エルフと魔法とゴブリンと
スライムの肉片を大量に積載しズシリと重いソリを引きつつ、地上への道を辿る。手のひらにソリの紐がギリリと食い込んで痛い。
俺の前を歩いているのは、ほっそりとした体型から察するにガエビリスに違いない。こいつはダークエルフだ。
容姿端麗、頭脳明晰、性格明朗、運動神経抜群で、あらゆる点で人間など足元にも及ばない優越種族、それがエルフ。そのため社会の上層部はほとんどエルフに占められている。エルフという存在はまさに全種族の羨望の的だ。
だが、ダークエルフは変わり種だ。
もともとは深山幽谷を一人さすらう、孤独を愛する種族だったらしい。そんな彼らも開発による森林の縮小で、近年は都市で暮らす事を余儀なくされている。
他のエルフと違って都市の生活に適応できないためか、ダークエルフは社会の下層部で細々と暮らしている。俺の前を歩く、ガエビリスもそんな目立たない種族の一員だ。
だが足取り軽くスライム袋を運ぶ姿を見ると、ガエビリスは今の境遇を楽しんでいるようにも見える。何とも不思議な奴だ。
水路内がほのかに明るくなってきた。開け放ったマンホールから差し込む外光がここまで届いているのだ。ようやく外だ。
汚水がたっぷりしみ込んだ作業服をすべて脱ぎ捨て、熱いシャワーと石鹸で全身を洗い流す。襟元か袖口からでも侵入したのか、紫色のヒルが2匹貼りついていた。引きはがして熱湯で排水溝に押し流す。ようやく生き返ったような気分になった。
詰め所に戻り、解呪と日当の配分を待つ。
解呪とは何か?
当然、下水道には硫化水素や腐敗ガスなど、いろんな有毒な気体がたまっている。酸素濃度も低い。そんな所にのこのこ入って行こうものなら即死だ。だから作業前は毎回、作業主任魔術師の資格を持った親方に、有毒ガス中でも呼吸できる魔法をかけてもらう。
しかし、魔法と言っても地味なものだ。イメージとしては「まじない」の方が近いのかもしれない。不明瞭な呪文を口の中でモゴモゴつぶやいて、すり減った木の棒でみぞおちを軽くこずく。これで終わりだ。当然、空中に魔法陣が出現することもない。
だが効果覿面で、ちゃんとかかっていればガスで死ぬことはないという、すごくありがたい魔法なのだ。
しかし、逆にこの魔法がかかっていると普通の空気中では息苦しいので、作業終了後に解除してもらわなければならない。それが解呪という儀式なのだ。
詰め所には例のダークエルフと、石田さんと河骨さん(この二人は人間だ)、ジスチェさん(種族不明)が待っていた。狭い詰め所内のあちこちの椅子に思い思いに腰かけ、皆、作業の疲れからぼんやりとしていた。
タイモンさんの姿はなかった。あの人はいつもシャワーも浴びずに解呪と日当の受け取りを済ますと、汚水を滴らせたまま帰ってしまうのだ。不潔や悪臭が全く気にならないらしい。
俺がここで働き始めてから、タイモンさんとはほとんど会話したことがない。俺自身、無口ではあるが、そもそもタイモンさんはゴブリンなので言語能力に難があり、話すのが得意ではないのだ。
でも、仕事では頼れる存在だ。小柄な体躯からは想像できないほどのパワーとスタミナを発揮して、どんな狭く汚い下水管へでも臆することなく潜りこんで行くし、どんな大きなスライムもたちまち駆除してしまう。
いつもしかめ面で気難しく、まさに職人という感じだ。もう少し服を洗濯して風呂に入ってくれると、周囲の人間としては助かるのだが…
親方が詰め所に入ってきた。俺たちは解呪を受けるためにぞろぞろと一列に並んだ。