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迷宮

地下迷宮――迷い込めば二度と抜け出る事ができない死の罠。


満身創痍の身体を引きずり、俺は地の底を目指した。やがて、人工的な水路が途切れ、周囲は剥き出しの岩盤に取って代わった。迷宮に入ったのだ。狭いトンネルがアリの巣穴のように曲折し無数に分岐を繰り返している。分岐点にさしかかるたび、壁に目印を刻み付けながら進んでいく。

強化された視力でも、物の輪郭がぼんやりと判る程度の、絶対的な闇。その中を壁に触れながらひたすら前に向かって進む。正しい方向など分かりっこなかった。果てしなく繰り返される分岐の中で、俺はすっかり方向感覚を失ってしまった。何度も同じような場所に出くわし、同じ所を堂々巡りしているだけなのではないかと不安になる。だが、壁に目印は見つからなかった。自分は本当に彼女の所に辿り着けるのか。いったいどんな勝算があってこんな迷宮に踏み込んだりしたのだ。今更ながら自分の無謀さに愕然とする思いだ。だが、前進するのを止めるわけにはいかない。歩いて歩いていつか彼女のところに到達するんだ。一片の光すら存在しない圧倒的な闇の奥で、俺の理性のタガは緩み始めていた。



疲労がピークに達すると、その場にうずくまって眠った。ときおり訪れる眠気のみが時を測る唯一の手段だった。人間の肉体には約24時間の周期がある。概日(サーカディアン)リズムだ。

3度ほど眠った後、持参した食料が尽きた。魔法で飢餓には強い体になってはいたが、絶食状態でもつのは一週間が限度だろう。日に日に飢えは厳しくなっていった。しだいに意識が混濁し、自分が起きているのか、眠っているのかさえ判然としなくなっていた。



ふと気が付くと、身を苛む飢えが軽くなっていた。無意識に何かを口にしていたらしい。何となく口元に手をやって驚いた。俺の顔は伸び放題の髭に覆われていた。意識を失ったまま、いったい何日この迷宮をさまよっていたのだろうか。



かすかに水の流れる音が聞こえた。清らかな清流が岩の間を流れ下るような音。その方向へ向かって進む。何時間あるいは何日も歩いたが水の流れは見つからなかった。しかしその音は執拗に耳に届き続けた。幻聴なのかもしれないと諦めかけたその時、左足が冷たい水に触れた。いつの間にか靴が脱げ素足で歩いていた。幅10センチ程度の、小川とも呼べないような小さな水の流れだった。水音はその小川から発していた。この小さな音がはるか遠くまで聞こえていたというのか。久しぶりに冷たい水で喉を潤した。



5メートル前方の壁に虫がいると感じたのと、体が動いたのは同時だった。太った甲虫だ。トゲトゲした手足だけをもぎ取り、口に放り込みバリバリと噛み砕く。目で見えたわけではない。ただそこに虫がいるということが感覚的にわかったのだ。どうやら俺の感覚器官は闇の世界に適応しつつあるようだ。このまま闇の世界の住人になり、地下迷宮を永久にさまよって生きる運命なのかもしれない。それも悪くない気がしてきた。



覚醒と混濁、理性と狂気。俺の精神はゆらゆら揺れる振り子の上で危うい均衡を保ってきた。しかしそれも否応なく混濁と狂気の側へと傾きつつあった…



…量子力学のこの点に関してはいろいろな解釈があります。一つは観測という行為によって波動関数が収束するというコペンハーゲン解釈であり、もう一つの考えは無数の平行世界が同時に存在するという多世界解釈であります。他には…」

講師のモノトーンな講義が続いていた。3時限目の一般教養「現代物理学の基礎」。昼食の後ということで階段教室に散らばる学生の約半数は舟をこいでいた。俺も少し眠ってしまったようだ。口元に垂れた涎を拭いながら、窓の外に目をやる。今、すごく奇妙な夢を見ていたような気がする。延々と洞窟を歩き続け、スライムが…



…久しぶりに両親と会った。こんな迷宮でばったり出会うとは奇遇と言う他ない。両親は記憶にあるより少し老けていた。二人は俺を見てにっこり微笑んだ。急に懐かしい気分になり涙が溢れてきた。二人には話したいことが沢山あった。聞いてくれ父さん、俺は…



…シシシシ、バカ、アホ、チ○ポ野郎、オイ、バカ、バカ…」

俺の周りには小さな小人たちが飛び跳ね、俺を嘲り、野卑な言葉を投げかけてくる。10センチほどの小人が群れになって俺を取り囲み、盛んにはやし立てる。また幻覚か。


「チチチ…バカチ○ポ」

「エルフとオ○ンコしたさにこんなトコまで降りてきたか。シシシ…」

「ダークエルフとやりまくりのチ○コバカ。そんなにオ○ンコしたいのか」

「ヤーイ、バカバカ、アホ、ウンコ、シシシシシ…」


ちょっと待て、ダークエルフと何だって?俺の意識は久方ぶりに焦点を結んだ。意識がはっきりしても小人たちは消えなかった。しかもこの青白い小人には見覚えがあった。あの時、ガエビリスの部屋を初めて訪れたときに見た、ゴキブリを貪り食うあの不気味な矮人だった。

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