そして彼女の心は、リアリストである
案内された部屋は緑を基調とした明るい部屋だった。大きな窓からは夕日が心地よく差し込んでいる。四方は小さい穴が無数に空いた壁で囲まれている。窓際には電子ピアノが置いてありそれを囲むように椅子が幾つか置いてあった。その横には木の丸机があり丁寧に椅子が4つ置いてあった。
「ここは音楽教室だよ」
となりに立つ真千さんがぶっきらぼうに言う。
「では鉄君、どうぞ座ってください」
丸机の椅子を引いて浅く腰掛けた。夕浜、真千さんも座る。対面の古賀さんはひじを机につけて手を組んだ。さながら某組織に指示をする長官のようだがその顔はにこやかであった。
「さて鉄君、説明もせずに案内して悪かったね。ここは児童養護施設だ」
「は、はい。先ほど聞きました」
何故連れてこられたのかはわからないが。
「ふむ、ワタシはここを管理している幼稚園で言えば園長みたいな立場の人間だ。真千はここで保母さんをしてくれている」
真千さんの方を見るとけだるそうにオレを見ていた。
「だいたいの養護施設はおもに社会福祉法人が行政から委託される形で運営しているんだがね、ここはワタシの一存で開設しはじめたんだ」
「え? ってことは資金面は」
「そう、ワタシがすべて払ったよ」
まてよ、それならいったいどれだけの金がかかるというのだ? オレはざっと計算しようとしたが古賀さんのセリフに遮られる。
「鉄君は我々が五嶌銀行を狙う計画の話は知っているよね」
勿論知っている。だからこそ此処にいてこうして話を聞いているのだ。
「では滴君のお父さんことについては聞いているかね」
俺は首を横に振って夕浜を見た。彼女はわずかに視線を合わせたがすぐに外した。
「父のことについては……」
珍しく歯切れ悪くどもる。
「道後君もこの計画の一員として協力をしてくれるんだよ、知る権利はあると思うけどね」
と諭すと夕浜は黙って目を落とした。
夕浜の父親が今回の事と何か関係があるのだろうか。
古賀さんが代わりに口を開く。
「滴君のお父さんと私はいわば親友と言った関係だ」
「親友ですか?」
「うん、世間的には上司と部下または社員と社長と呼ばれている関係だがね、ああここでは私が部下だ」
ちらりと夕浜の方に目を遣ると長い睫毛が下方を指していた。俺はそちらを見ながら
「社長……という事は一企業を経営しているということ?」
と質問を投げかけたが彼女は口を噤んだままだった。
「そうだね、ワタシは夕浜社長が経営するとある企業に属していた」
「ちなみに、あたしも」
斜め向かいに座する真千さんが割って入った。
真千さんも社員という事か?
「そう、あたしは秘書だった、表向きのではないけど」
「秘書ですか……」
真千さんの張りのある体でピチピチパンツを履いている姿が脳内で湧き上がり理性が押し戻した。
「表向きではないというのは」
「真千君はいわゆる……まあ、砕けて言えば夕浜社長の右腕として諜報活動をしていたとでもいうのが正しいかな?」
真千さんは疲れたように笑って肯定した。
「そんなにカッコいいもんじゃないけど、そうね、分かりやすく言えばスパイってとこかな」
映画の中で聞いたきりその単語には触れてこなかった。……というよりにわかに信じられないのですが。
「ははは、まあワタシ達が嘘を言うメリットもないが、逆に言えば道後君が信じるか信じないかはあまり関係がない。ただ一つ協力してくれれば。……ともかくワタシ達は夕浜社長の元ではたらいていた」
オレは違和感を覚えた。
「していた、ですか」
「……そう、さすがだね道後君。大事なのは現在形ではなく過去形であるという事。滴君のお父さんはある企業を経営していた」
「ある企業ってなんですか?」
「君の知っている、いや今から大いに関わろうとしている企業だ」
……まさか――
「そう。五嶌銀行だ」
わずかな沈黙が場を支配した。
古賀さんは胸ポケットから写真を取りだした。それをオレに手渡してきた。
目を落とすとそこには皺ひとつ寄っていないスーツを着た男が映っていた。縦縞のストライプで髪はオールバックにしている。
