そして公園は、ぬるい優しさに満ちている
オレはいま公園にいた。
そして我が世界は上下逆さまになっていた。
「やーい、地味にいちゃーん。ほれほれー」
「ふーっ、ふーっ」
「ちょっとやめなよー」
四方八方にはやいやいと騒ぐ小学生の姿がある。
オレの腹を木の棒で突いたり、耳元で息を吹きかけたりとカオスな状態となっていた。
頭に血が上る。
激昂して怒っているわけではない。
物理的に頭に血が上っているのだ。
必然顔が赤くなりめまいがしてくる。そのひょうきんな姿を見てか小学生軍団は手を叩き拍手サルよろしく大盛り上がりをしていた。楽しんでくれるのは大いに良いのだがこちらは結構大変なのだ。頼むから鼻水はつけないでくれ。
公園の真ん中に植わっている桜の木。その太い枝にはロープが括り付けられている。そしてもう片側にあるのはオレの足。足首にロープが結ばれオレは上から吊るされていた。
「くっ……」
手の先にあるのは鉄球。
「わははは」
「あのー大丈夫ですか? 辛そうですよ?」
まわりから様々なリアクションをもらうが反応するだけの余裕がない。体を折り曲げて上を見ると真剣な眼差しでオレを見ている夕浜の姿があった。ちょうどロープの結び目の辺りにしゃがみ込むように座っている。制服姿で――スカートの下には黒くピッタリした短パンのようなものを履いていた。あれは下着でないことを妹を持つオレは知っている――白い手を差し出してきた。オレは手に取ったボールをその華奢な手の平に乗せた。夕浜は頷く。
「ありがとうございます。だいたいはオーケーです。では一回休憩をとりましょう」
「あ、ああ。そうしてくれ……」
足の結びが解かれて地面に降り立った。久々に汗をかいた。木の根もとにしゃがみ込んで息をつく。足首を触るとロープの跡がついていた。すると洟垂れ小僧がちょっかいを出してきた。
「にーちゃんと滴ねーちゃん何してんの?」
夕浜が音をたてずに木から降りてきた。そしてにこやかに嘘をついた。
「このおにーちゃんがどうしても木からぶら下がりたいと言って我がままをいうのです」
「えーっ! ほんとにー! 地味にーちゃんは変態兄ちゃんだったのかー!」
そんな訳ないだろうがはなたれ。どんな変態趣味だ。
だが本当のことを言う訳にもいかなく口を結んでしまう。右ではおっとりとした女の子がブルブルと身を引いていた。
「あ、あの、ほほ、ホントですか……?」
女子児童に震えられながら引かれるとは想像以上に辛いことを知った高二の夏であった。
「ふっふふ。お兄さんは少し疲れているみたいですね」
夕浜の言葉に小僧が吃驚した顔を作る。
「そうなのかー!? あっちで遊ぼうぜー」
とオレの手を体全体を使い引っ張ってきた。糸吊り人形のようにカクンカクンと首が動く。オレは君くらいの年のころはもっと非活発的だった。その元気を当時のオレに分けてあげてくれ。
「うわー、変態にーちゃんじゃなくて変態おじいちゃんだったのかー」
黙れ。そのセリフは人聞きが悪い。
すると夕浜が笑いながら宥めに入った。
「ダメですよ、変態おじいちゃんは休ませてあげてください。皆さんはあちらで遊んできてください」
「えー」
小学生どもは渋っていた。そこまでオレと遊びたいのであろうか? 地味な遊びしか知らないぞ。……そうだ、野球拳何てどうだい? そこのお嬢ちゃん。
「やきゅうけん?」
「道後君」
頭上から圧倒的なプレッシャーを感じる。オレは素直に遊ぼの申し出を断ることにした。
「ざ、残念だがオレは参加できない。あっちで遊びなさい」
「なんでー?」
「すぐばてるからだ」
オレがいかに体力がないかを丹精込めて一から十まで説明してやる。すると各々納得したようで子供たちはオレを馬鹿にしながら向こうに走って行った。生意気盛りでよい。その様子をぼんやりと眺めていると再び頭上から夕浜の声が降る。
「どうですか? 行けそうですか?」
「どうかな、心配なのは体力の面だけだと思う」
「まあそれは大丈夫です。当日は今のように何回もやらずに一回だけなので。ただ失敗は許されませんが……」
失敗。それはすなわちオレ、夕浜の人生ゲームセットを意味する。寝起きする場所が自室の柔らかいベットではなく檻に囲まれた固いベット、菜子が作ってくれる昼飯が簡素な給食に、そして昼間の時間は学校の授業ではなく刑務作業となる。
あたりまえだ、悪いことをすれば罰せられる。上下に分かれた水と油のように善悪は法でくっきりと分かれる。オレと夕浜がやろうとしている事、それがどちらにあたるか。わかりやすい問題だ。
