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下水道のアクアリウム

現場から戻った俺たちは装具の点検や補修などの雑用を適当にこなしつつ午後を過ごした。


親方と石田さん、タイモンさんを含む別班の15名は、中央駅の地下飲食店街の排水溝に突如大発生したスライム駆除作業に駆り出されていた。


今ではスライム駆除がこの会社の主要業務になっている感があるが、親方によると昔はそうではなかったらしい。親方が仕事をはじめた40年前にはスライムなどなかったという。


事務所には俺とガエビリス、それと別の現場から戻ってきた河骨さんと他3人しかおらず、妙に人気がなくがらんとしていた。


夕方になったが、親方たちはまだ戻ってこなかった。作業が予定より難航しているのだろう。よくあることだ。定時になり特に仕事もなかったので俺とガエビリスは帰宅することにした。



「ところで、今日捕まえてたあの虫、どうするの?」


帰り道、世間話のつもりで軽くガエビリスに聞いてみた。それが運の尽きだった。奴はとたんに目を輝かせた。


「どうするって、家に持って帰って飼うんだよ」

「珍しい生き物だし、ぜひとも僕のコレクションに加えたいなぁと思って」


「コレクション?」


「そう。僕は生き物を飼育するのが好きでね、たくさん集めてるんだ」

「下水道の生き物を」


「下水…道…」


下水道の生き物と言えばスライムやら蜘蛛やらゲジゲジやら、とにかく気色の悪いものばかりじゃないか。俺はドン引きした。やっぱりこいつ相当変だ。


「へ…へぇ、そんな趣味が。スゴイネ…」


「あ、そうだ。よかったらうちに見に来ない?」

勘弁してくれ!


「え?いや、俺は今夜忙しいし…」


「せっかくだから見に来てほしいんだけどなぁ」

妙に食い下がるじゃないか。何なんだいったい…


「今日は疲れたし…家でゆっくり飯でも食って…」


「今晩はおごるから!いい店知ってるから!」

「そのついでに軽くちょっとだけでも!」


「うん…まぁ、そこまで言うなら、わかったよ」

ついに根負けして、渋々付き合うはめになってしまった。


普段は無口な癖に、自分の趣味のことになると急に饒舌になる変な奴だ。だが別に予定なんてあるわけないし、あの倒壊寸前のボロアパートに部屋に戻ったところで、どうせ寝るだけだ。たまにはこんな日があってもいいか。



道中、奴はずっと様々な妙ちきりんな生き物の話をし続け、俺はそれをろくに聞きもせず、適当に相槌を打って受け流した。


通りには家路につく人の群れで混雑していた。時折人波を押し分けるように有蹄竜が引く竜車や騒々しい自走車が通過していった。


奴がおごってくれたクメン料理の店はリーズナブルながらも味も量も満足行くもので、エビと胡桃のようなものを甘辛く炒めたチャーハンのような料理は特に美味しかった。エルフという種族は木の実や乾パンみたいな味気ない物を主食にしているらしいが、奴は意外と食通なのかもしれない。




ガエビリスの家はスウェーデード街のはずれの寂れた一角だった。空き地や操業停止した中小工場などが多く、暗くて治安のあまり良くない地域だ。俺たちの稼ぎで住めるのは精々こんな場所だ。

雑草と蔦に埋もれるようにして建っている一戸建ての古い木造家屋が奴の住む借家だった。ギシギシ軋む階段を数段登り、通りからわずかに高くなった扉から中に入った。


「ようこそ我が家へ」

入ってすぐ気が付いたのは、臭いだ。仕事で散々嗅ぎなれている、下水のすえたドブくさい臭い。どこからかゴボゴボとこもった水音が聞こえる。玄関からまっすぐ伸びる暗い廊下の両側には何かが積み重ねられていて、通れる幅はほんの僅かだ。


照明を灯すと驚くべき光景が浮かび上がった。廊下に積み重ねられていたのは、棚に並んだ様々なサイズの水槽だ。そして廊下に両脇にある部屋に収められているのは膨大な書籍だ。それが部屋に収まりきらず、所々で廊下へと溢れ出し山を作っている。このあふれんばかりの本と水槽の混沌の中でいったいどうやって生活しているのだろう。


