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降臨

次の日、彼女が消えたあの場所へと向かった。

まだ杖が必要なので、工業用水路の底へは降りられない。だが上の側道からでも、暗渠の内部がスライムで埋め尽くされたままなのが見て取れる。いずれ傷が癒えた暁には、スライムを排除してここから地下へ侵入し彼女を捜索しよう。だがそれはまだ先の話だ。今はその時のために準備しておくべき時だ。俺は踵を返し、その場を後にした。


俺は都心部へと向かった。高級品を扱う商店が立ち並んでいたきらびやかな通りは、無残な姿に変貌していた。無人の街路には無数の蠅が雲のように飛び交い、容赦なく眼や鼻や口に飛び込んでくる。タオルで顔を覆っていないと息もできない。石畳の道はどす黒いネバネバする泥濘に分厚く覆いつくされ、強烈な腐敗臭を放っている。汚泥の上を無数の蛆虫が這いまわっていた。そこここの排水溝、マンホールからは毒キノコのように肥大化したスライムの塊が盛り上がり、周囲にアメーバのような仮足を活発に伸ばしている。スライムは地上への侵略を開始しようとしているのか。



裏通りに入り何度か道を曲がった先にある雑然とした一角に、俺とガエビリスのかつての勤務先はあった。アルゴー環境美化社。二人で一緒に下水清掃員をしていたのが、もうはるか昔の事のように思える。事務所はもぬけの殻だった。


棚からこの都市の下水道網の図面を何冊も引っ張り出し、デスクの上に広げていく。複雑に分岐交差し毛細血管のごとく都市全域を網羅するそれは、あたかも都市の下に存在するもう一つの都市の街路図のようだ。


ようやく、彼女がスライムの中へ消えた暗渠を5冊目の図面で見つけた。暗渠の伸びゆく先を辿る。途中、数本の水路と交差しつつ、まっすぐ都市の外側へ向かう方向へ走っていた。しかし、直線的だった水路は途中から急に曲がりくねって分岐を繰り返したあげく、破線となって途切れていた。これはおそらくこの水路が地下迷宮の一部に繋がってることを示しているのだろう。捜索の際は、まずこのルートを中心に調べてみよう。


倉庫へ入ると、俺は背負ってきた大き目の背嚢に、下水作業用の道具類を詰め込んでいく。合羽、ヘッドランプ、マスク、ゴム手袋、ゴーグル、その他諸々。そして外側にスコップをくくりつけた。無断借用だが、この際仕方がない。「装具一式借ります」のメモを残し、俺は事務所を後にした。



俺が以前一人で住んでた、貧民向け高層アパート群が立ち並ぶ地区のそばを通りかかった。ここは浸水がひどく、低層階は完全に泡立つ汚水の沼に沈み込んでいた。沼から立ち上る瘴気は、地上にもかかわらずガス中毒防止魔法が必要なレベルだった。慌てて自分自身に魔法をかける。足元を見ると中毒死したのかカラスの死骸が何羽か落ちていた。




単身、地下に降りるのは非常に危険だ。凶暴なモンスターが徘徊しているし、また得体のしれない集団から攻撃されるかもしれない。当然、護身に役立つ魔法が必要だった。俺は街の本屋で「まさかのための護身魔法・初心者でも簡単にできる10の魔法」という本を購入した。時刻は正午過ぎ。汚染がひどい区域を脱し、人々でごった返す通りを歩いていた。この区域は悪臭に悩まされつつも、人々は何とか生活を続けていた。

大きなタンクを曳いた竜車とすれ違った。濃厚な臭気から、汚物を回収しているとわかった。このまま価値外れにでも捨てに行くのだろう。




その時、かすかな震動を感じた。「ずずずず…」と地響きも聞こえてくる。地震か?

震動と地響きはしだい激しさを増していった。あまりの激しさに立っていることさえできなくなった。周囲の人々もその場にへたり込んでいる。あちこちでガラスが割れる音、物が落下して砕ける音が響く。と思い間もなく震動は急速に収まっていった。まるで足元の地面の下を何か途方もなく巨大な物が這いずり、通り過ぎていったような感じがした。


「何だったんだ?」

立ち上がり埃を払っていた時、

「どぉーーーん!」

鼓膜が破れるような強烈な衝撃音が響き渡った。俺がやってきた方向、汚染の激しい中心街の方角だ。そちらを振り返ると、轟音と共に何棟もの高層建物が崩落していく所だった。粉塵の雲がもうもうと立ち上り、こちらに向かって押し寄せてくる。衝撃音は二度、三度と繰り返され、そのたびに建物が崩れ、破壊の音が響き渡った。


「何だ?何が起こっている…」

その場にいた全員が呆気にとられたように同じ方角を見つめていた。そして、全員が信じがたい光景を目にする事になった。


湧き上がる粉塵の雲の中から、何かが姿を顕そうとしていた。それは家々の屋根を超え、粉塵の雲を突き、天に向かってぐんぐんと伸びあがっていく。その濡れた頂部が日の光を浴びて煌めく。それはまさに山だった。都市の中心部に突如出現した、薄桃色の肉の巨塊。そのゼラチン質の山は膨張と収縮を繰り返しながらさらに肥大化していった。その質感、動きはもはや見間違えようもなかった。


「まさか…スライム…なのか?」


それは全身を蠕動させながら、何らかの形を取ろうとしていた。巨塊の両側面から二本の太い幹が伸び出し、上部は丸くくびれていく。両腕と、頭部なのか。両腕と思しき幹の先端には切込みが入り、指が形作られていく。肥大化した頭部はうつむき加減に重く傾ぎ、その下部からはわらわらと触手か髭のようなものが無数に伸び出した。ペチャペチャと湿った不快な音を立てながら、不気味な変容(メタモルフォーゼス)は進行していく。皆、その光景から目を話すことができず、固唾を呑んで見守っていた。


…やがて、変容は完了した。

それは、巨大な頭部をのけ反らせると、長々と咆哮した。1億の排水口が逆流し、10億人が同時に痰を絡ませたような汚らしい不潔極まりない大音声が都市全域の大気を圧して鳴り響いた。しかしそれは単なる咆哮ではなかった。初めは無意味な音に聞こえたそれは、信じがたい事に言葉を形作っていた。


「わ…れ……復…活…せ…り……」

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