そして心は、奪われる
更新遅れました(-_-;)
「まずはお礼を言います。助けていただきありがとうございました」
夕浜は綺麗なお辞儀をしてきた。
「……別にいいよ」
太ももを摩る。机をなぎ倒したとき痣になったかもしれない。オレは階段に腰をかけて大きくため息をついた。
あの後、誰が通報したのかどこからともなく現れた国語教師と数学、体育教師により我が身柄は拘束された。教室から顔を出してその様子を見ていた中ノ瀬のメールによるとオレは「助けるんだ!」などと叫んでいたらしい。らしい、というのは記憶がない。アドレナリンが過剰分泌していたんだろう、そう考えたい。だがもしあの行動が内なる欲求による表れ――つまり、おもむろに女子を追いかけまわしたいという欲求――だったとしたら自分でも恐ろしい。斉藤が目じりに涙をためて化け物にでも襲われたかのように怯えて見ていたあの視線は今後三年、忘れられそうにない。
教師につかまったオレは指導室に連行されて小一時間しょっぴかれた。「お前はなぜあんなことをしたのか?」その問いに対してオレは「衝動的にやってしまった」という通り魔的な犯行動機を述べた。本当のことを言って無罪放免になるわけでもないと開き直ったためである。
その後授業に参加させてもらえず頭を冷やせとオレは帰宅命令を勧告された。そうして今後の学校生活を憂いながら階段を下りているとなぜか夕浜が立っていた。で今に至るわけである。
「いえ本当に。もし道後君が助けてくれなかったら配置図が見つかっていました」
「まあそうだけど。はあ……。ああもう」
オレは頭を抱え込んだ。クラス内ヒエラルキーなんて馬鹿バカしいと思うが、今回のことでオレは最下層へと躍り出たことであろう。一介の地味高校生が突如変態の――妹が言う変態とは一線を画した――称号を得ることになるはずだ。なにがいやっほーだ、死ぬか。
と目の下に隈を作っていると、ふふ、と小さな笑い声が聞こえた。顔を上げると夕浜が口元を押さえて笑みを作っていた。
例の邪悪なものではない。仲間内でふざけ合う時のような無邪気な笑みであった。
「ご、ごめんなさい道後君でも。ふふ、あの時の道後君可笑しくて」
さぞかし可笑しかったであろう自分でもそう思う。顔面に不満の色を浮かべて肩を落とした。
「しょうがなかったんだよ。あれしか思いつかなかった」
「いえ、ど、道後君の判断は正しかったと思います」
夕浜は冷静を保とうとしているが若干声が震えている。顔が笑いをこらえているためか赤くなっていた。
「あ、あの時斉藤さんに地図を見れていたら……ふふ、お、おそらく計画は中止になっていたと思うので、本当に、ほ、本当に感謝しているんです」
「はあ、じゃあ結果オーライなのか」
「は、はい」
そうか。つまり我が尊い犠牲により五嶌銀行強盗計画は無事守られたというわけだ。悔いはない。
オレは立ち上がると鞄を背負いなおした。
「じゃあ帰るよ。今日は特に指示なかったよな」
「は、はい。自宅で休養していてください」
「そっか、なら授業頑張ってくれ」
と手を振って階段を下りる。家に帰ったら寝よう。小学生の喧嘩のように一晩経てば皆も忘れて丸く収まるさ。そう楽観希望的に考えながら階段を半ばまで降りた時、後ろから涼やかな声がかかった。
「道後君」
振り返る。夕浜は横髪に手をかけてオレを見下ろしていた。窓から光が差し込んでいて頬を白く照らしている。その表情は、今までの、どの、表情より、やわらかいものであった。暗黒微笑でもなくかといって普通にほほ笑んでいるわけでもない。緊張が解けたというか願いがかなったというかそんな温かみに満ちている、笑みであった。
――不覚。
油断をしていた訳ではなかった。
夕浜が綺麗な女子で目を奪われるほどの容姿をしていることを忘れていたわけではなかった。むしろ忘れられる訳がないし堅牢かつ厳重にその事実は脳内にインプットされていた。だが完全に意表を突かれた。
その夕浜の表情はあったかくて、優しくて、オレの心へと浸透していった。浸透していった温かみは徐々に範囲を広げていき、ついには心臓全体を覆い尽くしてしまった。
夕浜ははにかみ白い歯を見せて言葉を紡いだ。
「『いつか王子様が』って曲知っていますか?」
柔和に語りかけてくる。
……知っている。1937年に公開されたとある長編アニメーション映画のために作られた曲。
「私、あの曲が好きなんです」
……そうか。
「中学生の頃はよく聴いていました。悲しいときがあった時や寂しい時は自室のベッドで毛布にくるまって聴くんです。すると不思議と悲しいことや辛いことが頭から離れるんです」
――なぜかその光景が頭の中で再生された。暗い月明かりだけが差し込んだ部屋で夕浜は一人ベッドに体育座りをしている。ベッドは天蓋付の大きなもので部屋も夕浜一人が使うには大きすぎる広さ。窓も大きく教会のようなステンドグラスでできている。窓の外は星々が煌めいていて大きな月が浮かんでいて、夕浜少女はヘッドホンを耳に当て目を瞑って。
誰もいない部屋の中でただ独り。
オレは中途半端な体勢のまま夕浜のセリフを聞いていた。
彼女は目線を上にあげて何かを思い出すように瞼を閉じた。
「私、道後君の名前を成績表で見たって言いましたよね?」
彼女は台詞を続ける。
「そのたびに想像していました。道後鉄という男の子はどういう人なんだろうと。大きい人か面白い人か、怖い人か……正直ちょっとかっこいい人を想像していました」
それこそ、王子様みたいな。
と彼女は呟いた。
「……地味で悪かったな」
「……ふふ。それでこの高校に編入して道後君の名前を見つけた時は少し驚きました。あの人がいるって――うれしかったんです」
「……」
オレは何も答えられずにただ立ち尽くしていた。最近こうぼおとひたすらに立っているだけという事が多いと思う。
夕浜とオレは互いに無言のままそうして目線を合わせていた。風はない。音もない。匂いも味もなにもない。学校のそれも階段という奇妙な場所で奇妙な体勢のまま見つめ合っていた。夕浜は瞬きをせず、オレも瞬きはせず。しばらくの間一言もしゃべらずに時が流れた。だが不意に夕浜は背を向けた。
「ごめんなさい、変なこと言ってしまって。それでは私は授業に戻りますね」
一歩二歩とその背中が遠くなる。オレは意識してか無意識かわからないが、口を開いていた。
「成功させような、銀行強盗」
彼女は歩を一瞬止めた。髪がふわりと浮く。だがすぐに歩き出して視界からいなくなった。




