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吸血鬼

俺は前方に伸びる暗渠へと踏み出していった。入り口では早くもスライムが再生し俺が開けた穴は急速に塞がりつつあった。外から差し込むごくわずかな光が弱まり、周囲は漆黒の闇に閉ざされていく。

俺はガエビリスのペットたちを放した。袋からばらまかれた不気味な生き物たちは身をくねらせ、カサカサと這い、あるいはぴょんぴょんと跳躍しながら慌てて闇の奥へと去って行った。



「ぽたり…ぽたり…」

どこかで水が滴る単調な音が聞こえる。暗視魔法で強化した視力のおかげで、この完全な暗闇の中でも物の形が判別できた。驚いたことに、スライムは変化していた。以前は無秩序に増殖した細胞の塊でしかなかったが、今は違った。ある程度、組織や器官に分化しているようなのだ。暗渠の天井にも長々とへばりついているが、それはまるで血管か腸を思わせる管状の形態を取っていた。それは脈打ち、液体を送り出しているようだ。



事務所の図面で見たとおり、まっすぐ前方へと向かい、ほぼ直線の水路を進む。その先は地下迷宮に繋がっているはずだ。意外なことにスライムの総量は減っているようだ。おそらく、あの巨大な闇の王になるために都市中からスライムが集まったに違いない。そのため進むのは意外と楽だった。


20分ほど歩いた時だった。前方の闇の中から物音がした。

前方の闇の中に目を凝らす。天井を走るスライムの脈管の一部が肥大化し結節を作っていた。そこに何か脚の長いものが山ほどたかっていた。大きさは50センチほどだろうか、クモのような体型で、全身が固い甲羅で覆われ、甲羅の表面にはイトミミズのような無数の生物がへばりついている。俺が以前、地上で遭遇した大蜘蛛とは別種の生物のようだ。刺激しないように、そっと下を通過した。幸い、何事も起きなかった。




闇の中をさらに数時間歩いた。まだ地下迷宮には到達しないし、途中にガエビリスの存在をうかがわせる証拠は何も見つからなかった。その時、脇道の方向からわずかな光を感じた。生物発光などではなく、明らかに照明の光の色合いだ。気になったので念のため調べることにした。


光は水路の脇道に合流する支道から射していた。そちらに向かう。角を曲がるほど光は強くなる。やがて、一つの部屋に行きついた。下水道の中に設けられた作業道具収納庫。かなり以前から使われていないもののようだ。ボロボロに腐蝕した木製の扉の下の隙間からは黄色い光が漏れていた。まさかこんな所に誰か住んでいるのか。俺は恐る恐る扉を開けた。


中にいたのは、少女たちだった。年齢にして10歳から15歳程度の3人の子供が床に座り込んでいた。あまりにも意外な光景に俺は呆気に取られた。いったいなぜこんな所にいるのか。彼女たちは痩せ細り、後ろ手に縛られていた。何者かに監禁されていたのか。いったいどこの誰がこんな酷い事を。

「…大丈夫か。もう心配ないからな。今すぐお兄さんが助けてやるからな」


俺は部屋に踏み込み、彼女たちを縛る縄を解いていった。だが、3人ともされるがままで反応がなく、何も言葉を発さない。まさか精神が壊れてしまっているのか。その時、俺は気付いた。3人の首筋に残る痛々しい傷跡に。牙が付けた二つの穴に。

「まさか…吸血鬼か」



吸血鬼(ヴァンパイア)。この都市でも最底辺の社会階層に属する種族。全市民から軽蔑と憎悪を一身に集める存在。彼らはその特殊な生理的欠陥により、日光の元で活動することができない。すなわち就労に関しても大きなハンデを負っているということだ。そのため彼らは極度に貧しく、異変前は貧民街の違法増築アパートやスラム街などに潜んで暮らしていた。だが、彼らが嫌悪される最大の理由は、その習性、嗜癖にあった。つまり、吸血行為に。

処女の生き血を吸うという行為は、俺が元いた世界ではフィクションの中で耽美的に描かれてきた。しかし実際の奴らは決して紳士などではなかった。奴らは女が若ければ若いほど喜び、処女どころか児童、酷い時には幼児という年齢の子供が餌食となった。幼い子供が吸血された場合、失血により死に至る事が多かった。命を取り留めても咬み傷から感染した疾患にその後苦しめられ続けた。

