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違約

 彼女の上げる甘い喘ぎ声が、胸に突き刺さる。闇の王による蹂躙は終わりがないかに思えた。

 地面に横たわる俺のすぐ傍では、黒いローブの闇の信徒たちが一様に押し黙ったまま、食い入るようにおぞましい儀式の光景を凝視している。



 何かがおかしいと感じたのは、ダークエルフどもが落ち着きを失いはじめた時だった。ギレビアリウスの後ろに控える信徒たちが、先ほどまでとは打って変わってそわそわと浮き足立っている。何か起きたのか?俺は気力を振り絞り、顔を上げ彼女を見た。

 今しも最後の触手が、ガエビリスの身体から離れ、上空の闇の王の頭部へと引き戻されていくところだった。彼女は取り残され、波打ち際の砂の上に横たわっている。全身が触手の残した粘液と泡にまみれていた。

 …おぞましい儀式が、終わったというのか。

 彼女の中に、闇の王の遺伝子が注ぎ込まれたのか。

 絶望感に押し潰され、目の前が暗くなった。


 だが、それにしては、雰囲気が妙だった。種族念願の瞬間が到来したはずなのに、奴らダークエルフはまるで喜んでいない。それどころか明らかに動揺している。リーダー格と思われるギレビアリウスも表情が硬い。

 「どういうことだ?」ギレビアリウスがつぶやいた。



 その時だった。くぐもった雷鳴のようなとどろきが頭上から降ってきた。その場にいた全員が上を見上げた。その音ははるか天頂近くにそびえる闇の王の頭部から発せられていた。


「愚か者どもが……

 この女は…我が種を……受ける資格などない…

 もうすでに…子を宿しておる…」



 あまりに意外な返答に、その場の誰もが狐につままれたようにキョトンとしていた。しかし次第に理解が広がって行くにつれて、その場の全員に動揺が走った。

 ガエビリスはすでに妊娠していたのだ。

 

 一同の視線がガエビリスに集中した。

 今しがた砂浜から起き上がったばかりのガエビリスは茫然としている。

 俺と目があった。

「知ってたの?」

「…まさか」 

「その…父親って…俺だよね?」

「そう…だと思う。それ以外考えられないし…」

「はは…」

「……」



 あまりのお粗末な成り行きにダークエルフの一同の間には、白けた雰囲気が漂っていた。茫然と口を半開きにし、ただ木偶の坊のように突っ立っている。


「約定は……果たせぬ…

 残念だ…

 お前たちの…種族の…長年の忠誠に…報いられぬのは……

 さらばだ……我が下僕たちよ…」


「お待ちください王よ!

 我らが主よ!

 待たれよ闇の王よ!」

 ようやく正気付いたギレビアリウスが絶叫しながら浜辺へと駆け出し赤い海へと飛び込んだ。全身が粘っこい原形質の海に埋もれる。しかし水飴のようなゼラチン質から手足を引き抜き、全身をばたつかせ、闇の王の巨体へ向かってもがきながら必死に進んでいく。

 

 しかし、無情にも闇の王は島から遠ざかり始めた。速度をあげて水平線へと遠ざかりながら、次第に触手が縮み、手足が胴体に引き込まれ、単なる半球状の隆起へと還元していく。


「お待ちよ!おぼあば…」

「さらばだ……」

最後に一言言い残すと、闇の王だった隆起は高さを失い再び海面へと消えていった。後には顕現前と同じように、音もなくゆるやかに波打つ赤い海だけが残った。


「王よ…そんな…」

 ギレビアリウスは浅瀬にひざまずき、うつむいている。その表情をここからうかがい知ることはできない。

 

「我らの約定が

 300万年に及ぶ悲願が

 こんな茶番でふいになるなんて…

 ……ッ

 クククッ、

 ククククク……

 アハハハハハ!!!!」

 赤い波に洗われながら、ギレビアリウスは身をのけ反らせ哄笑した。

 狂った笑い声が、静まり返った地底世界にこだまする。


「ヒヒヒヒ…

 ハヒハヒ…ハヒ…

 ヒ……

 ……」

 笑いが止む。彼はゆっくりと、こちらを振り向いた。

 その顔は憤怒に歪んでいた。

 眉間には深い縦ジワが刻まれ、歯が剥き出しになっている。一部の隙も無く整えられていた髪型は乱れ放題。顔色は怒りのあまり青黒く変色していた。その容貌には、いつもの端正で貴族的な雰囲気は微塵もなかった。その顔はダークエルフというよりも、むしろ悪鬼(ゴブリン)だ。


「よくもやってくれたな。

 この…ゴミ以下の…クズの虫けらが…

 よくも…よくも…」


 激怒でいつもの饒舌さは失われ、その声は震えていた。声だけでない。全身が怒りに打ち震えている。彼に付き従う他のダークエルフたちは互いに顔を見合わせてオロオロするばかりだ。


「よくもやってくれたな。

 ダークエルフの女は、生涯に一度しか受胎できないのだぞ。

 それなのに…

 何てことをしたがったんだ!この売女がッ!!!!」


波しぶき即ちスライムの体液を跳ね上げながら、浜辺に座り込むガエビリスの元へと殺到する。

「やめろ!」

 奴を止めなければ。満身創痍のわが身を叱咤し、走り出す。だが間に合わない。奴はなおも茫然としているガエビリスを荒々しく引き立てると、頬に渾身の平手打ちを放った。乾いた音が鳴り響き、彼女の体が砂の上を飛び、転がった。


「我らはもうおしまいだ…

 わかっているのか、自分のしでかした事を。

 お前は最後の純血種だったのだぞ。

 闇の叡智の民はこの世代で絶滅するのだぞ。

 なんという短慮。

 まさかこれほど馬鹿だったとは」

 ガエビリスに暴力を振るったことで幾分か溜飲が下がったのか、奴は落ち着きを取り戻していた。


「…人間よ。貴様の子なのだな

 なるほど、ここまで必死に食い下がるわけだ」


「もうどうでもよい。

 我が一族の滅びは避けられぬ定めとなった。

 しかし、ヒトが滅ぶ定めは変わらぬ。

 闇の王の玉体が、この地底世界の海のすべてが

 まもなく地上へと溢れ出て、全てを飲み込み食らい尽す。 

 後には何も残らぬ。

 闇の王以外の全てが滅びるのだ。

 それも悪くない。ククク…」


「最後に、お前たち二人には贈り物をしよう。

 二人の幸せな旅立ちを祝して。

 受け取ってくれたまえ」


 奴は何かを短くつぶやくと、島の中央の岩柱へと足早に去って行った。取り巻きのダークエルフどもも慌ててそれに着き従った。地底世界には俺とガエビリスだけが取り残された。

 砂の上に横たわるガエビリスに歩み寄り、抱き起した。奴にぶたれた頬が赤く腫れ上がっている。なんて事をしやがる。改めて怒りがこみあげてきた。少し離れた砂の上に落ちていたローブを拾うと、それで彼女の体を包み込んだ。


 音に気付いたのは、その時だった。かすかな、サラサラという音に。その音は辺り一面の砂から聞こえてくる。やがて砂の表面が細かく震えはじめた。何かが砂の下から現れようとしていた。

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