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AM 11:13


左手、右手、左手、右手、左手、右手……


蛇の如くぬるぬると這って行く。

体をくねらせて前へ前へと進む。いや実際にはくねらせられるほど隙間はないのだがそうしないと進まないのだ。肺が苦しかった。気体を体内に取り込むたびに頭部の核が溶け始めているのではないかと思うほどであった。


管の突き当りに出た。下を見ると落とし穴のように暗闇が伸びている。底は見えず巨大な生物の食道を覗いている感覚に陥った。首を振り心を落ち着かせる。オレは徐々に身を滑らせていった。腰の機械を操作してボタンを押すとワイヤーが伸びるようにした。頭が下になって足が上。操作をミスれば三秒で臨終だ。Eの字のように降りて行くにつれ横に伸びる管が出てくる。だがまだだ。頭の中の配置図では後四つ行ったところの管。一つ……二つ……。ボタンを押して、離してを繰り替えす。体がガクガクと揺れる。目標の管が見えた。右手をつぱって上半身を押し込む。下半身。


「――っ……はあ、はあ」


汚い空気で脈を整える。死なずに済んだ。


AM 11:17


迷路のような管を記憶を頼りに辿って行った。ワイヤーは樹海の辿り紐の様なものだ。これがなくなったら人生が消えたも同然。それに道順を間違えればそこで方向が分からなくなりデッドエンド。


「はっ――はは」


妙な笑いが込み上げてきた。気が触れた訳ではない。なんだが滑稽に感じたのである。学校行って、飯食って、勉強して寝て――そういう風に今まで過ごしてきた己自身に。

「オレ」はスリルを味わってしまった。帰れないかもしれないな。


AM 11:18


目的の場所に着いた。

前を見る。先ほどのようなファンがあった。しかしさっきと違うのは回転しているという事だ。明暗明暗と下から漏れる光で管内が点滅する。おそらくファンに直接触ると指がはじけ飛ぶであろう。

鞄を顔の前まで持ってくる。その作業も億劫なほど狭いが無理やりねじ込む。チャックを開いて中からガスマスクを取りだした。二つのガラス穴と口部が奇妙に突出しているマスク。慣れない手つきでそれを顔面に装着した。さらに催眠スプレーを取りだした。スプレーのノズルを伸ばして換気扇口に近づける。迷うことなく人差し指を強く押した。白霧がファンへと吸い込まれていく。

そこからはしばらくの間じっとしていた。腕時計と睨みつける。動くことなく静かに息を潜める。

一分が経った。

鞄からパイルショットを取りだす。狙う先は回る扇羽の向こうにわずかに見え隠れする電源コード。


一つの仮説であるが、宇宙物理学では宇宙の起源はビックバンによって出来たとされている。水素とヘリウムが合成して広がって行った。太陽系は広大な宇宙――光速以上の速さで約百三十四億年広がり続けている――の数ある銀河のひとつである天の川銀河に属している。天の川銀河の中のさらに極小な空間、太陽系内のわずかな空間にある地球、さらに地球の中の日本に生まれる確率。それを考えれば俺は奇跡の塊だ。


コードに釘を刺すなど造作もないだろう。


AM 11:21


釘は当たりファンは止まった。時間はあまりない。急がねば。先ほどと同じような手順で換気扇を解体していく。出た残骸を穴の向こう側に置いた。俺はまず顔だけ出して下を覗いた。

無音の空間。

青白く狭い部屋。

床には二人の警備員が不自然な恰好で横になっていた。

彼らの隣には転げている椅子がそれぞれ一脚ずつある。椅子の上にはたくさんのモニターと操作パネルがあった。

よし地下管制室だ。

道順は間違っていなかった。

穴から這いずるように出てゆっくりと床に着地した。ズボンに隙間を作り腰を見ると皮がはがれて血が滲んでいた。だが痛がっている時間的余裕はない。一応警備員の瞳孔を確認する。モニターには建物内部の随所映像が流れていたがこれは真千さんがハッキングによって書き換えている映像である。オレは部屋を一度ぐるりと見渡す。後ろにエレベーターの扉があった。これは一階のホールから続くエレベーターではない別のところからくるエレベーターである。

