第四章 開かれた空間
ある者は頭に角を
またある者は長き尾を
翼持つ者、爪鋭き者、目の数が違う者
それぞれがそれぞれに
人としての姿のまま
異形を持たされた
彼らは自らを『鬼人』と呼んだ
第四章 開かれた空間
「はぁ……」
いい湯だな……
「はふぅ……」
風呂は良い。体だけでなく心の疲れまでも溶け出して行ってしまう。入るまでは何でこんな物造ったんだろうと思っていたが、実際入ってしまえば気にならない。
「ああ、何も考えたくないぃ……」
賢者様の詰め込み学習を終えた俺は促されるままに露天風呂に入っている。昔から風呂に入るのは好きだったが、ここまで疲れてから入ったことはなかったし、何より今日は月も出ていて最高の気分だ。
ティアドロップの心配もないらしいし、このまま朝まで入りっぱなしでもいいくらいだ。こんなにも広い風呂に俺一人なんだから。
そう、一人なのである。あまりにも広いから無意味にど真ん中に座ってみたりしているくらい一人なのである。
女性陣は先に入ってしまったし、ゼオは目を覚まさない。伽の守人は起きてまた寝てしまった。
「自由だ!俺は今自由を噛み締めているんだ!」
意味も無く叫んでみる。もちろん誰も答えな……
「いや、意外と誰か居るもんですよ。」
「そんな馬鹿な!?」
急に背中から声をかけられて驚いた。その正体を確かめるべく振り向いて、何か見てはいけないものが見えたので首がもげるんじゃないかと思うような速度で顔を正面に戻した。
そして、頭に乗せていたタオルを迷うことなく腰に巻いた。
「おや、どうされましたユウト殿?」
「どうもされてません!」
後ろに立っていたのは一糸纏わぬ(目はしっかり隠してる)アリスさんでした。
「はぁ、そうですか。私は賢者様からそこの人形モドキの入浴を頼まれて来たんですけど……ご一緒しますよ?」
俺の返事を待たずズカズカと俺の前方にある茂みへと歩いて行く。俺は天を仰いで耐えることにした。ガサガサと茂みを漁る音だけが響いている。
……ああ、月が奇麗だな……
「ユウト殿ユウト殿、こいつです。」
……天は俺を見放した……
「ユウト殿?なんで泣いてるんですか?」
何故わざわざしっかりと見える位置まで来るのか……
「……隠してくださいお願いします……」
目を閉じ涙を流しながら懇願した。正直見たくないわけじゃないが、ここまで大っぴらにされるとこっちが恥ずかしくなってしまう。
「めんどくさいじゃないですか。それよりもこいつですよ!」
うっすら目を開けるとアリスの右手につかまれた大きな何かが蠢いているのが見えた。
「ああ、なんか動いてるな。」
「何で薄目なんですか……」
何でそんなに不満そうな顔をするのか……
「もしや、ユウト殿は女性の裸を見る機会がそんなに無かった感じですか?」
若干の遠周りで「経験無いんですか?」と聞かれてるようで心が痛くなった。確かに無い。
「いや、べつに!なかったわけじゃないけどもさ!ほら、でりかしーっていうかさ!みせないこともときにはたいせつ?みたいな!みたいな!!」
だが、それを素直に言えないのも男の悲しい性かもしれない。
「お、落ち着いてください。意味分かんないですよ?」
「隠して。」
「はぁ……ちょっと待っててください……」
アリスはものすごく深いため息をついて脱衣所の方に消えると、腰にタオルを巻いて意気揚々と戻ってきた。
「全部隠せっ!全部っ!」
しぶしぶと戻っていく。うん、無いわけじゃないんだな。
「なんだ、しっかりと見てるんじゃないですか。じゃあ、隠さなくていいですね。」
戻ってなかった。
素早く俺は顔にタオルを巻き付けた。もうこんな隠し事もできないような顔は封印するしかない。今がその時だ。
「そんなことしても苦しいだけですよ?もう諦めてください。」
優しくタオルを剥がされてしまった。
「まあ、とりあえずこいつですよ。」
観念して目を開ける。アリスが自分の頭を指さしているのが見える。
さっきまで彼女が手に持っていた何かは彼女の頭の上に居た。頭に角の生えた人を模したと思われる少し大きめな人形。
その瞳がじっとこちらを覗きこんでいた。
「ふうん、人形の入浴なんて賢者様も不思議な事をするんだな。」
あれ、でも何で茂みの中にあったんだ?風呂に入れるくらい奇麗にしたいのなら置き忘れたとかはないだろうし、この風呂の守り神みたいな?