「ちょっと散らかってて、申し訳ないね」

「……」

「さぁ、どうぞこちらへ」


ガエビリスは慣れた動作で水槽と本の隙間にどんどん入り込んでいった。俺もなんとか付いていこうとしたがが何ヶ所かで本の山を崩してしまった。おそらく台所と思われる奥の部屋には少しスペースがあり、そこでようやく椅子に座ることができた。


「少し待ってて」


奴は懐から今日捕獲した虫の入った瓶を取り出すと、新たな水槽の準備に取り掛かった。床に置かれた大きなかめの蓋を開けると、ぷんと濃厚な悪臭が漂った。まぎれもない糞尿の臭い。奴は鼻歌を歌いながらそこから一杯の液体をくみ取ると水槽に注ぎ、そこに今日の虫を注意深く瓶から移した。水槽の中でハート形の生き物はへろへろと力なく漂っているばかりだ。死んでしまったのか?

と、思う間もなくその生物はかなりのスピードで汚水中を泳ぎだした。


「よかった。これなら大丈夫そうだ」


ガエビリスはようやくこちらへ振り向くと、笑みを浮かべた。


「改めまして、我が家のアクアリウムにようこそ」

「世界でもおそらくここだけの下水水族館だよ」


最初の衝撃から立ち治り、ようやく周囲の水槽の中身に眼をやる余裕が出てきた。しかし、いったいなんと奇怪な水族館なのか…

ある水槽では生白い胃袋のようなものが濁った水中で伸縮している。別の水槽には手足の細長い白いカニのようなものがうずくまっている。ただ肢の数がカニにしては多すぎる。こちらの水槽には水がなく大きな黒いクモが巣を張っている。あちらの水槽には夥しい触手の群れ、あそこにはピンク色のばかでかいヒル、目のないナマズ、発光するミミズ……

嫌悪感を覚えつつも、どこか魅せられたように俺は次々と水槽を覗いていった。


「これを見て」


奴の案内する方へ行き、傍らの水槽をのぞき込む。植木鉢の破片の隠れ家の影で、何かが動いた。ネズミか?しかし次の瞬間、俺はそれが何かに気が付いてギョッとした。人間だ。身長10センチほどの青白い矮人こびと。すばしこく水槽の中を走り回って餌のゴキブリに襲い掛かり、たちまちバラバラに引き裂いて貪り食い始めた。その瞳には知性のかけらさえ伺えない。


「これは…いったい」


「こいつは元は野山に住む花の妖精だったんだ。それが都市の地下生活に適応して飛翔能力を失い、こんな姿に進化した。面白いだろう」


「いったいこんなもの、どうやって…」


「今日と同じさ。仕事中に少しずつ集めたのさ。あとこれは秘密だけど、プライベートの時間に一人で下水に入ることも多い。これだと仕事中に目星をつけた場所でじっくり採集を楽しむことができる」


「おいおい、そりゃ危険だろ。だいいち呼吸は大丈夫なのか?」


「ああ、ガス中毒防止魔法か。あの程度なら独学で身に着けたよ」


「マジかよ……」


「僕はね、地面の下にどこまでも伸びるあの闇の世界が大好きなんだ。あの暗闇の中、湿気と臭気と温もりに包まれて、陽の光に追われた無数の生き物たちの気配をそばに感じながら、何時間でも佇んでいるのと、豊かな気持ちになれるんだ。この生物たちを見てくれ。一見醜く歪んでいるけど、彼らはあの世界で懸命に適応し、生き延びてきたんだ。素晴らしいだろう…」


「……」


暗い部屋の中で、ガエビリスの双眸は発光するかのように青緑色の光をたたえていた。普段職場で見せる姿とはあまりにもかけ離れた奴の姿に呆気に取られ、俺は言葉を失った。遅まきながら、自分の世界に入り込みすぎた事に気づいたガエビリスは少し赤面し、気まずそうだった。


その後、少し世間話をしてから俺は逃げるように自宅へ帰った。


翌朝、職場へ行くと、大変な事態が起きていた。

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