用務員専用の出入り口を堂々と使って校内に戻った。美化委員会に所属している光輝は、ゴミ捨てなどのために使うこの用務員専用出入り口の鍵を持っているのだ。息にここを使わないのは、ちょうどその時間帯に美化委員会のゴミだしの作業が行われているからだ。光輝の担当は木曜日なので、木曜日だけはその出入り口を通って行き来しているが、その他の日にはフェンスを乗り越えているのである。
用務員さんや委員の人がいないことを確認して、進路学習室に向かった。
「真琴って本当にうざいよね」
ちょうど裏門のあたりを通っている時に、前を歩く三人組みの女子が話していた。光輝はその後ろを歩い
て、その話に耳を傾けた。
「ホント、あんな子頭が良いだけで何にもないから。そのくせして、何いい子ぶってるのって感じ」
「噂では、ここの高校も補欠合格だったんだって。そんな自分が今では一位なんだから、私たちを見下してるんだよ」
「なんで、ここをけった人がいるんだよ。そんな人がいなければあいつもこの学校に合格できなかったのに」
前を歩いている三人の内、二人だけがそんな会話をしていた。もう一人は、会話を聞いているというだけだった。光輝も噂だけでしか聞いたことが無かったが、二年生には三人組のボス的存在の女子がいるそうだ。おそらく、前を歩いているのがその三人である可能性が最も高い。一昨日の真琴の様子と今の会話を聞いて大体の察しは付いた。
「すみません。こんなところで真琴先輩の悪口を言われると不愉快なんですが」
前を歩いていた三人がこちらを振り返った。
「なんだ、一年か。真琴と知り合いなのか」
三人の中でも、リーダーの風格のある人が言った。手には校内使用禁止のはずのスマホが握られている。胸に付いた名札には、山室とある。
「はい」
すると、山室の隣にいた佐藤という人が山室に告げ口した。
「なるほどな。お前が真琴とよく外をうろついてる奴か。彼氏かなんなのか知らないけど、あいつについていくのは止めた方が良い」
「なぜですか」
そう返事すると山室は笑い始めた。それを見て佐藤も笑った。
「何故かって、そんなに決まってるだろ。お前も私たちの標的になるってことだよ。ホント、バカの周りにはバカしか集まんないんだな。少しは自分の立ち位置を気にした方が良い。先輩として忠告する」
「すみませんが、さっきの言葉をそのまま先輩に返します。やはり、バカの周りにはバカしか集まらないようだ。悪ですけど、真琴先輩の努力をあなたたちのような人に穢されて欲しくない」
光輝はいつもの温厚な態度ではなく、人を見下すような態度を取っている。今は、怒りと呆れに駆られている。だが、ひどく冷静でいつもより頭も働く。
「後輩のくせに先輩にそんなこと言うなんて、どうなっても知らないから。まあ、その勇気だけは認めてあげよう。じゃあ、次会う時は敵としてだから覚悟してな」
「僕にはあなたたちなど眼中にないのですが、あなたたちが僕を敵とみなすのであれば、僕もそれなりに注
意を払いましょう。言っておきますが、真琴先輩を助けるためなら手段を選びませんから」
それを聞き終わると三人は、笑いながらその場を去って行った。光輝は、その後ろ姿を睨んでいたが、まだ昼食を食べていなかったのを思い出して進路学習室に行った。
例の三人組から光輝が呼び出されたのは、その日の放課後だった。昼休みが終わり、教室に戻る途中に二年生の女子生徒に呼び止められて、手紙を渡された。
その内容は、伝えたいことがあるから放課後裏門のあたりに来てください、というものだった。普通の男子生徒であれば、告白を予期するものであるが、察しの良い光輝は鼻からその手紙の真相を見破っていた。今回は、まんまとその罠に自ら入ろうと心に決めた。
放課後になり部活動生が出払い、人気のない裏門前で光輝は三人が来るのを待っていた。数分経ってから、手紙を渡しに来た女子生徒がその場所に来た。予想と違った展開に少し動揺した。
「あの話ってなんですか」
「いいからここで待ってなさい。そのうち来るから」
やはり、光輝の予測は当たっていたようだ。しばらくして、女子生徒を数人引き連れた山室が来た。
