一つ屋根の下で
急に下世話な話になるが、それまで俺は彼女いない歴=年齢のもてない童貞男だった。だけどいちおう肉体的には健全な男子だし、異性と仲良くなって結ばれたいという欲求は人並みにはあったと思う。
だから学生時代は彼女を作ろうと必死に努力してきた。服装や話術を磨いたり、合コンに参加したり慣れないことも色々やった。破れかぶれになってバイト先の後輩をデートに誘ったこともあった。だけど、それらの虚しい努力はけっきょく実を結ばなかった。
社会人になってからは、職場と家の往復の毎日で、そもそも女性と出会うきっかけさえなかった。そして異世界に来てからは恋愛どころではなかった。こんな風に、俺は浮いた話とはとんと縁がない人生を送ってきたのだ。
それなのに、あの日、あんなに焦がれていた初体験は実にあっけなく訪れた。
ガエビリスを看病したあの夜以来、俺は彼女の家で暮らしていた。
あの後も彼女の体調は優れず、熱を出して倒れたり、夜にうなされる日々が続いた。俺は泊まり込んで食事を用意し、汗で汚れた衣服や寝具を洗濯し、体を拭ったりして看病を続けた。
一週間ほどでようやく体調は回復したが、俺たちはそのまま一つ屋根の下での生活を続けた。なぜかそれが自然なことに思えた。俺は自宅に帰ろうとは思わなかったし、ガエビリスも俺がここに留まるのが当然だと思ってるようだった。
貧民街の陰鬱なボロアパートには未練もなかったので、あっさり部屋を引き払った。
仕事がなくなってしまった俺たちは、二人で街をぶらぶら散策し、市場で食材を買い込み、帰宅して二人で料理して食べる、そんな同棲カップルのような毎日を送った。傍から見れば恋人同士に見えたかもしれない。
彼女の家は所狭しと本やら下水生物の水槽やらが積み重なり、二人で暮らすにはかなり手狭だった。いや、あの散らかりようでは一人で暮らすも厳しかったと思う。彼女はこのままでいいと言って乗り気ではなかったが、説得のすえようやく片付けに了承してくれた。
床に山積した書物を書架に収納し、いらないガラクタを捨て、水槽を一つの部屋に集めていくと、これまで覆い隠されていた床や壁が少しずつ見えてきて、どんどん生活スペースは拡大していった。しかしガエビリスは納得いかない風情で、
「こんな部屋、すっからかんで落ち着かない…」
妙に広くなった部屋の中で、彼女は所在なさげだった。
そんなある日、とある部屋の本の山を片づけると、その下から立派なベッドが現れた。こんなものがあったとは思いもしなかった。ガエビリスもすっかり存在を忘れていたらしい。埃を払いマットレスをよく干すと快適に使える状態になった。
その夜から彼女にはそこで寝てもらうことにした。これまでは空いた床の上にてきとうに寝転がって眠っていたのだ。俺はベッドの傍らの床に毛布を敷いて寝ることにした。毛布にくるまり、今にも眠りに落ちそうになっていた、その時。
「ねえ。床は硬いし、こっちで一緒に寝ない?」
ガエビリスが、ベッドの上から小声で呼びかけてきた。
「……あ、ああ。んじゃ、お言葉に甘えようかな」
突然のことに驚き、一瞬で眠気が吹き飛んだ。少し迷ったが、自分に正直になることにした。
俺はベッドに這い上がると、ガエビリスが開けてくれたスペースにのそのそと潜りこんだ。一人用のベッドなので体が密着し、お互いの肌が触れ合う。彼女の体温と、肌のにおいが伝わってくる。上手く表現できないが、甘ったるさと、少し野性的な風味の入り混じった、刺激的な彼女のにおい。
「ベッド、ふかふかだね」
「そうだな。やっぱ片づけてよかったろ」
「…そうだね。ワタナベの言う通りだった」
「もうこれで固い床の上で寝なくて済むな」
「うん。それに、こうやって一緒に寝れるし。…二人だと温かいね」
毛布の下で、ガエビリスの手が伸びてきて、俺の手と指を絡ませた。
そのまま俺たちは手を取り合ったまま横たわっていた。彼女は単に温もりを求めているだけなのか、それともこれは性的な意味合いなのか、判断が付かなかった。俺はこの状況に興奮し、息を荒くしながらも、どう反応していいかわからず、そのまま身を固くして横たわっていた。彼女の手を握る自分の掌が汗ばんでくるのを感じる。
ふと、彼女と目があった。黒いくせっ毛の下から覗く深い青緑色のきらきらした瞳。見ていると吸い込まれそうになる眼。ガエビリスは悪戯っぽく笑うと
「がまんしなくて、いいよ」
その瞬間、これまで俺の中で抑えつけられてきた欲望が爆発した。
彼女を抱き寄せると激しく接吻した。彼女の舌はやわらかく滑らかで、口に中で溶けてしまいそうだった。頬や首筋そして耳に口ずけし、エルフ特有の長く尖った耳の先端を軽く咥えて舌先で弄ぶと、彼女はゾクゾクと身を震わせて悦んだ。お互いに衣服を脱ぎ捨てると、そのまま全身へとキスの雨を降らせていく。彼女の瞳は潤んだ光をたたえ、身体から漂う麝香のような香りが強くなる。火が付いた彼女はむさぼるように俺の身体を求めた。お互いに指で、唇で、舌で全身を愛撫し合う……
その夜は夜明けが東の空が白むまで、俺たちは何度となく愛し合った。
それからは毎日、その狭いベッドで二人で眠り、そして何度となく行為を重ねるようになった。これだけ交わっても俺の欲望は尽きることはなかった。
下水への全面立ち入り禁止で仕事がなくなってたから、昼間は二人でゆっくり町を散策した。この世界に来てから数年になるが、俺がこの街で知っているのは、自宅周辺と作業で訪れたほんの一部だけで、大半がまだ足を踏み入れたことのない未知のエリアだった。二人で毎日違った方向へ出発し、街を探検して歩くのは楽しかった。
いつもはこれといって目的地はなかったが、今日は違った。動物園に行くのだ。
いつものように昼近くに起きだすと、もう一度交わってから、パンと牛乳で簡単に腹ごしらえし、身支度を整える。
今日の彼女の服装は、いつもと違った。ブラウスの上に薄緑のカーディガンを羽織り、下は黒いプリーツスカート、髪の毛を後ろに一つに束ねてポニーテールにしていた。慣れてないせいか、束ね方はだいぶん乱雑ではあったが。しかし、いつもの野暮ったい格好が嘘のようだ。
「どう?似合うかな」
「どうしたのこれ。なんか女の子みたいんじゃん」
「こないだ買ったんだ。…喜んでくれるかなと思って」
「ありがとう。かわいいよ」
意外と女の子らしい服装も合うもんだなと思いながら、惚れ惚れと彼女を眺めた。




