そしてトイレは、友情のハッテン場と化す
人は誰でも自分で歌を作ったことがあると思う。歌と言ってもたいそうなものでは無く適当なメロディーに適当な歌詞をくっ付けた戯れ歌だ。かくいうオレも持ち歌がある。これはトイレに行くときに歌うものだ。
題名、トイレのラップの神様。
「YO、YO、トイレトイレ、先生トイレ。トイレトイレ、先生トイレじゃなーいですー。限界値を知らないオレの膀胱ー。しかし迫りくる尿意の猛攻ー。YO、YO。そこ退けYO、オレが先に用を足すんだYO、SAYHO」
心地よく歌いつつトイレに入る。青いタイルが貼られ綺麗に清掃されている男子トイレ。中ほどまで進むと横に並ぶ便器の一番奥に見知った顔があった。
そいつはオレに手を上げて挨拶してきた。
「よお、道後」
神経質そうなスリムフレームの眼鏡をかけている。そいつは髪がなかった。
「髪がないんじゃなくて、こういう髪型なんだよ!」
と言いつつオレの肩をはたいた。汚いな。そいつから一個離れた便器の前でズボンを下す。こいつの名は中ノ瀬。オレの数少ない友人の一人である。もちろん男だ。
中ノ瀬はこっちを見ずに口を開いた。
「おい道後お前噂になっているぞ」
「え? 噂?」
「昨日、お前のクラスにいる……えーと、夕浜さんとお前が一緒に帰っていたって。ほんとかよ?」
額に手を当てて嘆きたい気分であった。目立つのは勘弁願いたい。
「まあ」
「えーっ、なんで? 夕浜さんって喋ったところすら見たこともないってのに」
まさかお菓子を盗もうとしていたところを写真撮られて脅されてるんだ。と言えるはずがない。どうしようかと苦慮していると中ノ瀬はもしかしてと言った。
「お前、夕浜さんと付き合ってるのか?」
小学生と思考回路が同じだぞ。
「違う、昨日は……夕浜に勉強教えてもらってたんだ」
「あ、なんだー。先越されたと思ったよー。どちらにしろあの美少女学生の夕浜さんに教えてもらうなんて羨ましいぜ」
まあもし本当に勉強を教えてもらうといった青春イベントだったらオレももう少しテンションが高いだろうな。
中ノ瀬はズボンのベルトを締めると手洗い場の方へと行った。水が流れる音に混じって声が聞こえる。
「でも、夕浜さんってアレだよな。お前気を付けた方がいいかもよ」
「気を付けるって何をだ」
「夕浜さん不良を絞めてるとか言う噂があるからさ」
……、それは噂ではない。
「ま、それだけよ」
中ノ瀬は捨て台詞を残すとトイレを後にした。
〇
今日夕浜氏は学校に来ていなかった。
右の方を見ると彼女の席はぽっかりと空いている。
しかしこれは珍しいことではなかった。夕浜はこうやって学校を休むことがしばしばあったのだ。普段ならクラスの一員である彼女の体調を心配するところだが――今日に限っては、悲しいかな、すこしほっとしている。
シャーペンの付属消しゴムを綺麗にしながらうつらうつらと授業を受けていると後ろから衣川が語りかけてきた。
「なあ、道後」
オレは教師に見つからないために振り返らずに答える。
「なんだ」
「君の噂が流れているみたいなんだが、知ってるかい?」
首元に息がかかる。
「オレが夕浜と一緒に帰っていたってやつか」
「うん。ほんとうかい?」
中ノ瀬と言い何故そんなに気になるんだと思ったが、目立たない地味男と不思議美少女が一緒に歩いていたら知りたくもなるかと考え直す。
「本当だよ。勉強を教えてもらったんだ」
「…………へー…………そっか」
セリフの続きを待ったが衣川は話しかけてこなかった。オレは後ろを振り返る。衣川は机に突っ伏していた。
「もうリタイアか?」
「……うん」
「珍しいな、大丈夫か?」
肩をゆする。彼女の頭頂部が左右に揺れた。
「やめ、てくれ」
と嫌がるが顔は上げない。黒目を後ろにやると教師が怪訝にこちらを見ていた。
「やばい、先生に怒られるぞ、起きろ。ハリーアップ」
「僕は眠い」
なぜか頑なに衣川は顔を上げようとはしなかった。オレとしては友人のことを思って後ろを向いていたのだが、傍から見ればオレの方がふざけているように見えたのだろう、名を呼ばれ注意された。