遭遇
再び地下の探索を進める。
もう何時間歩いたのだろうか。時間の感覚が失われてきていた。昼夜の区別のない闇の世界を、もう何日もさまよってる気がする一方で、地下に入ってからまだ半日も経っていないようにも思える。
目の前には円筒形の水路がひたすらまっすぐに伸びている。水路の直径は4メートルほど。かなり広い水路だ。天井からは鍾乳石のように石灰が細長く垂れ下がっている。足元を深さ20センチ程度の生暖かい汚水がゆるやかに流れている。頬に小さな羽虫がとまったので手で払った。変化がなく、眠気を誘う光景が続く…
……俺の目は前方の水路に異変を捉えた。
俺のいる場所から30メートルほど前方。見慣れない物体があった。
交差する水路から、木の幹のような物が空中を横切って伸びだしている。しかも、それはゆったりと動いていた。まるで大蛇のようだ。見ているうちに、さらにもう1本、そしてもう1本と、何本もの大蛇のような触手が同じ水路から現れた。真っ黒で、怖ろしく長い。触手の先端はこの水路の壁面に達すると、こちら側に折れ曲がってどんどん伸長してきた。
この姿。こいつは、以前、職場の親方や同僚たちを襲った触手の怪物に違いなかった。
こちらの存在を感づかれたのか。動きを止め、息を殺し、その挙動を注視する。黒い触手どもは壁面を撫でるようにして周囲を探りながら伸びてくる。獲物の臭いか体温、あるいは振動でも探っているのか。俺はできるだけ水音を立てないよう細心の注意を払いながら、じりじりと後退を始めた。
だが、それがまずかった。触手の一本が明らかに俺の動きに反応した。一瞬動きを止めると、ミサイルのような勢いで一直線に伸びてきた。速い。30メートルほどの距離を一挙に詰めて眼前に迫ったそれを、何とかスコップで打ち返す。手が痺れるほどの衝撃が走った。
つづけて何本もの触手が同時に繰り出される。1本はすんでの所で回避し、もう1本はスコップで叩き切ったが、1本をまともに食らってしまった。俺は後方へ3メートルほどふっ飛ばされ、水路の底を流れる汚水の中へ落下した。
左脇腹から背中にかけて激痛があった。息ができない。骨が折れたのかもしれない。汚水の中でもがき、体勢を立て直そうとする。目の前に斑点が踊り、立つことさえできない。なんとか汚水から顔を挙げた時、目に入ったのはさらに迫る数本の触手だった。そのうち一本が左足に直撃した。俺は弾き飛ばされ、天井近くの壁面に叩きつけられた。
一瞬、意識が飛んだに違いない。気が付くと汚水の中で仰向けに浮いていた。口の中には血の味と異物感があり、粘っこい物が片目に流れ込み、視野を塞いでいた。口内の異物は折れた歯だった。顔に触れるとザックリと額が割け鮮血が流れ出ているのがわかった。
目の前の水路の天井を、黒い触手がゆっくりと横切る。その先端部が下に向けて曲がり、近づいてくる。先端が花開くようにぱっくりと割け、糸を引きながら開くと、鋭い歯列が露わになった。白く輝く長い歯がずらりと並ぶ。俺は動くことさえできず、魅せられたようにそれを茫然と見つめていた。ステーキナイフのような歯の縁のギザギザさえ見える。
「何だよ、情けねぇ…」これで終わりなのか。こんなんで終わってたまるかよ。必死で怒りの炎を燃え上がらせる。だが、無情にも身体は動かなかった。
「畜…生…」
「よぉ~!! 何してんだぁあぁあぁあぁ…?
俺の相手もしてくれよぉおぉおぉ…」
突如、水路の向こう側から大声が響いた。いったい誰がこんな所に?だがしかしその声は妙に聞き覚えがあった。ここと同じような地の底で、嫌になるほど聞かされてきたあの濁声。何度も怒鳴られ罵られたあの声は聞き間違いようもなかった。
「…親方」
歯をむき出しにした触手は動きを止めた。するすると引き下がっていく。親方の方に向かったのか。俺は激痛に耐えながら、何とか身を起こす。触手たちが前方の水路に現れた人影に向かって殺到していく。
その時、「目を閉じろっ!」
目を固く閉じた瞬間、水路にまばゆい閃光が走り爆発音が轟いた。爆風が走り抜け、汚水の中に突き飛ばされる。天井から剥落した石灰がぼろぼろと降り注ぐ。続けてもう一発炸裂した。今度はさらに近い。衝撃で再び汚水の中に叩きつけられた。その上をごぉっっと熱風が通過していった。汚水に潜っていなかったら全身に火傷していただろう。水中にボチャボチャと音を立てて、何かが落下してきた。ズタズタに千切れた触手の断片だった。
ようやく立ち上がり、煙が漂う水路をよろけながら前方へと進む。あたりには原型を留めない触手の破片が散乱していた。二度の爆発で完全に破壊されていた。
「まだだ。まだ死んじゃいねぇ」
すぐ近くから声がした。振り返るとすぐ横に親方がいた。
「親方…お久しぶりです」
「ん?ああ!! …おめぇ渡辺じゃねーか」
「一体こんな所で何してやがる!!」
「それはこっちが聞きたいですよ。でも助かりました…」
「安心すんのはまだ早えぇ。話しは後だ」
よく見ると破壊されたのはこの通路に伸びていた触手だけだった。




