第五章 暗闇に眠る 1
かつて異形の者は身を潜め
今長き時を超え日の下へ
認め、あるいは拒み
始まりは二人
あるいはもう一人
第五章 暗闇に眠る
ようやく寝れる。賢者様が用意してくれた寝床に入り体を横たえる。部屋はいくつかあるようで、当然ながら俺たちとリリィク達は別室だ。
「ゼオは……寝てるか。」
昼にアリスの所に行って悲鳴を上げたきりこいつは気絶しっぱなしである。いったい何をされたのやら。
城を出てからようやく一日が経つ。守人から逃げ、クィン・デッドから逃げ、アリスと合流し、賢者様の話を聞き、風呂をご一緒され……。
なんて密度の濃い一日だっただろう。今までここまで濃密な日を過ごしたことはないな。
そういえばリリィクとはほとんど話せてない。寝る前に声を掛けてみようか?いや、その前に俺の身体が限界だ。ぐっすり眠って明日元気に声をかけよう!
「よし、寝るぞ。」
一人呟いて気合を入れ目を閉じる。これだけ疲れていればすぐに眠れるはずだ。
「…………」
そのはずだった。だが、何か言い様のない不安に襲われ眠りに落ちることができない。カーテンの隙間から何かが覗いているような。
或いは暗闇の中から何かがこちらを見つめているような。
その時、ヒタリと頬に手が触れた。
「っ!」
思わず目を開ける。
「……私は……」
月明かりに浮かぶ赤い瞳の少女の悲しげな顔。
「私のことが知りたい。ただそれだけだ。誰かの記憶に私との関わりが少しでもあれば、手掛かりがあればそれで思い出していけると思っていた。
だが、あそこまではっきり無駄だと言われると諦めるべきなのかと思ってしまう。」
ああ、そうか。この子は起きて聞いていたのだ。俺と賢者様の会話を。
「たとえ第三者視点の記憶でも、外堀を埋めて中を満たせば記憶は戻るのではないかと考えてのことだったのだが、本当に無意味なことなのか?
頑なに隠す紅蓮の姫君の記憶や未だ触れ得ない君の記憶には何か隠されているのではないか?あの女の言っていることは本当なのか?」
いつの間にか彼女手は俺の服の襟をつかみ、顔はもう吐息を感じるくらいに近くなっていて、それに合わせて彼女の心の揺らぎも感じられるような気がして……
「本当は全てを知って隠しているんじゃないのか?だったら教えてくれ!……私の名前は何だ?バゼルって誰だ?アルシアはどこに行った?
誰も彼も名前だけが残って姿が無い。……そもそもこの記憶の残りカスは本物か?」
「俺は何も知らないぞ。」
何も知らないのだからそう言うしかない。
「……だろうな。だが、約束は守ってもらう。」
「約束?」
「怪物から君達を守った。記憶は読み取らせてもらう!」
守人の瞳の赤が輝くように深みを増す。その瞳に飲み込まれそうになった時、扉が開いて誰かが駆け込んできた。
「勇人!」
「リリィク!?」
飲み込まれそうになった意識を引きずり出してリリィクの名を呼んだ。なんとか意識を持っていかれることはなかった。
「勇人は!自分の記憶は自分で取り戻します。無理やり呼び起こすことは許しません。」
「くっ、私の邪魔をするな!」
リリィクが何か魔法を使おうとして突き出した細剣を蹴り飛ばし守人が距離を詰める。そのままリリィクを壁に押し付け詰め寄る。
「君も無駄なことだと言うのか!?」
「賢者様は貴方の傷が完治すれば記憶を戻す手立てはあると……」
「見知らぬ奴に強制的に戻すなどと言われて、素直にはいそうですかなどと信じられるものか!」
そこまで言い切ってハッとした表情で後ずさる。
「知っているのか……私は君を知っているのかっ!?」
ゆっくりと開け放されたドアの方を見て、はっきりと突き刺さるように叫んだ。その言葉の先には賢者様が悲しみの表情で立っていた。
「君には……どんなことがあっても忘れないでいてほしかった……です……私のことを…………ミュー……」
ゆらりと、守人が賢者様に近付いていく。俺もリリィクも何故か動けなかった。
「教えてくれ……私は……」
近づきながら手を伸ばす。賢者様がその手を取り祈るようなポーズで自分の胸に当てる。
それは魔法を使う動作ではなく、愛しい人の手を取る時と同じようで、彼女の目からは涙が一筋頬を伝って落ちた。
「君はミュー……私は……アルシア……」