いや待て、そもそもこれさっき動いてなかったか?人形って自分では動かないよな……
「……生きてる?」
誰も答えない代わりに人形が軽く頷いた。
「私もよく知らないんですけど、聞いた話によると元々人だったみたいですよ。で、姫様の持つ力に恐れを抱いて人形化の魔法を使ったところ、逆に姫様の反射魔法に跳ね返されてこの有り様だとか。
でも、姫様に魔法をかけようだなんて無謀ですよ。何せ防御魔法のスペシャリストにしてマジックキャンセラーの持ち主なんですから!」
アリスが得意気に語る間も人形はじっと俺を見つめ続けて、少しだけ首を横に振った。
「なんか違うみたいだぞ。」
「だから、よく知らないって言ってるじゃないですか。……それっ!」
小さな抵抗を示す人形を掴むと、アリスは問答無用でお湯に突っ込んだ。当然暴れる。
「おい、大丈夫なのかそれ?」
「呼吸なんてしてないですから大丈夫ですよ、きっと!」
アリスの根拠のない自信によってより深く沈められていく人形……。これは入浴じゃないな、うん。
「浸かればいいんですよ、浸かれば。ほら、奇麗になっ……痛ったぁっ!」
人形をお湯から引き揚げて満足そうに笑顔を浮かべようとした瞬間、人形はするりと彼女の手をすり抜け腕を駆け上がり顔面に頭突きをした勢いでくるりと回転しながら頭の上に立った。
「おお……。」
俺が感嘆の声を漏らすと、人形はブルブルと犬のように水切りをした後こちらに向かってVサインをした。そして、表情が変わるはずのない彼女の口の端が微かに持ち上がったように見えた。
それが見間違いかどうか確認する暇もなくアリスの頭から飛び立つと彼女は森の中に消えていった。
「ああっ!こら、これじゃ私が二度風呂しに来たの無意味になっちゃうじゃないですか!」
アリスの叫びに森はざわめくだけだった。
「……はあ、まったく……。」
ため息をつきながら俺の隣に腰を下ろす。
「このまま上がるのもなんか悔しいので、ユウト殿の話し相手にでもなりますよ。ほら、何か話してください。」
控え目な胸は晒したまま、気になって仕方がないがどうせ隠す気はないんだろう。せっかくの機会だし、前回みたいに地雷を投げ込まれたり踏んだりしないように注意しながら何か話してみるか。
……決して邪な気持ちはないぞ……
「ははぁん、ユウト殿はそういう……。」
「そっちは向いてないからな。」
アリスに背を向けて座り直す。
「ふぅむ、ちょっぴり残念です。」
全然残念そうに聞こえない。この娘は露出狂か何かか?と、失礼な考えが浮かんでしまう。
「まあ、それはどうでもいいです。ほら、さっさと何か話してくださいよ。」
勝手に居座っておきながらなかなか図太い神経を持っていらっしゃる。
「ん、そうだな、それじゃあアリスがバーゼッタでリリィクを護衛してる理由とか聞いても良いか?」
「なるほど、まずは私から情報を得て徐々に距離を詰めていこうと……。」
「自慢じゃないが結構距離は詰まってると思うぞ。」
「あぁ、うん、そうですね。正直私よりも近くなってる気がします。
べっ、別に妬いてるわけじゃないんだからね~。」
ケラケラと笑いながら棒読みでツンデレにありがちな言葉をのたまう。
「全然妬いてそうには聞こえないな。」
「えぇ、そんなもんです。だって姫様からユウト殿のことは聞いてましたから。」
これはまた唐突に過去のネタばらしとかされそうだ。
「そうか、ところで話を元に戻そうか」
華麗な話術でさりげなく誘導、やればできる。すごいぞ俺!
