求職と図書館
動物園デート以降も俺たち二人は仲良く暮らしていたが、実に困った問題が持ち上がりつつあった。早い話がお金だ。
行政局の下水道立ち入り禁止令により仕事がなくなり、暇ができたおかげで彼女と二人で濃密な時間を過ごすことができたのだが、収入を断たれたのは痛かった。二人とも下水道清掃員という低賃金の底辺労働者だっただけに、貯蓄などほとんどなかった。家賃はすでに数か月分滞納していたし、近頃は生活費にも事欠き、危険な領域へと突入しつつあった。そろそろ二人とも行動を起こすべき時が来ていた。
彼女は魔法の知識がかなり豊富なので、魔術師関係の職が有望そうに思えた。だが、就職の際に有利になる魔法資格はほとんど取得してなかった。頭が良く、資格さえ取ればかなり高所得の上級職さえ目指せるのではないかと俺は思うのだが、自分の興味の赴く範囲外のことにはまったくやる気を出さない彼女の性分が災いしていた。しかも興味の範囲と来たら、地下の生物やら死滅した古代魔法やらで、実社会で少しでも金になりそうな分野とはまるで重なっていなかった。
今日も一緒に職探しに誘ったのだが、
「やる気がしない。うちで本でも読んでる」
彼女はそう言ってにべもなくはねつけた。こういう所は妙に強情だ。
仕方がない。その日は俺は一人で新しい仕事を探すために出かけた。その時はまだ、しばらく待てば下水道の事態が改善してまたもとの職に戻れると踏んでいたので、とにかく一時的なバイトや手伝いでもいいと思って店先の求人募集の張り紙などを探して歩いた。ろくな知識や技術もないので、力仕事や単純作業くらいしか選べないのが辛い所だ。
何件かを断られた後、倉庫内の荷物運びの求人を見つけた。働いているのはゴブリンやオークと思われるガラが悪く屈強な男ばかりだ。求人の話をすると即決で雇ってもらえた。
「仕事について来れなかったらすぐ首にするだけだ。明日から気合い入れて働けよ」
そう言い残すと縮れ毛のオークの採用担当者、兼倉庫長は作業を監督しに事務所から出ていった。早速作業員を怒鳴り散らす声が聞こえた。かなりブラックっぽい職場にかなり不安はあるが、とにかく職は決まった。とりあえずこれで糊口を凌いでいける、と思った。
職探しに数日はかかると思っていたが、その日の午前中に意外なほどあっさりと決まってしまった。彼女の待つ家に帰っても良かったのだが、前々から少し一人でやりたい事があった。
俺はガエビリスと一つ屋根の下で寝食を共にし、毎日昼夜となく何度もセックスするほど親密な仲になっていたが、彼女の種族、ダークエルフについては何も知らないも同然だった。昼なお暗い深い森に暮らし孤独を愛するエルフの一種。その程度の認識しか持っていなかった。彼女については知らない事だらけだあったが、まずは彼女の属する種族についてだ。種族特有の価値観やタブーはあるのか。つまり、何をしたら喜んでくれるのか、または嫌がるのか。それを知っておきたかった。
人間とエルフの物の見方は全然違う。たとえばシャワー室での一件で明らかになったように、性についての考え方がそうだ。今まで彼女に対して、知らずにタブーを侵し、無礼なことや嫌な事をしている可能性さえあるのだ。
俺は軽く昼食を取った後、図書館へ向かった。
市内には大小さまざまな図書館が何十か所もあり、大半は市民に対し広く公開されていた。俺が訪れたのは中程度の規模の図書館で、石造りの堅固な建物の中にあった。蔵書数はかなり多い。長年多くの人々に読み継がれ手垢に黒ずんだ背表紙が、重厚な書架にずらりと並んでいる。午後の陽ざしが高い窓から斜めに差し込んでいる。館内は静まりかえり、書架の間を行き来するひかえめな靴音がコツコツと響くのみ。