「ああ……ああ、そうか。そうなのだな。そう……そうだとして……私はどうすればいい……私は……私はぁっ!!」
守人が手を振りほどき頭を抱えてうずくまる。
「名前が分かっても、捜していた姿が見えても、結局記憶は戻らない!こんなにも自分のものだと分かるのに、
こんなにもアルシアだと分かるのに!どうして……どうして!」
「……龍死草の傷が癒えるまで待ってください……私にはそれしか……」
賢者様が差し伸べた手は彼女には届かなかった。なぜなら彼女はその手をすり抜けるように立ち上がり、縋る様な目で俺の方に歩き出していたから。
「ただ待つなどと……そんな事が出来るものか。少しでも早く戻る可能性があるなら私はそれに縋る。
たとえ誰かに否定されようとも、誰にも認められなくとも!誰もが正しくないと言い張ったとしても私が信じている限りは!」
瞳の色が再び深くなる。それに呼応するように意識が引きずり込まれていく感覚が襲ってくる。
「くぅっ!」
「勇人!」
リリィクが素早く剣を拾い俺の方に剣先を向けて障壁を張ってくれる。それでも意識が引き込まれるのを感じる。抗えないほど大きな力だ。
「ミュー!」
守人を止めようと賢者様が駆け寄ってくる。が、それよりも早く小さな何かが守人の視線の先に割り込んだ。
「ルー!」
リリィクが叫ぶ。影の正体は頭に角の生えた人形。さっき会ったばかりだから見間違えるわけがない。
「くっ!また邪魔をする気かルーデロッテ!?」
また、という言葉が気にかかった。そういえば最初に森で守人に出会った時にもこんな風に小さな影が彼女の動きを遮ってくれていた。あの時もこの人形が……
そこに考えが至ると同時に引きずり込まれる感覚が途切れた。これがこの人形の能力かと思ったが、どうやら違うらしい。
守人の目から光が消え、虚ろな瞳で宙を仰いでいる。
「こんな、時に……限界……か……」
スッと目を閉じ床に崩れ落ちる。
「助かった……のか……」
「ええ、彼女が早く記憶を取り戻したいと願った分、エーテルが回復を優先したのでしょう。眠りに落ちた方が回復の度合いが大きいことが幸いしました。」
賢者様が守人をそっと抱き上げ悲しそうな顔をする。
「勇人、無事ですか?」
「ああ、大丈夫だ。」
心配そうに駆け寄ってくるリリィクに精一杯の笑顔で答える。
「…………」
「ん?ああ、ありがとう。二回も助けてもらったな。」
下から視線を感じて一応お礼を言う。
「ルー、勇人を助けてくれたのですね。ありがとうございます。」
小さな人形は照れたように顔を背けてしまった。
「さあ、皆さんお疲れでしょう。この子は私が見ておきますからゆっくりとお休みください。」
「……勇人、何があっても私が守りますから安心して眠ってください。それでは……」
守人を抱えた賢者様と、その後に続いてたリリィクと人形が部屋から出ていく。その時のリリィクの笑顔、何か違和感のようなものを感じたが、今はそれを突き止めるよりもゆっくり眠りたかった。
「ふう、それじゃあ寝るか……なあ、ゼオ?」
隣のベッドがビクッと動く。
「な、何だい?いいいきなり声掛けるからびっくりして目が覚めてしまったじゃないかあははは……」
まったく、あれだけドタバタしてたのに目が覚めなかったってなら相当肝が据わってると褒めてやるところだが……
「ほう、ずいぶん変った寝方をするんだな。」
守人が来る前は頭からすっぽりと布団をかぶって山になり微動だにしない状態で寝てるようには見えなかったんだけどな。
「くっ、僕だって自分が情けないとは思ってるんだ!でもさ!……でも、あんなのに僕が敵うわけないだろう……」
「……すまん、寝ようか。」
愛しの姫様が奮闘しているのに何もできなかった自分が許せない。そこをからかうのは軽率だったか。
「……ユウト、僕は強くなりたい。だからさ、姫様と君について行くよ。カルメア様とユリアル様だってあそこに残してきたままなんだ。
守るべき主君とその御息女なのにさ。僕が強くなって二人を助けたら、姫様もきっと僕を褒めてくれるよね?」
「ああ、そうだな。」
「……ありがとう。さあ、明日に備えて寝ようじゃないか。ああ眠い眠い。」
結構気絶で寝てたじゃないかとは言わないでおいた。
もう月がだいぶ傾いた。早く寝てしまおう。先程と違って目を閉じれば眠りに落ちるのはあっという間だった。