「あぁ、過去話は避けたい感じですか。」
……あれ?誘導出来てない……
「えっと、私が姫様の護衛をしている理由でしたっけ?うぅん、簡単に言ってしまうと私と姫様の歳が近くて話が弾んでるのを見たガルオム様が護衛でもやっちまえよって言ったのがきっかけです。」
「うん、簡単且つ何故か物凄く納得できる話をありがとう。」
あの王ならやりかねないと納得してしまうのが怖いところだな。
しかし、アリスとリリィクの年が近いというのは驚きだな。背も低いし体型も、その、スラッとしてるし、見られても気にしないとかもあってもっと年下だと思ってたからな。
「ユウト殿、私泣きますよ?」
「えっ!?あっ……すまん……」
どうやらまたしても顔に出ていたようだ。ホント便利だな俺の顔。……というか、いつの間に前に回り込んだ……
「はぁ、なんだか将来ユウト殿は言葉を無くして表情だけで生きていくような気がしてきますよ……」
「それは嫌だな。」
少し便利かもしれないと思ったが、たとえ伝わるとしても自分の口で話すようにしよう。想像すると気持ち悪いし。
「とりあえず話戻しますね。」
「ん?ああ、簡単じゃない話?」
ついでに俺も背中を向けた体勢に戻っとこう。
「そんな感じです。私がバーゼッタに来たのは目がこうなったからなんですが……」
そう言いながら両目を覆う包帯を指さす。
「失明してるわけじゃないんです。でも、ちょっと人には見られたくない状態になってるんです。
ある種呪いのようなものなので、それなら一番手掛かりがありそうなこの国にということでやってきたのが三年前……」
ふぅ、とため息を吐いて天を仰ぐ。
「結局そんなの見つからなくて落ち込んでたときに声をかけてくださったのが姫様だったんです。
……ちなみに、歳が近いって知った時の姫様もユウト殿みたいな顔してましたよ。」
それはなんだかごめんなさい。と、謝らないといけない気がしてくる……
「それからしばらくは二人でなんとか視覚を得る方法をを模索しました。
そして、ふとしたことでアルトラ様とお会いして外部に視覚を構築する術を教えてもらったんです。」
そういえばあの娘も目を閉じたままだったな。
「リリィクと一緒に居たから会えたということか。」
「はい、私一人じゃどう足掻いても神殿まで行かせてもらえないですからね。あわよくば守護龍様にもお会いしたかったんですけどそれは叶いませんでしたね。
まぁ、そんな感じで姫様にはどれだけ感謝してもしきれないんですよ。」
あ、もちろんアルトラ様にもですよ。と、付け加えながら本当に嬉しそうに話す。
そして、おもむろに立ち上がる。丸見えである。何故だ、何故前に回り込んでいる。
「と、まぁ以上が私と姫様の出会いとかですね。さてっと、のぼせたくないから上がりますね。」
「唐突だな……」
「あ、まだ見たかったですか?」
ニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「断じて違う。ともかく、俺はもう少ししてから上がるよ。」
「あぁ、ユウト殿は今……あれ?まぁいいや。」
一瞬不思議そうな顔をしたような気がしたが、何分口元しか見えないので気のせいかもしれない。
「そうそう、明日は昼前には出発しましょうね。一度森の南部に下ってから、海岸線を通ってロワール山岳手前まで行く予定です。
日が暮れるころには野営の準備を済ませておきたいですから。それじゃ、失礼します。」
早口で明日の予定をまくしたてて怪しい笑顔で去っていく。まったく、今さらだが風呂ぐらいゆっくり入らせてくれ、と心の中で愚痴っておいた。
「はあ、アリスか……」
結構なマイペース具合にぐったりしながら彼女に剥ぎ取られた後漂っていたタオルを掴みそれで顔を拭う。
「ふう……ん……タオル……?」
そういえば俺、タオルは一つしか持ってきてなったような……
ふと、アリスの去り際の言葉が頭をよぎる。
「あぁ、ユウト殿は今……あれ?」
……違う、違うんだ。ただもう少しゆっくり温まりたかっただけなんだ。だからもう少ししてから上がるって言ったんだ。
ほら、その証拠に違っただろう?ああ、だから一瞬不思議そうな表情をしたんだな。うん……
「忘れよう……ここであったことは全て……」
風呂から上がり脱衣所に向かいながら何気なく奥の茂みを見る。
「……茂みの中にいつから居たのか……」
余計な疑問が浮かぶ前にさっさと着替えて寝ようと思った。