「数で勝ったとしても、僕にそんな脅しまったくもって通用しませんよ」
「まあ、この取巻きはおまけみたいなもんだから気にしないでくれ。さあ、先輩に喧嘩を売ったその落とし前をちゃんとつけてもらおうじゃないか」
「そういえば、山室先輩って空手で県二位だって聞きましたが、それは事実ですか」
光輝は、放課後までに山室について少し噂のおさらいをしていたのだ。
「そうだが、私にそんなに殴ってもらいたいのか。それとも、今になって怖くなったのか」
「いえ、殴られたくないですし、怖くもなってません。ちょっと、確認したかっただけです。これで、僕も本気が出せるってもんですよ。普通の女子に男子である僕がやり合っても見苦しいだけですから。先輩となら少しは、手荒な真似をしても許されそうです」
山室は、上着を脱いでそれをそばに居た人に渡した。光輝も上着を脱いで、そばにある木の枝にかけた。
「今から謝れば、許してあげないこともないけど」
「言ったでしょ。真琴先輩を助けるために手段は選ばないと。僕は逃げません。真琴先輩にまっこうから向かってくる敵を退ける盾となります」
「かっこいい」
山室は、嘲るように笑った。取巻きも同じように笑い、冷たい視線を向ける。完全にアウェーな展開であるが、こういう状況はいつもの教室に似たところがあり、かえって集中できた。
「それじゃあ、始めようか」
山室は、光輝との間合いをぐんぐん詰めていった。光輝は、構えて山室の攻撃を待った。山室は、その構えを見て少し苦笑いしていたが目は笑ってはいなかった。足を踏み込むと、鋭い蹴りが光輝に放たれた。それを左手で防いだが衝撃でのけぞった。
「その程度の受けで、私の蹴りを止められると思ったのが間違いなのよ」
「いやあ、正直ここまでとは思ってませんでした。県二位も伊達ではないですね」
光輝が再び構えなおすと、山室はもう一度踏み込んで次は回し蹴りを繰り出した。次は右手でそれを受け止めた。じーんっとしびれるような痛みが走ったがよろけることは、なかった。
それを見た山室は、動揺するどころか面白がって続けざまに光輝をけりつけた。光輝はそれをすべて防
ぎ、受け流した。
「受けてばかりいても、私を黙らせることはできないってことは分かってる?」
「そのうち、諦めてくれると思ってるんですけど、そう安々と諦めてはくれませんか」
「そうだね、君が膝を折るまでは諦めない。こっちにもプライドはあるから」
そういうと山室は一気に間合いを詰めて、殴りかかってきた。一発目を払いのけて、二発目は後ろに体をそらしてかわした。光輝は自分からは手は出さずに、山室が諦めるのを待った。
その後も、蹴りや殴りを組み合わせた様々な技をうまく捌いて、受け流した。そろそろ、日も暮れる頃になってきた。
(そろそろ終わりにするか)
光輝は顔めがけて飛んできた拳を交わして、その手首を握った。そのまま、手首をねじった。山室の体は自然と光輝に背を向ける格好になった。光輝は、山室の体を引き寄せるとねじった腕をその背に押し当てて固定した。こうなってしまっては、県二位の実力者も身動きが取れない。
「もう終わりにしませんか」
「わかった。今日のところは諦めてやる。それにしても、受け身が私の想像の遥か上を行くほど上手かったな。最後の身のこなしも、悔しいが良かったと思う」
「そうですか。僕は、小学校、中学校で合気道をやっていたので護身術は一通り習得しているので」
光輝は、山室の手を放して解放した。山室は、ねじられていたかったのだろう、何度か手首を回してい
た。光輝は、脱いだ上着を取りに行った。
後ろから迫る殺気に気が付いたときには、手遅れだった。振り向いたときには、蹴りが腹にけりこまれていた。光輝は、その衝撃で左方向に飛ばされた。
その瞬間、甲高い音が光輝の後方起った。その刹那、頭に鈍い衝撃が走り視界が歪んだ。
「光輝、光輝、大丈夫?しっかりして」
(真琴、なのか)
数人の足跡が急いで遠のいていくことが分かった。瞼が重くなり、意識も遠くなった。
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