「この人は夕浜の親父さんですか?」
「いいや違う……道後君は五嶌銀行の悪徳経営については聞いているかな?」
「悪徳経営……ですか?」
初耳である。大手銀行の経営実態については話のはの字も耳にしていない。
「銀行は預金、貸出の業務を行っているのは知っているね」
それは分かる。銀行にお金を預けるのが預金、逆に借りるつまり銀行側がお金を貸す、これが貸出。
「五嶌銀行もこの業務は例外ではない。滴君のお父さんが経営している頃は至って良心的で暴利なんて言葉からは遠い銀行だった」
オレは黙って耳を傾ける。夕浜は相変わらずに口を結んでいた。
「ある日、夕浜社長は経営方針を最終決定する重要な会議に参加していた。そこには重役幹部が連なる大事な会議だ」
太陽が傾いてきて西日が強くなった気だした。
「幹部の一人に江田宗二と呼ばれる男がいた。この江田と言う男は狡猾な男であった。この男は社内で噂が流れていた。幹部に上り詰めるために様々な手を使っていたというね」
「江田……確か江田宗二って今の頭取ですよね?」
「そうだね、その写真の男が江田宗二だよ」
もう一度視線を下げると今度は写真がひどく暗く見えた。江田宗二の顔は影の線が入り口元は歪に歪んでいる気がした。
「その会議で、夕浜社長と江田宗二の意見が割れた、とまでは言わないが微妙な対立があったそうだ。わずかな方向性の違い、けど今後を明確に分けて行く意見の違いが。確かなことは夕浜社長と江田宗二のやり方はそりが合っていない事、それは傍目からもわかった。夕浜社長はよく口にしていたよ。江田の実利主義は気に入らないとね」
古賀さんは淡々と話していく。
とその時、夕浜が顔を上げた。わずかに顔を傾けて口を開いた。
「私の父は、その会議の一週間後、死にました」
嘯くような軽いそんな口調だった。けれど言葉は重かった。目の虹彩はしっかりしていて視線がオレを射抜いていた。顔はわずかにほほ笑んでいた。
「……し、死んだ? なんでだ?」
「分からないね。夕浜社長は社長室で首を吊っていたそうだ。明らかに不審死だと誰もが思うよね」
――なるほど。分かりやすい、分かりやすすぎて考える必要もない。
「しかし、警察は自殺として扱ったそうだ。証拠が出なかったそうだよ他殺と断定するね。
なにやら五嶌の経営は厳しい状態にあるため自殺も大いに考えられるとか……」
「そんな馬鹿な。だってどう考えても江田宗二――」
「だが、最終的な結果が全てだ。夕浜社長は自殺した……それが全てなんだよ道後君」
夕浜は余命宣告をされて心の整理がついた患者のような乾いた笑みを見せた。
「道後君、重要なのはそこではないのです。江田宗二と言う人の名など覚える必要はありません。ただ知っておいてほしいのはそういう経緯があったということだけなのです。今の五嶌を知ることが大切なんですよ」
「とはいっても――」
「道後君」
妙に拒絶的な声であった。
微妙な間の古賀さんが口を開く。
「今の五嶌銀行の貸出業務に問題がある」
古賀さんはゆっくりとした手つきで片眼鏡を外してハンカチで拭いた。
「まず、五嶌銀行は銀行員にノルマを課している。営業ノルマだね。それは家庭に営業マンを行かせてある程度の契約をとってこさせるというものだ」
オレは訊きたいことがまだあったがとりあえず話を聞くことにする。
「銀行から直接?」
「そう、ここらの地域の家庭にだね。だが江田の経営方針は厳しい。ノルマを達成できなかった者には厳重注意という名のパワハラ、減給処罰なんてこともあったらしい」
「……」
「窮した銀行員達は考えた。なんとしても契約を取る必要があると。自分たちの生活がかかっていて必死だったのは分かるがね。そこで彼らは何の知識のない人たちに貸付金の話を持ちかけた。お金を借りて増やす方法を、もちろん何の保証もない嘘八百だが、ならべて契約をとる。金利や契約の細かい話はせずに」
こめかみを押さえて眉をひそめる。
「そんなことが許されるんですか?」
