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異世界へ

ランタンの薄暗い光だけを頼りに、俺たちは強烈な異臭と湿気が充満するトンネルを縦一列に歩いていた。生ぬるい汚水の流れが足首を洗い、トンネルからは天井からは不潔な滴が絶えず顔に滴り落ちる。光に驚いた何だかよくわからない脚の多いものが壁を走って亀裂へと逃げ込んだ。


「おい、いたぞ!来るぞ!」


親方の怒号とともに、俺たちはスコップを両手に構える。暗闇の向こうから、巨大なゼラチン状のものがずるずると這いずってくる気配が漂う。さあ、仕事の始まりだ。この世界での俺の仕事だ。何で俺はこんな羽目に陥ったのか。これは何かの罰なのか。





その朝もいつもと何も変わらない普通の朝だった。

携帯電話のアラームで6時半に起床。寝ぼけたまま4枚切りトーストとコーヒーで流し込んだ。ニュースではアメリカで銃乱射事件があり、中東のどこかが空爆されてた。半ば無意識で排便、洗顔、髭剃り、歯磨き、着替えを済ませ、家を出た。


最寄り駅まで徒歩10分。朝から雲が低く垂れこめて陰鬱な空模様で、肌寒い。思わず気が滅入ってくるような、そんな天気の朝だった。


そしていつもの電車に乗り込んだ。空いている席に潜りこみ、鞄から文庫本を取り出し昨日の続きから読み始めた。隣の高校生はスマートフォンをせかせかといじって何やらゲームに興じているようである。向かいの席に座っているマスクの太った男が嫌な咳をしている。しかし俺はまもなく本の内容に集中しはじめ、周囲の人々は意識の上から消えうせた。




何かがおかしいことに気づいたのは10分ほど経った頃だった。

どうやら本を読みながら少し転寝していたらしい。車内は俺一人になっていた。

都心から離れる方向への路線なのでそれほど混雑はしないが、この時間帯でこの状況は変だ。車両故障か何かで途中でみんな下ろされ、俺だけが取り残されたのか。


少し焦りつつも、どうしようもない。ぼんやりと流れゆく車窓の風景を眺める。

大抵は携帯を見てるか、本を読んでいるか、寝ているかなので通いなれた通勤中の風景とはいえ、久しぶりに見る気がする。


それにしても、ずいぶん変わった気がする。こんな風景だっただろうか?

このあたりはたしか密集した住宅街だったはずだが、空き地の中に数軒の家がぽつぽつと点在しているのみ。それにあの丘の上、あんな団地があっただろうか。


それはたしかにいつもの通勤路線のはずではあったが、微妙に記憶との齟齬を来していた。見慣れない建物や地形が見慣れた風景に少しずつ侵入しているようであった。


時間が経つにつれ、違和感はひどくなっていく。

そして、それは突然現れた。

中小工場と埃っぽい下町の風景のど真ん中に、奇怪な石造りの塔がそびえ立っていたのだ。まるで太古の昔からそこに存在していたかのように、どす黒い巨石の塊は周囲を威圧していた。塔の出現がきっかけだったかのように、それ以降、景色は俺を欺くのを止めた。見慣れた家、建物、道路などは急激に姿を消し、全くの異界へと変貌していった。


見渡す限りの穴ぼこだらけの不毛の荒野に、巨大な石塔が点在している。塔の周囲には粗末な小屋のようなものがびっしり蝟集しているが、あれは街なんだろうか。

遠くの崖の上の工場のようなものからは幾筋も黄色い煙が立ち上っていた。

列車は止まらない。

のたりとした赤錆色の広い川の上にかかった長い鉄橋を轟音を立てて通過する。橋脚から黒い大きな鳥が数羽飛び立ったが、あれは鳥なんだろうか。コウモリのような膜状の翼と長い尻尾はどう見てもそうではなかった。川の中州には黒いアザラシのような怪物が長々と寝そべっているのがチラと見えた。


俺は窓外を流れゆく異形の風景をただ茫然と眺めるしかなかった。



列車はトンネルに入った。

景色が見えなくなったせいで、少し物を考える余裕ができた。いったいこれは何なんだ。夢か?それとも俺は発狂したのか?異世界?会社どうしよう。間に合わないぞ。こりゃ遅刻だ。脈略のない思考が脳裏をかすめていく。そもそも戻れるのか。車掌や運転手はどうした。

そう、電車が動いている以上、車掌や運転手はいるはずだ。


俺は先頭車両まで歩き始めた。途中の車両はどれも無人だった。


先頭車両の小窓から運転台をのぞき込むと、人はいた。黒い服の髭面の大男が覆いかぶさるように列車を運転していたのだ。断じて鉄道会社の人間などではない胡散臭い風体だ。俺が運転席を隔てる窓ガラスをこつこつ叩くと、充血した目で関心なさげに一瞥するとすぐに前を向いてしまった。その後はいくら叩こうが二度と振り向かなかった。


携帯を取り出してみるとやはり圏外であった。

打つ手なしの状況だった。

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