つまり一時保管金庫室に通ずるための専用のエレベーターである。ならもちらんもう一つ扉がある。

前を見ると割と重い印象を与える扉があった。俺は近づいて開く。開いた先はやはり青白い廊下が伸びていた。距離にして二〇メートルほど。その先にあるのは鉄製でできた重厚な円状の扉。


金庫だ。


一見大型冷蔵庫のそれに見間違うが明らかに違うところがある。扉の真ん中にモニターが付いている。

管制室から足を踏み入れる。硬質な床に自らの足音が反響した。一歩二歩と歩みを続けていく。

なぜかグリーンマイルを歩いているような気がして笑みがこぼれた。

扉の前に着いた。見上げる。鉄製の扉は縦横四メートルほど。右側には大きい取っ手が付いていた。扉は巨大で押しつぶされそうな威圧感を持っていた。


「この先に」


この先に四億円が横たわっているはずである。もうここまで来てしまったのだ。選択肢はただ一つ。やるのみ。そして成功させる。今更止めようなんてことはできない。

扉の前で目を閉じた。瞑想をする。


「……」


やろうか。モニターに手を触れる。するとパッと画面に緑のバックライトが点灯した。


『HELLO 

 THIS IS SECURITY SYSTEM

 YOU HAVE TWO CHOICES

 1.CODE INPUT MODE

 2.TEST MODE

 PLEASE TOUCH 「1」OR「2」……』


羅列する英語文字。簡潔に訳すると1は暗証番号入力、2はテストモード。1か2を押せという事。だが俺が押す方はもう決まっている。

人差し指はゆっくりと2の上に近づきそして画面に触れた。


瞬間。


カシャと音をたててモニターの下から何かが飛び出した。画面の下から舌のようにとび出でているのは1から9の数字パネルが付いた銀色のキーボード。顔を上げる。

文字列が新しいものへと切り替わった。一文字ずつ浮かび上がって行く。


『OK

 YOU CHOICED TEST MODE

 TEST MODE IS SO HARD

 THE TEST WILL START 10 SECONDS LATER

 GOOD LUCK……』


10秒後にテストが始まる。

画面の文字が消えた、と思ったら代わりに画面全体を使った大きな数字が表れた。


10


自らの手のひらをこすり合わせて祈るように眼前に持って行った。皺の間に汗が滲みその感覚が焦燥感と不安を駆りたてた。大丈夫だ、きっと成功するはずだ。平々凡々に生きてきた「オレ」の唯一の長所。ここで失敗すれば本当の意味で地味でダメな高校生道後鉄となってしまう。自らの劣等感を裏打ちするかのような生活環境。このテストを成功させることとは関係ないように思えるがたぶん見えないところでリンクしている。だからこそ失敗は許されない。



と言ってもそれがすべてと言うわけではない。好奇心がある。賭博ジャンキーのような狂気に満ちた一面が己の内でくすぶっている。なぜ夕浜にそれが分かったのだろうか。俺ですら気づかなかったというのに。やはり彼女はミステリアスに満ちた女子だ。



四億円が手に入ったら何に使おうか、いや山分けするから3000万か。いっそのこと偽善に満ちてすべて募金するのもいいかもしれない。それとも実物資産として(きん)でも買おうか。枕カバーの下に一万円札を詰めに詰めて日曜の朝二度寝するのも悪くないかもしれない。もしくは変態の称号が付いた教室で机、椅子を純金製にするのも良いかも。発想が貧弱か。意外と衣川や中ノ瀬に昼飯をおごってやるのが関の山かもしれないな。



中学の頃に受けた珠算大会を思い出す。あの時は妹と母親に脳を働かせるには糖分が欠かせないと言って大量のチョコを食わされたのを覚えている。その時が原因で甘いものが苦手になったのだが。大会で優勝したのはそれのおかげかもしれない。甘いものが少しほしい。そうだなグミグミ太郎がちょうどいい。けどそれも、