「エルフの祖先を求めて」
「エルフの歴史 第一集・歴史の曙より」
「古代期エルフ諸王朝の興隆と衰亡」
「図説エルフ辞典」
「エルフ-ヒト間の対立と融和」
「エルフ戦争・知られざる歴史の悲劇」
「ヒトとエルフ。新たなる時代へ」
「エルフ哲学論考」
…
エルフ関連の書籍が並ぶ棚を見て回る。大半が普通のエルフについての本で、ダークエルフについて詳しい本は中々見当たらない。そんな時、一番下の棚の隅の方に、装丁がすり切れ背表紙の印字の消えかけた本が目に留まった。
「ダークエルフ・封印されし過去」
思わず興味をひかれ、俺はその本を手に取った。
冒頭にはこうあった。
「ダークエルフと通称されエルフの一族であると見なされている彼らだが、その出自には謎が多い。著者は文献および民間伝承、最近の考古学上の発見、さらには医学、生物学的知見までも動員し彼らの真の正体に迫った。浮かび上がったのは驚愕の事実であった」
ダークエルフはエルフじゃない?馬鹿な。俺は思わず引き込まれるように読み進めていった…
「…グエノーム地方に古くから伝わる伝承、および同地に遺された古い碑文には興味深い記述がある。深き森に住まいしエルフの祖先は地の底の冥界より来たりし使者なり…」
「…発掘された外地の石塔の彫刻には、生贄を捧げるエルフに似た種族のモチーフが繰り返し描かれている(図.34)。特徴的な耳朶の形態や頭髪の表現から、これがダークエルフを描いたものであるのは明白であろう…」
「…ダークエルフは己の身体内部に関しては秘密主義であり、決して医者に係ろうとはしないのは有名な話だ。しかし、私はローレンディアの古文書館で、4602年にダークエルフの遺体を解剖した医師による興味深い記録を発見した。その記述は不完全ではあったが、数少ないダークエルフの医学的情報源としてはかけがえのない貴重なものである。その文献によると呼吸器系は…」
「…数々の証拠から、ダークエルフなる種族が、エルフとは全く別系統の生物であることは明白だろう。オークよりも異質な系統に由来するのは間違いない。身体構造に残された痕跡は、さらに信じがたい可能性すら示唆している…」
「…これまでの章で著者が検討してきた証拠を総合した結論は、次の通りだ。ダークエルフと一般的に呼ばれる種族の祖先は、太古の昔、いわゆる地底の暗黒神に仕えていた古の民、すなわち「古なる叡智の守護者」と同一である。暗黒神が衰え、光の時代が到来すると、彼らは魔法により己が身体構造を改変し、光の時代に適応し、深い森へと散っていった。いつしか時が満ちたあかつきには、暗黒神の復活を手助けし、暗黒時代を再来させるために。それが彼らの種族的悲願である…」
あまりの内容に、俺は言葉を失った。
と同時に、地底探索のおりに行政局のロイド氏から聞かされた話を思い出した。
――古い伝承に伝わる忌わしき暗黒都市ゲ・ビゲジ。邪悪な暗黒の神を祀った神殿を中心に、広大な地下迷宮都市と巨大な石の塔が建造された。そこでは人間が誕生する以前に世界を支配していた古の民がひしめき、邪神に捧げるためおぞましい人身御供の儀式を繰り返していたという。
あそこが彼女の故郷だというのか。馬鹿な。
こんな本、どうせトンデモ本に違いない。日本にも山ほどあったじゃないか。もっともらしく古代遺跡や伝説を持ち出して、挙句にキリストは宇宙人だとか、ピラミッドは宇宙人が作ったとか言う、あの手のくだらない本。
いや、この本はそれ以下だ。ダークエルフという種族には変わり者が多いことからか差別や偏見が多い。この本は客観的、学問的な体裁を装いつつ、下品な差別感情を正当化しようとしている。
俺は怒り心頭に発し、足音荒く図書館を後にした。