しかも、吸血行為には生物学的な必然性は皆無だった。つまり吸血しなくても彼らは生きていけるのだ。だが彼らは己の欲望や嗜癖を満たすためだけに幼子を手にかけ続けた。

そのため、多くの吸血鬼は昔から迫害の対象とされてきたらしい。だから今ではかなり数が少ない。生き延びた少数の吸血鬼は正体を隠し、隠れて細々と非道行為を続けた。正体がばれた吸血鬼は大抵その場で住人にリンチされ殺害された。



闇の王が降臨し、都市の秩序が崩壊してから、吸血鬼どもの生き残りは活発に動き始めているようだ。奴らは闇の王を崇拝する集団に取り入り、大手を振って歩き回り始めた。もっとも、昼間は全身を一部の隙なく衣服で覆い濃いサングラスをかけてではあるが。


下水道と言う場所は日光が遮られ、奴らにとってもうってつけの空間に違いない。とりあえず、囚われていた子供たちをどこに保護すべきか。作業道具部屋のもう一つの扉を開けると、隣の部屋に上へ向かう螺旋階段があった。登っていくと地上に出るようだ。


その時、後方に気配を感じた。振り返ると片手にナイフを手にした男が部屋の中に立っていた。外見は色白で線が細く、内気な青年といった雰囲気だが、上あごの犬歯が長く伸びている。間違いない、吸血鬼だ。俺は子供たちを保護するため隣の部屋に押し込んだ。スコップを手に取り、吸血鬼と対峙した。

「あの…返して貰えませんか。あれはみんな僕のものです」


意外と低姿勢で気弱な話し方だった。だがその影にはどす黒い腐った精神が宿っているのだ。


「あの…すいません、こんな事されちゃ困るんですよ。ホントやめてもらえませんか…」


「ダメだ。彼女たちは解放した。こんな事はもうやめるんだ」


「……」


吸血鬼は押し黙ると、突然手にしたナイフで切り付けてきた。

スコップのほうがリーチが長く有利だ。手首を叩いてナイフを落とさせようとしたが、奴はヌルリとつかみどころのない影のような動きでこちらの攻撃を回避し、間合いに潜りこんできた。喉を狙ったナイフの一撃をすんでの所で回避し、蹴りを放ったが、吸血鬼はすでに離れていた。姿勢を低くし、奴は再びナイフの突きを入れてきた。今度は足を狙っていた。しかしそれはフェイントだった。足を突くと見せかけて腹を狙ったナイフは俺の脇腹をかすめた。皮膚が切り裂かれ、温かい血が流れ出すのを感じた。吸血鬼はニヤリと不快な笑みを浮かべている。奴はナイフの達人だ。少なくとも俺よりケンカ慣れしている。あきらかに形勢は不利だ。どうする。

ふと、部屋の中に灯るランプが目に入った。そして机の上には携帯型のランタンが置かれていた。奴が部屋に入ってきた時に置いたものに違いない。そうか。奴は完全な暗闇では目が見えないのだ。俺はスコップを一振りしランプとランタンを叩き割った。一転して部屋は闇に閉ざされた。

暗視強化された俺の目も、明かりが灯った部屋で明順応していたため、しばらくは視覚が利かなかった。だがやがて部屋の様子が見えてきた。奴は部屋の向こう側で手探りしていた。判断は正解だった。吸血鬼の後頭部めがけ全力でスコップを振り下ろした。鈍い音を立てて奴の頭に刃先がめり込んだ。そのまま床にばったり倒れて動かなくなった。


荒い息をしながら、俺は隣の部屋に向かった。3人はそのまま先ほどと同じ場所でうずくまっていた。とりあえず螺旋階段を登って彼女たちを上へ連れて行った。階段は地上へと通じていた。きしむ鉄扉を押し開け、出た先は路上だった。まさに夜明けの時間帯だった。大半が無人となった家並みの向こうから朝日が昇ろうとしている。


その時、通りの向こうから一団の人々がやってくるのが見えた。自警団に伴われた都市脱出者たちだ。彼らに事情を説明して3人を託し、俺は昇る朝日を背に、再び地下へと帰って行った。



いくら非道な吸血鬼とは言え、人類に該当する種族を殺したのは当然これが初めてだった。再び地下の水路を歩いていると、ようやく自分が人を殺めたという事実に激しい嫌悪感が込み上げてきた。

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