次の日の仕事
その日の俺の作業は、ウフェティ地区での小規模なスライム駆除作業だった。
作業は俺とダークエルフのガエビリスの二人で担当することになっていた。こいつと二人だけの作業はその日が初めてだ。変人揃いの職場でもひときわ風変わりな奴との作業にかなり不安を覚えた。
ぼさぼさの黒髪の下からエルフ特有の長い耳がちょんと突き出し、垂れた前髪に片目が隠れている。私服は穴だらけのセーターにくたびれたオーバーオールのズボンという野暮な服装ながら、さまになっているのはさすがエルフといったところか。
「今日はよろしくね、ワタナベさん」
そう言って口元をわずかにゆがめた。微笑みを浮かべたつもりだろう。
俺たちは作業着に着替え装具を身に着けると歩いて現場へと出発した。
ウフェティ地区はこの都市でも比較的裕福な地区だ。エルフや高所得者の人間などが住んでいる。緑豊かな庭園に囲まれた瀟洒な邸宅が立ち並ぶ小高い丘で、遠くアリアネス湾の煌めきが見える。
醜悪な貧民街に住み、地下で糞尿にまみれて働く俺たちから見ればまさに天上の別世界だ。仕事でなければ立ち入ることさえ許されない特権階級たちの街だ。
だが、そんな緑の丘の下にも下水道網は張り巡らされ、そこには汚物の川が滔々と流れている。この地区のとある住宅のトイレからスライムが這い出し部屋を汚したという苦情が寄せられていた。この地区でスライムが見つかったのは初めてだった。
苦情を寄せた住人の家の直近のマンホールの蓋を二人で協力して持ち上げ、俺達は梯子を下りた。
ランタンで照らして下水道内の状況確認を行ったが、ゴキブリが数匹チョロチョロしている程度で、スライムの付着や汚物の堆積はほとんどなかった。昼間ということで無人の家が多いからだろう、汚水の流れは少なく緩やかだ。
特に異常なし。
「うーん、スライムの影も形もない…もう帰りませんか?」
と俺は早くも帰り支度を始めながら言った。
「そうだよね…おや、ちょっと待って、あれは何だろう」
何かを見つけたらしく、ガエビリスは勝手に水路の奥へとすたすた歩き出した。地下での作業は危険が多い。単独行動は厳禁だ。俺は慌てて後を追った。
ぱちゃぱちゃと汚水を跳ね上げながら30メートルほど歩き、ようやくガエビリスは立ち止まった。その場に屈み水中から何かを拾い上げ、ランタンの光をかざして、ためつすがめつしている。さすがダークエルフ、協調性のかけらもない。
「あの、勝手に単独行動しちゃ危ないじゃないですか」
俺は少しムッとしたが
「見てよコレ、ほら凄いでしょう。うわぁ初めて見たなぁ」
と何やら一人で勝手に盛り上がっている。
奴が差し出した手のひらには、白っぽくて平べったいハート形の物体が載っていた。ハートの先から尻尾のような物が伸びている。何かの生き物だろうか。何が凄いのか検討もつかない。
「これは?」
「これはクレウスギガンチアの一種。たぶんタスピアかな。今はこんなちっぽけな生き物なんだけど、これの祖先は10億年前の第3期暗黒時代に最大最強の捕食者として世界を支配していたの。
大きいのでは体長50メートルくらいはあって…でも太陽の光が地上に射すようになって急激に衰退して、今では最後の生き残りが深い洞窟や地底の割れ目なんかに細々と住んでいるだけなんだけど、まさかこんな下水道にもいたとはね…これは驚いた。ここの付属肢の形態が独特で面白いなぁ」
「……」
闇の中で青緑色の瞳をキラキラさせながら一人熱心に語るガエビリスだった。
懐からガラスの小瓶を取り出すと、下水とともにその生き物を封入して、大事そうに懐にしまった。俺たちはもう一度辺りを確認し、こぶし大の小ぶりのスライムを一匹見つけたので捕獲して、その場から撤収した。
そんなわけで俺たちの午前中の仕事は何なく片付いた。
ガエビリスが見つけた虫が後の騒動の予兆であるとは、その時は予想もしなかった。