「許す許さないの問題ではなくこういう事実があったという話だよ。江田の経営方針にはこういう事実があるという話だ。銀行員がもちかけたお金を増やす話はおとぎ話でもちろん債務者は借金を抱える。お金が増えない債務者はどうするのか」
となりの夕浜を見ると無表情で古賀さんの話を聞いていた。
「銀行側はぎりぎりまで搾り取る。貸付金の元は勿論上乗せされた金利分も。その方法は「それなり」であったそうだね。脅す、騙すとまでいかないものの――近いことがあったそうだよ」
「債務者は……」
「大変だね。心荒れなんとしてもお金を返さなければならないと思考する。だが銀行側は債務者この心理に付け込んだ。再び家庭に訪問して話を持ちかけるんだ。債権回収にくる人とは違う人でね」
古賀さんは手を組んで話を続ける。
「返済猶予の申請を出さないかと持ちかけてくる」
「き、期限の延長という事ですか?」
「つまるところそうなるね。借金を抱える人間の心理をよく理解しているよ。彼らの頭の中にはその場しのぎの思考形態が定着しつつあるんだ。しかしこの話にも落とし穴がある。銀行員は口にはしないが契約書にこう書いてあるんだ」
というと古賀さんはいつの間にかあったのか机に置いてあった紙をオレへと手渡してきた。A4の紙でびっしりと小さな文字が書いてあった。
「もちろんすべてそこに書いてあるのを読めば返済猶予の落とし穴が見えてくるが――口八丁で銀行員はあいまいにするんだね」
紙にはあるところに青いマーカーで強調されている一文があった。そこにはこう書かれてある。
『なお、返済猶予期間においては金利は二倍に上乗せされる』。
「だるま式だ」
不意に古賀さんの声が硬質なものへと変わった。茜色に明るかった音楽室は雲に隠れたのか少し薄暗くなった。
「何のための返済猶予期間なのか? 元金を返すためのいわば準備期間のはず。恐らくそういう説明があったはずだ。しかし金利が二倍に上がれば猶予期間も何もあったもんじゃない。銀行側は最初から計算済みだったんだよ」
「……罠、じゃないですか……」
「そうだね、だがまだ終わりはみえない」
手に汗がじっとりと浮かんだ。呼吸が浅くなる。
「銀行には黒いリストがある。ブラックリストだね。債務者のリストだ。これを金融会社、それもどちらかというとダークサイドにあたる金融会社に流すんだ」
古賀さんはゆっくりとした話し方で続ける。
「銀行は金融会社から見返りをもらう。債務者は紹介された金融会社から借りることになる。後はこれのループ、繰り返しだね。でもそのループは永遠に続くわけではない。負のクローズドサークルの終わり方は残酷だ」
首が回らなくなった債務者はどうなるのか。
「債務者は自己破産の結末が見えてくる。そして「運が悪いこと」にそのとき、つまり自己破産のときにババを引いてしまった金融会社は? 道後君はもうわかっているだろう?」
「差し押さえですか」
「そうだね。その結果から導きだされるフィナーレは――
――家庭崩壊。
背中がかゆくなった。後ろを振り返る。壁の小さな穴から誰かが覗き込んでいるような気がした。
「ここにいる子たちはつまりそういう子たちだよ。親がいなくなって身寄りがなくなった子供たち。もちろん子供たちにはなんの罪もない」
中庭の方で歓声が聞こえる。夕浜はじっと背筋を伸ばしていた。
「万年床を路上にするわけにもいかまい、ましてやこんな小さな子供たちを。かといって見て見ぬふりをしたいとは思わない……それがワタシがこの養護施設を開設した理由だ」
「あたしと古賀は五嶌をやめた、それは二年前の話」
真千さんの顔は影に埋もれて表情が分からなかった。
「さて道後君。なぜ我々が五嶌を狙うのか。大体は分かってくれたかな」
「……その話が本当ならばですが、わかりました」
「私は道後君には江田宗二や私の父云々の話は置いといてほしいと思っています。道後君が背負い込むことではないので……」
夕浜は静かに話す。
「私は正義ではないです。たぶん世間から見たら悪です。それでも手伝ってくれますか?」
悪、正義。夕浜が言っていたこと。大義名分、だがオレには五嶌の実態云々の話は関係がないらしい。オレは静かに言い放った。
「……――わかった」




