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闇の聖母

「本当にごめんなさい」

「…謝るなよ」

 

 赤い光に満たされた地底世界。鮮血のような海原が音もなく緩やかに波打っている。風の音も鳥の声も聞こえない静寂の世界。 

 ガエビリス。彼女に会いたい一心で俺はここまで来たんだ。それなのに…。俺は打ちのめされていた。

 

 「…そもそも、ダークエルフの自我って何なんだよ。

 あの汚らしいスライムどもを崇拝することに目覚めたってか?」


 しまった。言ってすぐ後悔した。つい言い方がきつくなってしまった。

 彼女は一瞬、傷ついたような表情をした。それから伏し目がちに語りだした。


「ヒロキの気持ちはわかるよ。

 二人で下水清掃員の仕事をしてた時の事を思えば当然だね。

 あの頃スライムと言えば、下水を詰まらせる困った下等生物って

 認識だったものね。

 神聖さも何も感じられないのはわかる。

 だけど、見た目からは想像つかないほどの知性を備えているんだ」

 

「…あれはとても古い生き物なんだ。

 この世界に最初の人間が生まれるよりもずっとずっと昔、

 この世界の始まりと同じくらい昔から生き続けてきたんだ。

 そして、そんな太古の昔から今までに起きた

 この世界の出来事を全部覚えているんだ」

 

「ある時は地上のすべてが凍り付き、分厚い氷に覆われた。

 ある時は星が落ちてきて、地上のすべてが焼き払われた。

 ほとんどの大陸が海の底に沈んだ時もあった。

 別の世界からの侵略者に汚染されたこともあった。

 偉大な竜の帝国が世界を支配したことも、

 巨人の平和な黄金時代があったことも。

 今ここですべてを語ることはできないけど、

 この世界の長い長い歴史を、闇の王は教えてくれたんだ」

 

「そして、闇の王はただの歴史の傍観者じゃないんだ。

 歴史の転換点で大切な役割を果たしてきたんだ」

 

「かつて、いくつもの種族がこの世界を支配してきた。

 竜や、巨人だけじゃない。

 今では痕跡すら残っていない忘れ去られた種族がたくさんいたんだ。

 彼らはみんな、しばし繁栄の絶頂に達した後、

 種族としての寿命が尽き衰退していった」


「寿命が尽きた種族はどうなると思う?

 悲しい事だけど、彼らは延命しようと必死にあがくあまり、

 この世界に計り知れないダメージを与えてしまうんだ。

 短絡的な判断で世界全体を作り変えようとしたり、

 同族間で壮絶な絶滅戦争を始めたり

 いずれも悲惨な結果を招きかねない行為に走ってしまうんだ」


「闇の王の役割はその前に

 寿命が尽き、老いた種族をこの世界から消し去る事なんだ」

 

「…じゃあ…なんだよ、

 つまり、人間も種族としての寿命が終わったって言うのか?

 エルフもオークもゴブリンも、その他いろんな種族の寿命も?

 だからスライムがみんなを滅ぼすっていうのか?馬鹿な」

 

「……残念だけど、そういうことなんだ」

 

「そんな……」俺は言葉を失った。


「老いた種族の特徴のひとつは、大量の老廃物を発生させることなんだ。

 排泄物、廃棄物、汚染物質。

 吐き出された大量の汚物はどうなると思う?

 そう。

 みんな最終的にはここ、地下へと流れ込んでいく。

 …そして闇の王の糧となるんだ。

 老廃物が増えれば増えるほど闇の王は肥り、力を得ていく。

 最後に闇の王は地上へと降臨し、老いた種族と文明を消し去る。

 この世界で何度も繰り返されてきたサイクルが、

 今、もう一度起きようとしているんだ」




「それは避けられないことなのか?

 もし万が一そうだとしても、…お前がここにいる必要はないだろ?」

 ガエビリスは心底意外そうに目を見開いた。

 

「なぁ、一緒に地上に帰ろうぜ。

 さっき言ってたスライムのチューブを使えばどこでもすぐに行けるんだろ?

 上もひどいけどさ、どこか二人で何とか暮らせる場所は

 きっとあるはずだ。な?

 この世界の歴史なんてどうでもいいじゃないか。

 都市は滅ぶのかもしれない。そうだとしても関係ない。

 前みたいに二人で仲良く散歩したり、ペットを飼ったり

 料理を作ったり、そういう何でもない毎日をやり直すんだ」



「…そうできたら、どんなにいいか…

 わたしだって…

 わたしだってヒロキのことは…今でも好きなんだよ」

 ガエビリスの頬を、一粒の涙が流れおちた。

 知り合ってから今まで、彼女が泣くのなんて見たことがなかった。


「種族としての自我が目覚めたって言っても

 わたしはわたし。

 ヒロキに対する気持ちは前と何も変わらないんだよ」

 彼女は嗚咽しはじめた。

「ガエビリス…」

 見ていられなくなり、思わず彼女を抱きしめようとする。

 だがその時、彼女は手を上げ、近寄ろうとする俺を制した。


「でも、だめなの。

 わたしは「聖母」なんだ。

 新しい種族の母となる宿命を背負っているの」



「そういう事だ、人間よ」


 突然、第三者の声が響き渡った。俺は背後を振り返った。

 島の岸部、それまで誰もいなかった場所に、一人の漆黒のローブをまとった男が佇んでいた。あの男だ。これで会うのは三度目になる。俺の足を切断し、特魔隊を殺戮したダークエルフの男。


「久しいな。これで三度目か。しかしずいぶん変わったな」


「ギレビアリウス…」ガエビリスがつぶやいた。


 ダークエルフの男、ギレビアリウスはこちらにむかって歩き出した。


「彼女に代わって私が説明しよう。ワタナベ君。

 君の事は彼女から聞いている。

 実は、こちらに向かってくる君のことは、我々もずいぶん前から

 把握していたのだよ。

 聖所を侵さんとする闖入者を排除するために

 すぐに魔物どもをけしかけて食い殺させようとしたのだが、

 そこにおわす聖母がそれに強硬に反対したのさ。

 我々も聖母の心からの頼みとあっては無下にはできまい。

 彼女に感謝するのだな」


「気付いていたのか?」

 ガエビリスに訊いた。彼女はうなずいた。たしかに、最初に地下迷宮に来た時に比べ、モンスターや危険な生物が少ないとは感じていたのだが。


「しっかし、なんというひどい身なりだ。

 聖母が穢れる。早く離れろ下郎が。

 この聖母は貴様ごとき下賤が触れてよい御方ではないわ。

 彼女はこれより間もなく、我らが救世主の母となられるお方なのだからな」


 訳がわからない。救世主?聖母?こいつはいったい何を言っている?



「時は満ちた。

 間もなく聖婚の儀が執り行われる。

 闇の王の(たね)が、闇の叡智の(ダークエルフ)の最後の純血種たる

 ガエビリスの胎内に宿される。

 やがて生まれる子は、新たなる地上の支配種族となるのだ。

 今まさに滅びんとしている地上の民に代わってな」



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