右手を握ってみた。
かすかな感触とともにぬるりと汗が滑る。もう少し強く握る。今度はきしりと音をたてて指がこすれた。前を見上げると遠目に見えるビル群。あの中の一つにある銀行を襲おうとしているのだ。
「負い目を感じていますか?」
音程をとるように囁いてくる。
「いや、単純に不安があるだけだ」
「そうですか」
夕浜がスカートを押さえつつ横にしゃがみ込んできた。ふわりと芳香が漂ってきて鼻孔をくすぐった。肩が微妙に触れて少し緊張する。
「道後君にはなぜ五嶌銀行を狙うのか話していませんでしたね」
「金が目当てではないのか?」
「はい、それもあります。単純に五嶌銀行の資金目当てという理由が五割です」
「じゃあ残りの五割は?」
「残りは――」
チャンチャラチャンチャンチャッチャッチャー
チャンチャラチャンチャンチャッチャッチャー
夕浜がセリフの続きを言おうとした瞬間、音楽が流れた。横を見ると夕浜が携帯を取り出していた。
有名な遊園アトラクションのテーマソング。女子中学生が好みそうなファンシーな曲調。
何となく口元を押さえて下を向いた。何となくだ。だが夕浜は片目をつぶりこちらを見てくる。
「道後君、何か言いたいことがあるならはっきりと向き合って言ってください。それが意思疎通の基本ですよ」
「だ、大丈夫、大丈夫。なんもない。ノープロブレム」
夕浜は携帯の通話ボタンを押して耳にあてがった。だが通話相手と二言三言話して、最後に「では、来てください」というとすぐに会話を切った。
「今回の計画に参加される方の一人がお見えになるようです」
「真千さん以外の人?」
オレはそういえば訊き逃していたことを思い出した。
「その人と真千さんと夕浜はどういう関係なんだ?」
すごく気になっていたが機会がつかめず訊き逃していた事。銀行強盗の手伝いといえばそれ相応の信用が置ける相手という事になるはずだ。
「……そのことについてはお見えになる方が来てから話しましょう」
そうして肩をならべあい木の根もとに座っていること約三分。居心地の悪さと妙な興奮の板挟みになっていると前方に人影が現れた。オレから見てまっすぐにある公園の入り口。
そこにシルクハットをかぶった人物が立っていた。帽子のつばで顔が見えない。夕浜はお尻をポンと払うとオレに立つように促した。
そちらへ歩いて行く。
その人物は老齢の男の人であった。白髪で顔にはいくつもの皺が刻まれている。対照的にスーツはピシッとしており背筋も伸びていた。身長はそれほどないはずだが見た目より大きく感じる。あちらから見て右の眼窩には片眼鏡がはめ込まれていた。
俺たちが近づくまでは口を結んでいたが前に立つとこう言ってにこやかに破顔させた。
「どうもこんにちは。君が道後鉄君だね?」
紙芝居を子供たちに朗読しているようなゆっくりゆっくりとした優しい口調だった。
「は、はい」
「はじめまして。ワタシは古賀と申します」
自己紹介と共に右手が差し出される。皺がきれいによっている右手。慌てて握り返した。かすかに握力を感じる。軽くシェイクさせて手を引っ込めようとした時、反対側から手首をつかまれた。
「え?」
古賀さんはオレの右手を反対にひっくり返して掌を顔に近づけた。しばらくそうしており、幾秒後、喉を唸らせた。
「ふむ。綺麗な線だ。聞いていた通り君は優しい青年だね」
て、手相判断? オレは焦りながらも返答する。
「は、はあ。そうですか?」
「だが、その優しさを上回る危険な好奇心が垣間見えるよ。心の奥の奥にろうそくの火のように灯っている好奇心だ。どうかな鉄君、当たっているんじゃないかい?」
「え? ……いや」
いきなりのことに戸惑う。古賀さんは訳知り顔で帽子に手を当てた。
「ははは、嘘だよ鉄君。ワタシには手相判断の技能はない。安心してくれ」
と直立したまま肩を揺らして笑っていた。なんだこのじいさんは。夕浜はそんな笑っている古賀さんに淡々と語りかけた。
「古賀さん道後君を施設につれて行きたいのですが」
「ほお? 施設とな? もしやまだ説明していないのかい?」
「はい」
すると古賀さんはふうむと唸った。ポケットから鎖がついている懐中時計を取りだしてふたを開いた。
「それならそちらの子供たちはまだ遊ばせておきましょう。時間はありそうですしね。じゃあ鉄君ワタシについてきてください」
「は、はあ」
古賀さんは公園に背を向けて歩き始めた。オレは夕浜の顔を伺う。夕浜は微笑して古賀さんの後を追い始めた。




