第六章 静寂の森 2
見てはいけないものを見てしまった。聞いてはいけないものを聞いてしまった。
「アレは一体なんだい?姫様は一体……」
見張りの交代、それだけの為に戻って来た彼は、異様な光景を目にして立ち止まり、無言の二人を背に音を立てないように細心の注意を払いながら森の中へと戻った。
「ははっ、おかしいな、何も森に戻らなくてもいいじゃないか……」
何も見なかったことにすればいい。ただ冷やかしの言葉と、ユウトに恨み言の一つでも言って交代すればいい。そうすればいいだけのはずなのだが、どうしてもその方向へ足が向かない。
「怖いな……」
森が、ではなくリリィクが怖い。彼女に対して彼は初めてそう思った。
「はぁ、僕には無理だよ……」
何が無理なのか、何もかもが無理なのか、ため息を吐きながらトボトボと彼は歩く。
ふと思う、彼女のどこに惹かれていたのか、と。
出会いは剣の国、カルメア女王にリリィクが剣の手ほどきを受けていた頃。レイピアの名手と呼ばれる彼と互角に渡り合った彼女の頼もしさに惹かれた時が始まり。
さらに思い出す。美しい髪も、吸い込まれるような瞳も、整った顔立ちも、どれも彼を惹きつけるには十分過ぎた。その全てを守りたい。その為にはその頼もしさを凌ぐ強さが欲しい。憧れと好意が混じり合った感情、それが彼の想いの全て。
しかし、先程見た光景はそれら全てをへし折り、そして小さな恐怖に変えた。
「狂炎姫、か……」
彼女の幼い頃の蔑称。彼の知るところでは、リリィクは幼い頃にその炎の力を制御できず三日三晩暴走し続けたという記録がある。その炎は城下町の大半を包み多くの犠牲者を出したという。
今でこそ信頼を取り戻してはいるものの、やはり一部では彼女を危険視する人々が居ることも事実。それ故に攻撃系の魔法が使えない制約を設けたと言われている。彼女が日課としている人々との交流も、根底には疑心を払拭したいという想いがあるのだろう。
「僕はその頃の君を知らない。でも、僕なら受け入れられると軽く考えていたよ……」
きっと僕には無理だ。もう一度諦めのため息を吐いた。
「さ、僕は何も見てないし聞いてない。ああ、無駄に疲れるなんて御免だよ。さっさと交代……」
霧が出ている。うっすらと、しかし確実に濃くなっていくのが分かる。
「この霧……はっ!いけない!姫様とユウトに……っ!」
「行かせねぇよ。」
霧がねっとりと絡みつく。身動きが取れなくなるほどの実体をもって……
「てめぇは此処で寝てんのが正解なんだよ!」
霧が足の形に集束すると共に彼の脚に激痛が走った。
「がああぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫、その霧の足が彼の両脚を踏み砕いたのだ。耐え難い激痛が襲ってくる。それでも彼は這いずって二人の場所へと向かおうとした。
「ほう、そっちの方向に仲間がいるってことだな?」
霧が彼の進もうとしている方へと動き始める。焦った彼はレイピアを霧へと投げつける、が、当然すり抜けるだけだった。
「ハァッ!無駄無駄!この霧四肢のゼフュール様にそんな針みたいなもんが刺さるかよ!大人しく寝てろ!」
直後、後頭部を殴られたような衝撃と共に彼は意識を失った。