「こいつを終わらせてからだな」


俺は目を吊り上げ画面のみに集中した。まったく数独好きの頭取とはご都合過ぎる。



画面が切り替わり数独表が現れた。

江田宗二が新たに加えたセキュレティ、テストモードとは数独表であった。

九×九のマス目の数独表である。

タイムリミットは二〇秒。表にはA、B、Cと書かれた空端のマスがありそこに当てはまる数字をキーボードで入力するようになっていた。

つまり二〇秒以内にこの数独表を解かなければならないという事である。

瞳を縦横無尽に動かして脳を稼働し始めた。縦列を見る。表を瞬時に記憶し脳内で展開して一つずつ数字を当てはめて行く。3、5、6――いや1、6……。

まさに修羅の勢いで俺は計算していった。呼吸はしていない。瞬きもせず次々と数字を入れていく。間に合うか。Aが出た。

残り十四秒。唇を噛んで食い入るように画面を睨む。こめかみから流れた汗が小鼻の脇を流れて口端に沈む。目を細めて全霊を込めて計算をしていく。くそやばい。

この作業はばらけたパズルのピースを高速ではめ込んでいくのと似ている。手が震える。急げ急げ。鼻の奥がつーんとして涙が出そうになった。二十秒を超えると警報装置が鳴る。


「……っ」


Cが出た。


八秒……っ。唇を強く噛み過ぎて血が滲んできた。両手を扉に押し付けて覗き込むように画面と顔を近づける。4、9、7、8……。間に合え間に合え。くそ早く、もっと早く。


このセキュリティシステムを考えた奴は馬鹿だ。


どうせなら時間を三秒くらに設定すれば良いものを半ば二〇秒なんて設定するから狙われるんだ。俺は顔を上げてキーボードに数字を叩きこんだ。

キーボードに手を置いたまま成り行きを待った。しばらくの間モニターは何の変化も見せることはなかった。だが次の瞬間、ピーと軽い電子音が鳴って画面が数独表から切り替わった。

『CONGRATULATIONS!

YOU COMPLITED 

OPEN THE LOCK OF DOOR

PLEASE WAIT……』

ガチャン

家の玄関扉を開錠するときとは比べ物にならに程の重くそして鈍い音が伝わってきた。その音はまさに重荷を肩からおろしたときのような開放感を俺に与えた。


「……」


マラソンを完走した時やテストで一位を取った時より気持ちがよかった。心地がいい。陽だまりに手をかざしたかのようだった。

ふと円状の扉が動いたように感じた。俺を誘っているかのように。

扉の全面には開けるためのハンドルの取っ手がついていた。事前に憶えてきた金庫の開け方を思い出す。取っ手に手を掛けてゆっくりと右回しにひねって行く。ギリリと金属がこすれる音が廊下を走っていった。一回転二回転と徐々に回していく。銀色の扉が手前側に浮き出てくる。ゲームで宝箱を開けるときより興奮していた。一秒が濃縮されてとてつもなく長い時間取っ手を回しているような気がした。心奥のわだかまりを回して外そうとしているかのように。じっくりと少しずつそれは外れて行った。

そしてついに取っ手を限界まで回した。扉は完全に手前に浮き上がっている。オレは取っ手を両手で持ち体を傾けて全体重をかけた。左へと扉を引っ張って行く。はじめは重く動かなかったが力を加え続けるとゆっくりと動き始めた。扉を左端まで持っていきオレは一歩下がって目の前の光景を見た。

眼前にはあった。


金だ。


金庫の中は扉と同じ銀色で統一されていた。上下左右すべて銀色。中にはステンレス材の棚が壁に伝うようにして生えていた。意外と狭かった。大きさにして六畳間くらいであろうか。冷たく鋭利な印象を受けた。そして真ん中にはあった。先ほどの頑丈なケースが台の上に乗っていた。その中にあるのは四億円。


よろよろと俺はそれに近づいて行く。ケースは厳然として目の前にあった。鍵が付いている。そうだ鍵を取ってこなくてはならない。俺は走って管制室に戻った。部屋を物色して鍵を探す。鍵は部屋の壁にあった鍵かけの一つにかかっていた。そいつを持って再び金庫室に戻る。ケースに鍵を差して中を開いた。


「……金だ」


銀行員はよくお金がお金に見えなくなってくるというが何となくその気持ちがわかるようであった。札束が詰まっていた。一ミリの隙間もなく一万円札で埋まっている。

俺は呆然と銀行の地下と言う場所で一人立ち尽くしていた。


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